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遠のく幸福な社会にうっすら怒りつづけるわたしたち

夏休み。束の間の休息だ。
ぼーっとして、好きな本を読んで、少しだけ素の自分に戻れている。この状態をキープしたい。

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派手に世間を騒がせているニュース。

(画像は当該ニュースにリンク)

一部引用です。

DaiGoさんは13日の謝罪動画で「一生懸命、社会復帰を目指して生活保護を受けながら頑張っている人、支援する人がいる。僕が猫を保護しているのとまったく同じ感覚で助けたいと思っている人、そこから抜け出したいと思っている人に対して、さすがにあの言い方はちょっとよくなかった」などと語った。

 しかし声明は、自分から見て「頑張っている」かどうかで他者を評価しており、「他者の生きる権利について自分が判定できると考える傲岸さは変わりません」と指摘した。


全ての人にとって幸福な社会とは何か。
わたしは「とくに目標や目的がなくても何となく生きられる状態」が許される事だと思う。
大事業を成そうと奮闘する人はだいたいその真逆にいるので、両者は基本的に分かり合えない。
「分かり合えないけどそういう人たちもいる」と互いを侵害せず、それぞれの人生を歩めるのがベスト。それを叶える社会を作れれば理想だろう。

そもそも、権威的・経済的に高みに到達できる人というのは、その時の社会構造とその人の環境がうまく合致しただけなので「俺は頑張った」「努力は報われる!だからお前も頑張るべき!」というのは傲慢ですよ、とサンデル先生も近著で語っている。タモリさんは30年前から仰っている。

人によって異なる幸福指針を皆がマイペースに満たせて、それを侵さないのが理想の社会だ。やる気があってもなくても生きてていいのだ。
必要なのは高い倫理観、視野の広さを推奨する教育だ。人は基本的に差別を内包する生き物だ。被害者意識は育てやすいが、自分がいつでも加害者になりうるという自覚を持つのはとても難しい。まあ、ストックホルム症候群という現象もあるので、当事者が被害者意識を正確に持つのも困難なのだが。
どんな生き方、人生もありなのだ。社会に混乱をきたす罪を犯さない範囲でなら。

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もう一つ。

(画像は当該記事にリンク)
一部引用。

DaiGo氏の当初の発言については、生活保護を利用する人や、ホームレスや生活困窮者の支援関係者を中心に、懸念と批判が広がった。
 「人が勝ち組と負け組に分かれるのが現実だとしても、(生活保護利用者やホームレスの人が)『命が軽い』とまで言われるのは非常に不愉快だし、間違っている」。東京都内に住む生活保護利用者の男性(41)は憤る。
 昨春、コロナ禍で雇い止めに遭い、社員寮を追われた。自分が生活保護を利用することになるとは想像しておらず、生活保護は誰しも人ごとではないと実感している。「影響力がある人の発信だけに、『生活保護の人は死んでいい』と思い込む若い人がいるのではないか」。男性は不安を感じている。

元テレ東のプロデューサー佐久間さんは「今、視聴者はずっとうっすら怒っている(と感じる)」とご自身のYouTubeチャンネルで発言していました。

天災と人災による尋常ならざる状況が1年半も続く中で、窮地に立たされてしまった人は沢山いる。不安や焦り、悲しみが増大しながら救いの手すら見えない人たち。
情勢変化は自分の転職理由の一つでもあるので、まったく人ごとではない。たまたま次が早めに見つかったから良かったものの、そうじゃなかったらと考えると震える。うまく運んだのは本当にただの偶然だ。大事なので二度言う。

そんな背景は今回の炎上に拍車をかけたと感じる。
まあ、背景があってもなくてもダメですが。 

最後に、彼の切り抜きチャンネルがお勧めに上がってきたら時々見て、危うい人と思いつつも参考にしていたこともあるわたしの愚かさをここに表明し、反省します。
自分の精神を健康に保ち、知性を磨くことは身を守る術なのだと、怠惰な過去の自分から改めて学びました。かんばります。

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最近の読書。まだ全部は読めてないですが。

金原ひとみさんの新作むっちゃ面白かった。リアリティがすごかった。

己の卑小さを知り、よく読んで感性を育み、前に進みます。

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