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うまくいかない両思い、幸せになれない両思い

一度書いたものを書き直してを風呂の中で繰り返してるので、破茶滅茶かもです。手がふやふやである。

私は自分のことを圧倒的に傷つける側の人間だと思っている。残酷って言葉がしっくりくる人間である。

自己肯定感というか自尊心が自他共に認める低さのため、周囲を攻撃しがちみたいな意識はある。でもこれってなかなか直らない。自分が最低なことは三百も承知なので自分を否定して自分だけを攻撃していればいいのだけど、他人にも攻撃が向くことも少なくない。我ながらとんでもない迷惑野郎だな。

こんな感じだからか、人から好かれるのが苦手である。特に、多くの人に愛され人気者な人から好かれると違和感満載である。私の何がいいのか、なぜあえて私に興味を持つのか、あなたの周りには私の何倍も良い人がいるのだから私と仲良くする必要はないのでは、と。私みたいなやつはあなたに必要な人間ではないですよ、そんな価値はないですよ、と。周りに他にたくさんいるんだから、私はいらないでしょ、と。

この思考について、一つ思い当たる節がある。

中学生から高校生のとき、クラスの中心にいる人気者の子と仲良くなったとき、周りの他の子から「なんであの二人仲良いの?不釣り合いじゃない?」みたいなことを話しているのを一度や二度ならず、まあまあ言われてるのを目撃し、それなりに傷ついた。だからか、広く愛されているような人気者と私みたいなやつが仲良くすると非難されると刷り込まれてるのかもしれない。

大人になってからは、愛され人気者な人とはお互いに仲良くしたいという感じがあれば表立たずにコソコソと付き合うようにしてるけど、人目につくところだと私は悪い意味で目立つらしく、中高とほぼ同じことを言われ、結果として私が無理になる。やっぱり私はいらない人間だという結論に達する。

子どもの頃に言われた、不釣り合いって表現が正しいのかもしれない。釣り合ってないのだろう。少なくとも周囲から見て釣り合ってないのだろう。

被害妄想とか気のせいだとか思われると思うけど、まったく同じ目に遭ったことがない人にとやかく言われても私は聞きませぬ。特に愛され人気者には分からないだろうし、分かって欲しいとも思ってない。だって分からないだろうから。私も愛され人気者の気持ちは分からないし、特に分かりたいとも思わないから。

振り返ると、愛され人気者な友達も私もただ仲良くしたいって思って仲良くしていただけな気がする。思えば、元夫も周囲から愛された人気者で、私は特に彼の家族や友人から「なぜこの女と?」という視線と言葉をよく受けていた。

たぶん、相手も私もどっちも悪くない。ただ、周りから見たら釣り合ってない、それだけだとしたらなんとも悲しい話だなと思った。関係性は一対一に見えても、実際は社会の中で影響を受けている。その影響でうまくいかなくなることもある。

結果として、普通の枠に入らない、いわゆる変態との付き合いが濃くなるのだった。あ、ごめん、今も付き合いがある友人たちよ。でも君たちは間違いなく愛すべき変態である。

先日書いた通り、大事な人を手放した。私は一方的に楽になったが、相手は傷ついているだろう。私は悪いことをしたのか、間違ったことをしたのか、ぶっちゃけ分からない。でも今は何かが違うから距離を置きたい、その心の声を聞いて大事にして何が悪いのかと思う。冒頭にある通り、残酷な人間なのだ。

そしていつも同じ結論に辿り着く。私にはあなたと仲良くする価値はないよ、と。私のせいで傷つくあなたを見たくないよ、と。

相手が大事で好きだと思うのに、傷つけてしまうし、勝手に自分とは違うとバリアを張って拒絶してしまうし、しまいには相手の好意を踏み躙る。それが自分なのだ。だから優しい人はやっぱり好きにならない方がいい。常に100%で愛情を与えてくれ、受け止めてくれる人は貴重だし大事にすべきなのだろうけど、つらい。私も相手も。私のせいでお互いつらい。だから申し訳ない。

私のせいでうまくいかない両思いなんだろう。そしてまた大事な人を失っていく。