11.「ベルジャンホワイト」

「ベルジャンホワイト」

嫌いな人に嫌いと言えないから、
仕事を辞めた。
ベルジャンホワイトが好きだ。
口に入れた瞬間ふわっとひろがる香りと、
苦味を邪魔しないフルーティさが好きだ。
巷では薬の開発がされていないウイルスが流行っている。
わたしは26歳になったばかりだ。
ウイルスは、2年は流行るという。
わたしは、28歳になってしまうのか。

オレンジ色の薄明かりに照らされた部屋がすきだ。
口の中にふわっと広がる甘みだけを感じていたい。
シャワールームに照明は要らない。
向かいのキッチンの明かりだけ、中に差していれば良い。
ウイルスだとか、バッタだとかに、
簡単に殺されたくない。
いつまでも、口に含むと溶けてしまうような感覚を味わっていたい。
外出ができない。
新しい服を買った時、無敵になる感覚を味わうために、外に出たい。

大学時代の友人のInstagramのストーリーが鮮やかではなくなった。
少し安心してしまう自分が嫌になる。
だが、確かに安心してしまうのだ。
ビデオカメラ越しの飲み会ならば、インターネット掲示板の友達と幾度やったか分からない。

リアルにうんざりしていた大学時代。
好きなニコニコ生放送の配信者のカラオケ配信を、講義を抜け出してトイレに聴きに行った。
同時刻、彼らは空きコマに食堂に集まり、サークルの仲間との雑談に興じていた。
彼らの日常はとても鮮やかだ。
金髪ショートヘアなところが好きだと、
話したこともない同じ学科の男性に言われた。なんで見る目がないんだ。

わたしが一人暮らしをしていたアパートは、木造で、隣が材木置き場だから、虫がよくでた。
決まって退治に来てくれた彼の名前を、
口には出さないようにしている。
自分だけタイムスリップをしたくはないから。
おしゃれに憧れた芋くささが好きだった。
彼はわたしが1年ほどで辞めたサークルの同期で、わたしの部屋から10分ほど離れたアパートに住んでいた。
何故だか君は、わたしの友達だった。

君は、吸っていなかったタバコを、付き合いだと言って始めたり、めんどくさがってやらなかったアルバイトを急に始めたり、わたしとは違って背の高い、長い前髪を流した、料理上手な女の子と付き合ったりしても、わたしは金髪ショートヘアで、バレンタインにはコンビニで買ったチョコを義理だと言って君に渡した。
君もまた、相も変わらず、夜中に電話をしてきて、サイゼリヤの駐車場で、わたしに恋愛相談をしてくれたよね。

バカだよ。君は。

サークルを辞めたわたしを、
君はたまに家に呼んでくれた。
よく2人で鍋をやった。
近くのスーパーでの買い出しで、
知り合いに関係性を疑われて焦って否定する君は、
正真正銘の大バカだった。
だけど、どんな形であれ、
わたしが君の人生の一部に存在できていたという事実があれば、
なんだか安心できる。

君は25歳になったはずだ。
田舎に帰って、親の会社に入ると言っていた君は、優しいままだろうか。

わたしのことはそのまま、思い出さないでいてほしい。
わたしも、君の名前をすぐには思い出せなくなってしまった。

コリアンダーの風味が口の中に広がる。
バカだな、わたしは。


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