"表"で見えてるものが、全てじゃないって
少し前から、(というより昨日から?)
Twitterのほうのフォロワーさん達が、noteを書きはじめている。
オプチャ購入用に元々アカウントだけはあるって人も多かったのだろうけれど、
芸人さん達の中に新しく書き始めた人がいるっていうのもあるし、有名フォロワーさんが書き始めたからとか、多分きっかけは色々。
note書いたよ。とTwitterで呟いてくれるので、こっそり読みに行く。
新しく始めた人。
しばらく書いていなかったのを再開した人。
Twitterのつぶやきは、みんなお笑い関連のことが多い趣味アカウントだけれど、noteはまた違う。
お笑いについて書く人もいれば、自分について書く人もいる。
私がnoteに、病気や悩みを書くのと同じように。
書き始める1歩って少し勇気いるけれど、1度書いてしまえば後は好きに書くだけ。
Twitterだけをみていると、
キラキラしてて、オタク友達と仲良くて、SNSでもすぐに声かけて仲良くなって、若くて行動力あって、全力で趣味を満喫してて、羨ましかった。
素敵な絵が描けたり、心動かす文章が書けたり。
ファッションとかネイルとか、色々推しに合わせたり。
多才な人が多くて、私からはちょっと遠い世界の人たちみたいな気がしていた。
何も持ってなくて、結局言い訳ばかりで、
そんなふうにできない自分が、何だか嫌だった。
noteだって、好き勝手書く用の雑多アカウントで、とてもじゃないが、Twitterの方で「読んでみて」って呟ける代物じゃない。
でも、書き始めたいろんなフォロワーさんのnoteを読んで、こんなふうに思う自分は性格悪いのだけれど、何だか少しほっとした。
そうだよね、
みんなだって、いろいろあるよねって。
誰だっていろんな過去や悩みや、表に見せない感情とかがある。
それを表(ここではTwitter)で書かないだけ、言わないだけで、それが"無い"わけじゃない。
見えないと何故か"無い"ような気がしてしまうけれど、誰だって色々持っているんだって、つい忘れそうになる。
SNSでは複数アカウント持てるし、そこで何を見せるか、どこまで"自分"でいるかの取捨選択ができる。
良くも悪くも、"表だけの自分"を作ることができる。
対面での実生活での人間関係より、SNSでの人間関係の方が、そういった見えない色々なことを余計に忘れがちになる気がした。
「note書いたよ」って呟いてくれるフォロワーさんを、一方的にこっそり読むだけなのは、何だか申し訳ないとは思っている。
スキつけるのも、一旦このアカウントをログアウトして「非登録ユーザー」からにしている。
noteってスキ押したら誰が押したかわかる仕様で、それが良いところであり、少し困るところであり。
私が一方的に読むだけなのも、好き勝手こうやって書くのも、全然まったくフェアじゃないとは思う。
でも、何だろう。
本当にごめん、申し訳ないとしか言えない。
既に見つかっちゃってる人もいるので、もう完全にクローズドではなくなってるのだけれど、
私のnoteとTwitterは、一応 別々でいたい。
"表だけの自分"を、もう少し演じていたい。っていう、自分のわがままなのかもしれない。
相変わらず、自分は面倒くさいやつだなって思うけれど、それを"表"で呟くのはまだ先でいいんじゃないかと、自分を甘やかしている。
SNSだもの。
自分自身のことくらい甘やかしていこう、って気持ちでいきたい。
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