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背鰭と青睡蓮の3つの殺人 -1

「薬王寺さん?」
懐かしいような声が聞こえ振り返った。
そこには彼女の姿が…なかった。
遥か先まで名も知らぬ雑草が広がる一本道に僕は立っていた。

朝の8時に特急列車に乗り込みここまで来たが、既に太陽は別れのサインを送っている。
今晩のところは宿に泊まり、付近の散策は明日にしよう。
声のした方から体を向き直し目的の宿に向かった。
底の厚いシューズを買ったはずだが、足の裏は疲労のせいで焼けるように熱い。
太陽がオレンジ色の輝きを放ち始めたころ、僕は宿に着いた。
風情のある民宿などではない。
4階建てのビジネスホテルだ。
建物の外壁にはあちこちひび割れを補修した後が薄暗い中にもはっきりと見えた。
こんな辺鄙な町にも出張する人間がいるのか。
人の良さが取り柄といった初老の受付嬢から部屋の鍵を受け取り、部屋の番号を確認する。

『403号室』

よし、憶えたぞ。
これまた古いだけで味も素っ気もないエレベーターに乗って目的の階へ向かう。
「薬王寺さん?」
エレベーターの天井から声が聞こえた。
幽霊か耳鳴りか、どちらか知らないが今は横になりたかった。
僕は荷物を引きずって4階で降りた。

以前、出張で訪れたホテルを思い出す、これまた味も素っ気もない鉄扉に403と印字された鍵を差し込みガタンという音を確認して室内に入る。正直開かずの間でも開けたような音だった。

荷物を玄関に置きっぱなしにして寝返りしたら落ちそうなベッドに横になる。味も素っ気もないだって?出張で泊まるようなビジネスホテルなんて、そんなものだろう?自分にツッコミを入れている内に睡魔が足先から広がっていく。自分がトーストになってバターを足から頭の方に向けて塗られている感じだった。やがてバターは脳みそを覆って意識がプツンと切れた。




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