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「蹴りたい背中」: 綿谷りさ から繋がる人と人


「蹴りたい背中」は、綿谷りさの芥川賞受賞作品です。
ある一瞬をギュッと収縮させて、意味不明な感情をこんなにリアルに見せてくれるって凄い!…と言う小説でした。


蹴りたい背中 (河出文庫 わ 1-2) https://amzn.asia/d/fMyBy5u


でも、
「なんで蹴りたくなったのか、俺には分からない。」
と、二十年来の男友達が言ったんです。
「分からないかもね〜。」
と私は思いました。

「蹴りたい背中」の主人公の女子高生が知り合った、周囲からちょっと浮いた高校男子。適度な優しさを持っていて、それなのに周囲から意地悪されて、それでもニコニコ過ごして、女子高生にも優しい…。
それで、なんで背中を蹴りたくなるの?

私は、その二十年来の男友達に同じ感情を感じた事がありました。

「私もあなたの背中、蹴りたい衝動に襲われた事があるよ。」
とは、言えませんでした。

どうして蹴りたいと言う暴力行動が頭に浮かぶのか?
歯痒くて、体の底からムズムズして、お腹の底から湧き出る衝動。
それが何なのか、さっぱり自分でも分かりませんでした。その分からない衝動を「蹴りたい背中」は、リアルに目の前に見せていたのです。

今だって、その衝動の意味は分かっていません。
ただ、人間というものは、ある条件が重なると、自分の押さえきれない衝動が発令するものなのだ…と、知ったのです。

人間て、面白いですよね^_^

その二十年来の男友達ですが…。
異性ながら、ずっと、
『友達』
以外の感情を持った事がありません。
ご飯に行ったり、美術館に行ったり普通にしますが『友達』です。
無茶苦茶困った時や、落ち込んだ時に連絡をしたりしますが『友達』です。

二人で出かけていると、
「ご夫婦ですか?」
とか、若い時は聞かれたりしました。
「はい」
と、間髪入れず答えていましたが、男友達は「え?」って顔で見ていました。

「だって面倒臭いでしょ?」

と、男友達に言いました。
男女でいたら、カップルか夫婦か愛人関係。
そんなの大いなる固定観念です。
30年一緒にいようと、100年一緒にいようと、『友達』は『友達』です。

男女の友情は成立するか?
なんて、疑問さえ浮かびません。

家族、親戚、親友、友達、同僚…。
色んな人と人との関係があります。
だけどその枠は、人と人により色んな状態なんじゃないかなぁと感じます。
人と人のその外側に、新たなる登場人物が現れ、そこに説明をするために、関係性を説明する言葉が必要になるのですよね。
固定化されたその枠があると、人は安心出来るから。

では何故、男友達を『友達』と宣言出来るのか?
思うに、匂いです。
遺伝子が近いほど匂いを臭いと感じる実験はご存知でしょう。

誤解を避けるため、その男友達がクサイ臭いをさせているわけではありません。
特に匂いを感じる訳でもないのに、
「匂いが苦手」
と感じるのです。

恐らくですが、男友達と私は遺伝子が近いのだと思います。
私たちが出会ったのは、絵のグループ展に一緒に絵を出品したからでした。
スポーツも好きだし、何かを作るのも好き。物理現象を観察するのも好き。
そんな共通点からも、遺伝子が近いと感じるし、一緒にいても楽しい。

でも、楽しいだけではダメで、付き合ったり、結婚するには遺伝子の遠い、いい匂いと感じる人でなければならないようです。


もしかしたら…ですが、
共通点が多い男友達の背中を蹴りたい衝動に襲われたのは、自分の姿を男友達に見たからかもしれません。

「そんないい人なんかもう辞めなよ‼︎」

そう言う、魂の叫びだったのかもしれません。
普段、自分に衝動的な感情があるなんて思いもしませんでした。

「他人なんてどうでもいいじゃん。
 自分の事、大事にしなよ。」

と、魂が叫んでいたのかも…。

男友達が永遠に『友達』なのは、
自分の写し鏡だからなのでしょうね。

これからも宜しく。

と、改めて思う次第であります。






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