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15年前のファンレター

思い立って仕事部屋の模様替えをしていたら、結局4袋ものゴミを断捨離するくらいに「掃除」「整理整頓」になってしまった。
なお、まだ6日経った今でも、模様替えは終わっていない。

全部の荷物を出したりいれたりしていたのだが、友達や元同僚からの手紙に混じって1通の手紙があった。

そう、ファンレター。
私が今まで唯一もらったファンレターである。

これをもらったのは、もうおそらく15年近く前になる。
「唯一のファンレター」ということは、それ以後その熱情を抱かせるほどの作品を自分が出せていないとも言える。
感想ノートとかコメントとかあるからインスタントに感想は言いやすくなったし、ファンレターって感じではなくなったのもあるとは思う。

ファンレターにもらった感情

このファンレターを読むと、どの作品のことの話かすぐにわかる。
それくらい作品について深く理解して、熱く話してくれている。
今まで何度読み返したかわからないけれど、久しぶりに読んだら泣いてしまった。

本当に自分の作品が人に届いたってわかるから。
それが嬉しくて仕方なくていつも読み返しては大切に保管し続けて来た。
でも、初めてふと不安になった。

私はまたこういう手紙がもらえるような絵が描けるのだろうか。

少し前に観た舞台のセリフに(正確に覚えていないけれど)こんな一節があった。
絵描きではなく文章を書く人たちのお話だったのだけれども。

「デビュー作が君の最高の作品って言われてゆくならどうする?」
「そんなの絶対いや!そんなのだったらこの先、生きていても意味ないわ!」

15年前に届いたその絵と同じように誰かに届けることはできるのだろうか。
ずっとずっと作品を続けるであろうけれど、あの時以上に誰かの心を打たなければこの先、生きていても意味ない!くらいは、やっぱり思っちゃうよ。

どうしても私は私の世界を絵を通して伝えたいんだ。
この手紙の方のように、私の世界に足を踏み入れてくれるひとがほしいんだ。

常軌を逸している「伝えたい」

最近、ようやく自覚をしてきたのだけれども私の「自己顕示欲」「承認欲求」は普通の感覚とちょっと違うのかもしれない。
いや、一般的なものがどういうものか、よくわかんないんだけども。
自己否定癖だという自覚もありつつも、「いいね」なんか「どうでもいいね」に思えてしまう。「すごいね」って言われても「あ、そう?」って思っている。

でも、よく自分が「(話を)聞いて」と口にしていることに気づいたし
そもそもnoteも含めてSNSは、私にとって(それこそmixi時代から)誰にも伝える場所のないことばを置いておくためのものだ。

とにかく聞いてほしい。
できれば誰かわかって。
このことが伝わるところはないのか。もう必死で必死で探している。
「すごいね」って言われるよりも「この感覚がわかる」が圧倒的にほしい。
でも、そんなのぜんぜん「いつか」で良いからとにかく今、話を聞いてほしい。

それが成仏できないまま、絵になっていくこともある。
「ことばにならないものたち」とこの絵に名付けたのはそういうことだろう。

じゃあなんで会話じゃないんだろう。
会話でコミュニケーションしたほうが伝わるし分かり合えると思う。
それでも、私は絵を通して自分を「聞いて」ほしいんだろうなと思う。
感じていることを理解して言葉にするよりも、遥かに感じていることをダイレクトに表現できるのが、私にとっては「絵」だったから。
絵は言葉にするよりももっとずっと、はだかの心の自分でいられる場所なのだ。

通常の意味でのコミュニケーションは、原則的に双方向性であり、送信者と受信者は絶えず相互に入れ替わるのであるが、芸術表現は原則として一方向性であり、送信者と受信者の役割が入れ替わることはない。
現代アートにおいて今日提唱されている参加型アートといえども、受信者がいかに自分のメッセージを発信しても、それは常に受信者としてのメッセージであり、正確な意味での役割の入れ替わりはないのである。
したがって、芸術における「表現」とは、送信者は常に送信者であり続けるという特殊なコミュニケーションの様式である、ということになる。
ー子安増生 編著「芸術 心理学の新しいかたち」(2005年発行)

図書館で読んでいた本なのだけれども、このコミュニケーションが一方向性であることがとても腑に落ちた。
そしてちょっと悲しかった。

自分の絵を描いていて見せるといつも、私の世界を傍観されているような感じ。
そうじゃなくて!ってなる。
どうして世界に入って来てくれないのだろうか。
そうじゃなくて!って何度も思っている。

もうずっと一方向性のコミュニケーションを使って、双方向性のコミュニケーションをしたいと思っているのかもしれない。
でもいっぽうで、普段の会話(双方向性のコミュニケーション)に「聞いてほしい」が強すぎて一方向性を求めていたりもする。
私はコミュニケーションの取り方が、やり方と求めてるものが、チグハグなのかもしれない。

「変われると思うよ」「強くなれるよ」

こういうマイナスイメージなことを言っていると
 もっとこう変われば、とか
 もっと強くなれば、とか
よく言われる。

言われなくても変わらなきゃならないし、言われなくても弱いのは知っている。
それとも、人前で社会人として不足のないように血のにじむ思いで演じ切ってるものを「本来の私」とでもいうのだろうか。
それならば、一体ここに描かれいているものは何のために存在しているのだろう。
それならば、本当に一枚も私の絵は伝わっていないのだろう。

最近「あいちトリエンナーレ」のおかげ(せい?)で芸術表現について活発に意見が出ているように思う。それでも一部だろうけど。
それ自体の話はちょっと今ここでは触れないけれど(それだけで1エントリになっちゃう)そういう意見の中でよく出てくるのがこういう話。
リツイートでまわってきたものですが引用させてもらいます。

「見た者を不愉快にさせるなんて芸術じゃない」「きれいでみんなの心を和ますのが芸術」「プロパガンダだから芸術じゃない」みたいな明確に誤ったアート観がポピュラリティを得ていることに頭を抱えたけど、これは謎でもなんでもなくて義務教育の産物だろう。そういう教師、いたもの。複数人いた。

後半は今回は置いておくとして、特にここの誤ったアート観。
「見た者を不愉快にさせるなんて芸術じゃない」
「きれいでみんなの心を和ますのが芸術」
本当に実感するところであるし、私に無神経に押し付けられているものである。

アートの役割は「問題提起」であって「問題解決」ではないはず。
イラストはそういう意味ではデザインに近く、仕事としては問題解決・心を和ますものとして描いている(つもり)。
でも、自分の作品は自分の世界からの「こんな世界どうですか」っていう「問題提起」なんだと思う。

それが、不快に思うのならば、私の世界がそういうものだっていうだけの話。
誰かに不快に思われて、それでも私は私のまま私の世界を聞いてほしい。

私が絵を描く意味

強くて優しくて癒される
絵にそればかりを求められると、私は私を表現する方法を失ってしまう。
そうじゃない。そうじゃないんだよ!!!
私は私を「今の私のまま」で聞いてほしいんだよ。

私は今のままの「自分」が、ここに存在するために絵を描いているんだよ!

もちろん強さや優しさや癒しが自分の中にあるなら、それはちゃんと絵に出ていくだろう。
でも「きれいなもの」「明るいもの」「前向きなもの」だけがアートではない。
私には、弱く悲しくて残酷で暴力的で怖くて狂っている部分だって、十二分に持ち合わせているんだから、それだって存在していていいよね?

それを「変わっていこう」って言われるのは
結局、私はこの私のままでは受け入れられませんっていうことなのだろうか。
弱く悲しくて残酷で暴力的で怖くて狂っている部分は捨てて、全員聖人になれとでもいうのだろうか。

この世が聖人ばかりだとしたら、そこはたぶん「地獄」という名でよばれるであろう。
善人もいれば極悪人もいる。汚いことをしてる嫌な人間もいる。
でもそれが人の住むところの常識。当たり前のこと。
それだから生きがいも面白さもあるのに。
ー銀河鉄道999 第19話「ざんげの国」

ある人に「強くなれっていうのは酷なのかもしれないな」と言われたのがずっと嬉しく耳に残っている。
このままで良いとも思っていないけれど、それよりも
私は「今の自分のままでも自分を好きになる」方がいいんだ。
変わらないと強くならないと好きになれないなんて、きっとおかしいよ。
このままの私を私の好きな世界として愛おしく描いていきたい。

それがいつかこの手紙の方のように誰かが
私と同じ世界に立ってくれて、そのはだかの心に触れて感動させてみたい。
その時初めて私の世界が「伝わった」って思うのだろう。
そんな日が来るのをやっぱり期待しないで生きていくのは無理だ。

もうずっと7月の終わりから完全に何にも描けなくなっていた。
ほんとうに驚くほどぜんぜん描けない。
それにあわせてどんどん心が割れるようになっていった。
痛くて痛くて心が砕けて落ちて、そんな毎日に、こんなこと考えてた。

今日もまた心が砕けるような心地がした。

だから書いた。
ずっと誰かに聞いてほしかったこと。

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つかはらゆき(プロモーション企画制作)

中小企業向けにマンガ・イラストを使いプロモーションで問題解決するお仕事をしています。企業の状況(財務・人事等)から戦略〜制作まで行います。夢はテクノロジーとアートの融合。お仕事以外のイラスト作品もあり。ギターと餃子とペンギンと鎌倉時代が好き。yuckytsukahara.com

コラム

制作にまつわること。絵を描くのに向き合った言葉たち。日記。
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