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話長い?ゴメン。

ここ2週間くらい、Creepy Nutsが好きすぎる。
思いの丈を満足するまで綴ります。そのためのnoteです。

出逢いはいつだろう?はっきり覚えている始まりは2年前の秋だ。

若林さんが武道館へ向けて、彼らに曲をお願いした。
オードリーの分かりやすい言葉を歌詞をたくさん入れて、たりないふたりのような曲になるのかな、となんとなく思っていた。その予想に反して、とんでもなくかっこいい曲だった。よふかしのうた。それから聴き慣れるとすごく好きになった。

サブスクに疎かった私は近所のゲオに行き、「クリープ・ショー」を見つけて、にやっとした。思えば最後にレンタルしたCDになった。
アルバムが新しい職場に向かう道のりを励ました。オフィスカジュアルという鎧をまとった私が日本語ラップを聴いているとは誰も思わない。

ドラマやバラエティで、新しい曲が流れる度に、次のアルバムが楽しみになった。「よふかしのうた」の6曲はみんなちがって、みんないい。

「さよならたりないふたり」を映画館で一人で観た翌週、ラジオを聴いた。
Rさんがみなとみらいを歩きながら、思いを巡らせた話の後、お互いの恋愛の乏しさを晒し合っているのを聴いて、なんだか急に親しみを感じた。あんなに感動したのに誰とも話せなかった。寂しかった。でも、同じものにくらって、情けないところまで共有してくれる人達がいた。

偶然スッキリで見た松永さんの優勝をめでたく思った。
ゴットタンに、有吉の壁に、有吉ゼミに、その他にもテレビで名前を見つけては録画して観ると間違いなく面白かったし、癒された。
今年の3月、サトミツさんのラジオに若林さんがゲストで出たときに、名言「ふたりが健康であればいい」の後にかけた「生業」が響いた。

はじまりときっかけは若林さんだけど、Creepy Nutsそのものを、楽曲を人柄を、この2年間掛けて、じっくり好きになっていった。

そして、「かつて天才だった俺たちへ」が決定的だった。
サブスクに慣れた私は一曲一曲を大切に聴いた。等身大の自意識や、自己否定の先にある自身への期待が、私の心に刺さりまくった。

サウンドクリエイターズ・ファイルがさらに効果を与えた。いつもよりゆっくり話される生まれや育ちや聴いてきた音楽に対しての想い、自身の楽曲への誇り、相手へのリスペクトを聴いた後に、流れたあの曲やこの曲が今までより色濃く聴こえた。
まだ疎い私が気づかないバースやトラックの奥の遊び心やこだわりを聴かせてほしい。ちなみに今日のnote のタイトルは「阿婆擦れ」の一節で、HIPHOPへのラブソングだと知って聴き方が変わった。時として、楽曲への愛情を表現することはいいなぁと思った。

オールナイトは正直なところ、たまにしか聴いてこなかった。少しだけテンポが速いと思っていたが、サウンドクリエイターズ・ファイル聴いてから、耳に馴染んだのか、Mステの効果か、今は毎週の楽しみになっている。ラジオクラウドのおかげで遡れるのが嬉しい。

HIPHOPの面白いところは、物語の主人公が歌い手自身のところだ。
学生時代に主役になれなかった、周囲の当たり前が自分にはできなかった、恋愛や人付き合いがうまくできなかった、それでも自分の決めた道、生業にとことん向き合い、上昇していく姿は私に勇気を与える。

もう少し前からがっつりと向き合っていたら、と思わなくはないけれど、(特にかつて天才だった俺たちへのリリースライブが惜しくて仕方ない)今、チューニングが合ったおかげで、これからのCreepy Nutsを見続けられるのが楽しみだ。

愛想を大事にしてきた私からすると腰が低いのも好印象だけど、最近それを越えていこうとしている話を聴く。どんな道を選び、経験を踏まえて自信をつけたり、気の合う仲間を見つけたりするのだろう。一方で、たりないままのところがあったり、時には後悔したりすることもあるのかな。


共に歳を重ねていけたらハッピーだけど、ステージに立ち続けられるのは今の時代当たり前ではない。彼らや私、もしくは環境に事件が起きるかもしれない。

だからライブに行きたい!
Zeppの隅っこでひとりで聴いたら、泣いちゃうだろうな。自意識が邪魔してひとりで行くのは恥ずかしいけれど、今はその日を一番楽しみにしている。

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