いくつかの湖

性差による性格の違いってなんだろうね、という会話を先日友人とした。

(スクショはyoutube Mr.Children「over」にリンク)

古来から「男は強く、女は弱い」という、フェミニストから殴られそうな言い回しがある。まあ、表面的な身体性(力持ち的な)を言うなら許されるのかもしれない。このご時世、そうもいかない気がするけど。あくまで〈古来の一般的な認識〉です。

ざっくりした話から入ると、個人的には「女々しい女と雄々しい男はいない」という持論を有している。
女性性の本質は「踏切の良さ、勢い、潔さ」、男性性の本質は「繊細さ、脆さ」だ。もちろん人は千差万別な存在だし、LGBTなど加味すると単純な物言いは出来ない。しかし、精神的な意味での「女性性」「男性性」とは、上記でだいたい全部だと思っている。
また、どんな人間も両性具有の精神を宿しており、配合は人それぞれだ。そのルーツには生物学的な意味での身体性、育ちなどの環境要因、食べ物や習慣、職業などの生活背景がある。つまり、状況や加齢によって変化もありうる。

いまだに時々思い出す吉本ばななと村上龍の対談。

村上龍
だから自分のこととか人のこととかじゃなくてさ、やっぱりここに戻ってくれば、きちんと物事が判断できるという場所が女の人ってあるような気がするの。
吉本ばなな
おお、それはあるかもしれない。結局、一定のラインからはずれないように自分をセーブしてゆくものですね。
(中略)
村上
男の場合、それがないんだもの。だからなんというか、照れ臭いけど、やっぱり旅に出るとか、それしかないでしょう(笑)。ねえ。
吉本
意外なオチだ。旅に出る。
村上
小林旭みたいだけどさ(笑)。でも、そういう感じしかないような気がするんだ。女性はきちんとよって立っているものね。
吉本
(中略)
それでとことん突き詰めると、結局最後は男は自分勝手になって、女は気違いになっちゃうでしょう。そうだなあと思って……。これは女の人ってのは、一定のラインから上がったり下がったりして、いつもそこに戻るというか、そういうことなんじゃないかなと、この年になって思います。戻れなくなると、取り乱しちゃうような。戻ることによって、自分を守るような。
村上
まあそういうふうになってないとね、人類は存続してこなかったからね。
吉本
まるで、どこかで読んだエッセイをナマで聞いているような場面である(笑)。
村上
男が全部責任とっていたら大変ですよ。サルから人間に進化できなかったよ。無責任だからできた。

(吉本ばなな『FRUITS BASKET 対談集』(福武書店) 「76」から「88」へ 村上龍 P.104〜105より抜粋)

当時の言い回しで恐縮だが、「男は自分勝手、女は気違い」とは言い得て妙だ。勿論そうならないように普段は皆律しているものだが、ふとした時に箍が外れたり、際になると本音が垣間見えたりする。自分も含め、様々な人間関係においてそんな場面を沢山見てきた。トラブルの元にもなるし、愛し方のベースにもなる側面だ。

本来は、カテゴライズするべきではないのかもしれない。血液型占いと同じくらい、性差で人を分けるのは乱暴な事だ。両性の配合割合や身体とのフィット具合(LGBTな意味で)は、人類に一人として同じものはいない。誰もが自分だけの形を持っている。
例えば好きな人のそれを知るのは人生のワンダーだ。友人なら親しみのきっかけになるし、反対もあり得る。家族だと齟齬は少ないかもだが、自分との差異から距離感を考える手立てにもなる。
正しい形なんてない。どんなパターンも許容されるべきだ。自分の考え方を押し付けて人を傷つけるのはアウトだけどさ。
こういうのってベタに類友で、自分に似たパターンの人を無意識に呼ぶ気がする。それぞれの湖で生きるのがベターなのかもしれない。

なんか取り留めもなくなっちゃいましたが、備忘録的に。

……
最近の読書は遅々として捗らず。新年度の疲れも取れてきたし、じゃんじゃん読んでいきたい。
先日久々に連歌集を読み返したら、あまりの美しさに引き込まれてしまった。やはり古典はよいです。あと、正月に読もうと思っていたノンフィクションが未だ冒頭で止まっている。GWにはある程度まで進めたい。読んで色々養い、書く力としたい。

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