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本を巡る旅 ⑴ 環境編



本を巡る旅は、思わず長旅になったので、⑴は本を巡る旅で見えた、現在の環境。

これが、良いとか悪いとかではなくて、こんな世界です…と、ただ見えたものを綴りたい。

きっと、色んな意見があって、誰もがモヤモヤするけど、答えを口にしない気がする。
口にしなくても、そのモヤモヤを忘れないでほしいと思う。



それは、288号線から小高町に向かう本の旅。

以前その道は、放射線量が高くて通ることが出来なかった。
沢山の除染作業員の方が除染を行い、通行可能になったけど、数年前まで窓を開けて走る事はできなかった道。
念の為、今も窓は閉めたまま通過している。

途中、大柿ダムがあるのだけれど、自然がとても綺麗なんですよ。

大高町への途中に、希望の牧場はある。




原発事故の際、帰還困難地域の牛や豚などの家畜は殺処分された。
数字は分からないけど、放射能汚染された動物達が沢山殺処分されたのだ。

でも、この希望の牧場の吉澤さんは、殺処分する事なく、牛達を飼い続けた。
他の牧場の牛も受け入れた。
育てても、売る事は出来ないから、全て自己負担になる。
政府の指示に従わない吉澤さんに援助の手は差し伸べられない。

吉澤さんが牛を殺処分しない理由は、
「俺は牛飼いだから牛を飼う。」
と言う、とてもシンプルだけど、
みんなが見ないふりをしている本来の原理を突きつけられた気がした。


そして、作家の森絵都さんがこの本を書いた。



私は尋ねるたび、数冊買って、知り合いに配っている。
だから、自分の手元にはなくて、今回もまた、この本を買うために牧場を訪ねた。

毎回、吉澤さんと話しをするのだけれど、今回は先客がいて話せなかった。

でも、尋ねた前日、汚染水放出が行われた。
「汚染水だって放出したら、また、海を汚す。」
と、吉澤さんは言っていた。

トリチュウムは水性だから、水と分離はかなり困難。汚染物質を取り除き放出と言うけれど、全ての汚染物質を取り除けるのか?
地球の七割は水だから、放出しても薄まると言うけれど、平均的に薄まる事は出来るのか?
そして、本当に、基準値を超える魚は水揚げされていないのか?


答えは不明だ。


牛達を見ると、以前より元気そうに見える。
「交配して生まれたのがいる。」
と、吉澤さんは言っていた。



何とも長閑で、ずっと眺めていたい気がする。


原発事故から12年経ち、新たな問題が起こっていた。

放射能汚染された牛を飼っている限り、売る為の牛を飼うことが出来ない。
つまりは、放射能汚染された牛を殺処分し、牧場を除染しない限り、吉澤さんは牛の飼育で収入を得る事は出来ないと言うことだ。


汚染水放出はいいけど、牛の畜産はダメ。
…そうなんだぁ。


でも、それよりも、以前から疑問に思っていることがある。


殺処分されるのと、屠殺されて食肉になる違いは何だろう?
牛達にとっては、同じじゃないのか?

放射能汚染され、吉澤さんに飼ってもらえた牛達は、実はラッキーなんじゃないだろうか?
吉澤さんの苦悩は、この先ずっと続くだろうが。
誰もが、その苦悩を背負いたくないから、片目を瞑って生きるのだ。

そもそもが、家畜とは…。
大草原の牛を一頭仕留めるのとは違うハズ。


それらの答えは知っていても、答えを出したいとは思わない、そんな感じ。

それら全てに「ノー」と言える日は来るのだろうか…。

だけど、少しだけ罪滅ぼししたいから、「希望の牧場」の本を買って、知り合いに配り続けている。

そして、
「牛飼いだから牛を飼う」
そのシンプルさと強さが好きなのだ。



大熊町の6号線を走っていると、1.2マイクロシーベルト/hと、線量計が表示されている。
基準値は、0.23マイクロシーベルト/h。
きっと知らない人は、窓を開けて走っている人もいるだろう。かなりの高線量。
ふと、noterさんが、知らずに窓全開で走ったと書いていたのを思い出して笑ってしまった。
表記もないし、以前よりバリケードも減ったので、気付かない人も多いと思う。
そんな事を考えていたら、なんと自転車で通過している人がいた。
…やるね。


2023.9.27(水)
長崎市長が、汚染廃棄物処理場視察を拒否。
拒否する権利はあると思う。
汚染物質の拡散をする意味はあるのだろうか?


この世界を汚し尽くす根本はお金じゃないのか?と、思う。
とても穏やかに過ぎて行く日常の見えない所で、何かが歪んでいくように感じてしまう。
歪みは新たなる何かを連れてきて、その時には遅いのかもしれない。
歪みっぱなしではいられないから、それも仕方ない事なのだろうと、穏やかに思えるのは何故だろう?
きっと、破壊と再生は繰り返すと何となく理解できるからかもしれない。

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