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「典型」を疑え。不登校関連講演の記録

魅力的な講演にリアルタイムで参加できなくても、いつでも録画視聴できるのは本当にありがたい。

2つの素晴らしい講演の忘備録です。1つは、多様な学びプロジェクト↓

もう1つが、「びーんずねっと」↓


どちらの講演も、不登校、オルタナティブスクールを経た当事者の声が聞けて、更に気持ちが軽くなりました。

「小・中・高に通わずに大学へ行った娘と母が伝える、子どもの能力が自然と伸びて子育てが楽になる親子のあり方」

詳しくは、ぜひ本編を観ていただきたいです。

「多様な学びプロジェクト」

https://www.tayounamanabi.com/

「とまり木サロン」
https://peraichi.com/landing_pages/view/tomarigi-online

から申し込めるのでは?と思います。


特に、「小中高通わずに大学に行けたのは、”地頭”が良かったからでは?」の質問への回答が、すべての核心を突いていると思いました。

子どもは、問題解決能力を生まれつき持っている。
大人がその力を奪わなければ、頭のいい子のまま育つ。


他にも、不登校の子どもの進路をどうしても心配してしまう自分が嫌だ、と訴える保護者に

目の前に山(受験、就職など)があっても、「登らなくて”も”いい」
迂回したり、トンネルを掘ったり、逆方向に行く方法もある。

子どもとなかなか「横」の関係になれずに悩む保護者へ、

子どもの前で、もっと泣いていい。ダメなところもさらけ出してみる。「今日こんなことあって嫌だった!」と、もっと親子で話していいんだよ。
好きもOK!嫌いもOK!
「思っていることを話してもいいんだ」と子どもが思えると良いかも。大人も気持ちを伝え合おう。

「先生」や「母親」の役割が一人に限定されている状況は、子ども同士が切磋琢磨して成長する妨げになる可能性がある。

そんなときは、自分を「ママ」と呼ぶのは辞めて、「ワタシ」に変えてみる。

役割の名称を外していく。

など、お母さまのよっぴーさんの経験、深い学びと観察から発せられる言葉に、終始うなずきながらの2時間半でした。

また、「学校に行かないことが不安」という子どもに、どうしても過干渉になってしまうというような相談には、

「不安」はその子にとって必要な過程。安心して不安の中に入れるようにしてあげる。家の中で不安に浸れると、人生が豊かになる。他の人の気持ちが分かるようになる。

例えば、

文学作品を本棚に入れておく。

そこからいくらでも学べるし、文学の中に自分を見出し、人の気持ちも想像できるようになる。

温かく、「あなたの人生だから、あなたが決めて良いんだよ」と伝える。

「自由」と「責任」は本当にセットなのか、今一度考えてみてもいいんじゃない?など、不登校と哲学は、とても相性がいいと改めて思いました。


『小中9年間不登校だった私が考えていたこと』

こちらの講演は、リアルタイムで少しだけ参加できました。途中からでもスッと、でもグッと惹き込まれるお話です。

スピーカーは、インタビュー集にも載っている松井麻実さん。

子どもを取り囲む家族や大人、環境が「安定している」ことによる「空気」と外部の「空気」を入れる土台があれば、不登校当事者は動き出す。
周囲が「リラックス」していると、子どもは「これをしよう!」と思えるのでは?

確かに。「いつ学校に行くのか?」「いつ勉強し始めるのか?」と言葉にしなくても、親がそう思っている空気感は絶対伝わる。

学校に行かなくなってから、家が安心安全な居場所になるには数年かかったとおっしゃる麻美さん。興味深かったのは、

真面目で完璧すぎる母親に感じる「孤独」

が、その一因だったということ。

言わないことによる圧力。無言の圧力は、子どもにどこまでもどこまでも悪い想像をさせてしまう。

例えば、親が黙ってテーブルの上にコップを「ドン」と置くとする。子どもに「どうしたの?」と聞かれても「・・・何でもない」と答える。

親しい関係だからこそ、言わなくても察してほしい気持ちになってしまうけれど、そういうときこそ気持ちを言葉にすることの大切さは、このエピソードで十分すぎるほど伝わる。

また、精神科で診察を受けていた時期は、

病院の相談に連れて行かれると「ミッションを課せられてる」と感じていた。

親の良かれは大迷惑。

必要な通院の方が多いけれど、子どもたちを見守る上で、この視点は忘れてはいけない。

学校と家庭に関するお話の後、「今」の活動に沿ったお話も。

フリースクールで「できる!」より、不登校やフリースクールとは全然関係ない「場」で「評価」を得られることが自信につながった

と話されていたのがとても印象に残っています。今活動されている「あさごはんダンサー」についても


小学校〜中学校の9年分を取り戻しながら、今まで見てきた景色をアウトプットしている。

私が同じ年くらいの頃そんなことが言えたかを考えると、自分がいかにレールの上を歩いてきたか(ときには歩かせてもらっていたのだろうけれど)がよく分かります。

2つの講演で共通して思ったのは、「典型」を疑え。

今まで受けてきた学校教育、常識、当たり前を、もう一回目の前に持ってきて、「本当にこれは合ってるのかな?これでいいのかな?」と再考する。

その過程が、子どもと向き合うことなのかもしれないと思った講演でした。


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