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77年前彼女が見た世界と私が見た世界は同じだろうか?

3・11のその後1ヶ月、
これからどうしたものか考えても、
答えなんか出ませんでした。

即決して自主避難する人を見て、
次々、自主避難する人が増えると、
街の建物は変わらないのに、
どんどん街は静かになって、
自衛隊のトラックだけが増えていきました。

暫くして私も友達の所に行きました。
その時の事、
知り合いが遊びに来て、

「私は子供の時、広島で原爆にあってるのよ。
でも、元気だから大丈夫よ。」

と、笑って言いました。

私はその知り合いが被爆者だと初めて知りました。
笑顔の奥のその歴史…。
私には想像もつきません。

この国は二度も原爆を落とされ、復興したんだ。
復興、出来るんだな…。
復興は可能なんだ…。

そして、自主避難をやめました。

もうあれから12年。
初めの方は月命日を数える様に、次は1年毎を数える様に…。
そしてまるで何もなかったかの様に生活しています。
ある日、何かをきっかけにふっと思い出すのです。

原爆投下から77年。
…77年?
遠い過去です。
知り合いは77年被爆者として生きたでしょうか?
きっと何かをきっかけに、
自分は被爆者と思ったのではないかしら?


震災で学んだことは沢山あります。

転んでもタダでは起きない図々しく逞しい私ですから…。

ふと、思う時があるのです。
私は地球初来日で、何もかも珍しくて仕方ないのかも…と。
まぁ、ここは余談です。


震災で学んだことは、
おじさん達の言うことをアホの様に信じてはいけないって事です。
知りたい事は自分で取りに行かないと…。
自分で見つけた情報に、
ここには書けない「それいいの?」もありした。
言っちゃいけないことはたいてい正解だ
…と言う、最近のキャッチコピー、的を得てますね。
ちゃっかり、その資料を展示したのですが、
それに誰一人気付く方はいませんでした。
それだけ、人はちゃんと見ないのです。
例え、目の前に置かれたとしても…。

データで誰かが導き出した考察を鵜呑みに出来ないという事です。
そこには、明らかに見えているのに、
隠されてしまっている事があるものです。

そんな隠されたデータがあろうと世界は平和に過ぎて行きます。
…きっと、それでいいんだと思います。
この世界は、正解を求めている訳ではないのでしょうね。
不正解でもまかり通る…。
色んな事を気にして生きる必要はないのでしょう。
第一、それでは疲れてしまう。
でもね、私は真実を知りたいと思ってしまいます。
真実なんかないのだろうけど、それに近いものを。

そんな事を考えていたら、
「私は子供の時、広島で原爆にあってるのよ。
でも、元気だから大丈夫よ。」
と言った、女性から電話が鳴りました。
慌ててスマホを取り出し通話を押すと、
「プー プー プー」
と、もう切れています。
その後、彼女から電話が来ることはありません。
チョットつうじただけ?
そんな感じがして、私もかけ直していません。

7歳の時に被曝し、戦後77年だから…。
84歳?
凄い。
最後に会ったのは7年前。
もう随分会っていない。
まだ、車を運転してるんだろうか?

12年前、ひしめく自衛隊の車を見て
「まるで戦争だな…。」
と思ったけれど、
彼女が77年前見た世界と同じだろうか?

真実なんて、人の数だけあるんだから、
きっとどうでもいい事なのだろうとは思うのです。

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