Hateful Peopleになりたかったかも知れない

"Spoon"で韻を踏みなさい。"Moon"ではいけない。

第二次世界大戦の後詩を書くことはツェラン的な方法以外は蛮行であるとされていたらしい。詳しい背景はわからない。ただ、それもドグマだよなと思う。

ある日わたしは恵比寿駅のホームで"ここでこの朦朧とした意識のまま線路に倒れ込めば楽になれる"と思った。数年後、同じ恵比寿駅のホームに非常用の柵が設けられていて、"うっかり死ぬにも一苦労する"と思った。

なぜ恵比寿駅のホームなのかと言うと小説教室が恵比寿で開催されていたからなのだが、師事していた作家を偲ぶ会が今年執り行われた。

80本ものギター、意図よくわかんない改造が施されたベースのようなもの、謎の楽器、もっと謎の民族楽器、どう着るのが正解なのかパッと出てこない昔の服など、機材マニアで着道楽という破滅の痕跡がたっぷり残されていてもなお、破滅からは程遠かった。

"中井英夫みたいな無茶苦茶な人は流石にもういないけど"と仰っていたが、病に臥した際、人間工学的に実に合理的だとのことでStrandbergだったか斧みたいなギターをmy new gear…しておられたのも十分に滅茶苦茶だと思う。

滅茶苦茶といえば、数年ぶりに畏友と再会した。"なぜ人生は滅茶苦茶になってしまうのか"、"押し寄せる滅茶苦茶を押し返す不断の鋭意を人生と呼ぶのではないか(つまり自然状態では滅茶苦茶になる)"等。

"ある目標を定めてそれに向かって前進し、振り返った達成が人生という説がある"と聞くに至ってはそんな恐ろしいことがあってたまるかと思った。そのルールだとずっと減点方式で生きていかなくてはならないじゃないか。

音楽はあまり聴かなかった。音楽を聴く理由、或いは聴かない理由は特にないのだが、どうも調子が良くなかったようだ。春ねむり『INSAINT』、BUCK-TICK『異空』は何度も聴いて聴くたびにすごいすごいと言っていた。

今年亡くなったミュージシャンに関して、殊能将之がWarren Zevonの病態を知った時"もっと生きてもっといい曲書くんだろ。こんなところで死ぬな。才能ないぞ"と駄々を捏ねていた(そうとしか言いようがない)のを思い出した。

その他、母が倒れたこと、祖母が亡くなったこと、それらに付随するcomlicatedな問題の数々を静々と片付けている間に業務上非常に複雑な問題をなんとかするなどして、褒められたりもしたが、なんと言うか疲れた。

詩歌が呪いではなく愚痴となり、警句ではなく標語になるようなモーメントは本当に豊かなのだろうか。もっとこう、"こころさえ、こころさえなかったなら"とか、"過去、未来、僕ら対世界"とか言え、言わせろ。

意味はあなたを騙すから雪焼けの道におやすみなさい鳥類

吉田隼人『忘却のための試論』


なんかくれ 文明とか https://www.amazon.jp/gp/registry/wishlist/Z4F2O05F23WJ