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旅の本とこころ残りと

 旅に出る前に本を選ぶのが好きだ。なるべく行き先に絡むものがよい。文化とか歴史とか。かといってエッセイじゃ軽すぎるし、物語は中に入れなかったときのことを考えると逡巡する。旅行記は持たない。物の見方に影響するから。読みかけで興がいってる本はすぐに読み終わってしまうからやめよう。長いフライトで本を切らした時の無為感はやるせない。でも哲学書なら高度進行中は眠り薬よりよく効く。ハードカバーは重いので文庫かな。Kindleは対象外だ。

 なんてことをウダウダ考えつつセレクトするが出発前の2週間はあれこれ考えてリストアップしたり入れ替えたりまた戻したりが続く。最初は数ある積読本から選ぶ。候補は何冊もあるが何かがちょっと足りない。本は買った瞬間が1番読みたいときだなんてどこかで読んだが、読み始めれば楽しいはずだけど、買った時の新鮮さが薄れてる。なんてことで結局本屋めぐりもしてしまい、新しい本も増えてしまう。

そんなこんなでリストに残ったのがこちら。10日で4冊。今回は家族と一緒だから少なめにした。

「人間の大地」サン=テクジュペリ
(副読本 Kindle 
« Terre Des Homme »
Saint-Exupéry 

「おぱらばん」堀江敏幸

「英国に就いて」吉田健一

「イギリスの旅」宮崎昭威

パリ、ロンドンの旅だからフランス2冊とイギリス2冊

なんだかんだ迷った末に読みかけの小説とエッセイ二つ、旅の本という、選択除外項目を含む本を何度かの取捨選択のすえ選んでしまう。この人間という物のいい加減さ。しかも1番実用的なイギリス鉄道旅の本はスーツケースに入れ忘れた。

そして旅から帰える。何を読んだかと告白すると「おぱらばん」を半分読んだだけなのだ。

「おぱらばん」はフランス文学者が書いた小説かエッセイか分類
の難しい作品で、著者のフランス滞在中の出来事を起点としてフランス人作家その人や作品とを行き来する濃密な短編を集めている。

今回パリの旅はロンドンの娘に会いにゆく過程に無理矢理詰め込んだ短い滞在だった。ゆえに、欲張りなプランとは裏腹に行けずじまいの場所が多かった。

そのひとつが郊外(banlieues)、
パリでは近年社会問題のキーワードとなっている感のある言葉だ。移民が多く暮らし治安が悪いとされている。数年前のパリ暴動の起点となった。レ・ミゼラブルというユゴーの小説の題をそのまま取った刺激的な映画は、実際の事件をモデルとした少年たちと警官隊の対立を描き、郊外モンフェルメイユを舞台としたいる。フランスラップを扱った「魂の声をあげる」(陣野俊史)も郊外がラップ音楽の発信地だ。サッカーのスーパースターエムバペも郊外出身でありアフリカ移民の子のサクセスストーリーは若くして伝説となった。先日観た映画「パリ13区」(原題Olympiades)はまさに郊外に住む中国移民3世とアフリカ系彼氏が主役だ。そんな郊外が世界の結節点のような気がして気になっていた。しかし治安が悪いと評判の場所に家族を連れてゆくわけにもいかず今回は断念した。

さてあっという間に帰国を迎えるのだが、肝心の本のほうはというと、「おぱらばん」をランダムに読んだだけだった。あんなにアレコレ迷った末に選んだのに、ほかの本は未読のまま持ち帰ってきた。まあそんなもの。飛行機もすぐ眠くなっちゃうしね。

でも「おぱらばん」に収録されてる短編はどれも秀逸だった。マルシェで洋梨を盗んだ少女めぐる話だったり、小説に描かれた河馬を探す話だったり、自死した詩人の話だったり、どれも今の自分と本の世界が時空を超えて交差する言葉のラビリンスばかり。不思議とその異世界が同じ手触りなのだ。

でもなぜか巻頭にある表題作はとっておいた。結局読んだのは帰国後だったのだ。そして驚いた。これこそ郊外の話だった。パリ13区オリンピアード、そこには都市開発に失敗した構想アパルトマン群が並び、中国系移民が多く住んでいる。ベトナム難民やカンボジア難民の頃に移民が急増したそうだ。ベトナムもカンボジアも元フランス植民地で、難民はその地に住んでいた華僑が多かった。そして世界の街で中国人が増えればチャイナタウンができる。作品の語り手は格式ばったパリのレストランを逃れ、中華街の安食堂に家族で通っていた。その街である中国人の老教授に再会する。彼がしゃべるフランス語によく出てくる言葉が表題の「おぱらばん」auparavant だ。古い言葉で現代の会話では多く使われない語らしい。しかし注意して聴くと彼の周りの中国人も使っているのだ。おぱらばんは彼らが使い回す先輩が作ったお手製の中国語フランス語訳単語集に掲載されたものだったのだ。古い知恵が息づいている。言葉は変遷する。新しい人も入ってくる。でもテキストは残ってる。なんか暖かい。郊外banlieues という言葉の持つ単一的なイメージとは異なる豊かさが息づいている。

なぜに私は旅先で読まなかったのだろうか。今すぐパリに戻りたい。でも行くとなるとまた本を選ばなきゃ。

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