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呉子を知る

皆さまこんばんは、弓削彼方です。
今回は前回ご紹介した孫子に並ぶとされる、呉子とその作者である呉起についての解説です。

もっと詳しくが知りたい方は、動画も一緒にご覧ください。


呉起と言う人物についてお話します。
孫武よりも百年ほど後の時代を生きた人物で、魏の国の文侯とその子の武候に仕えました。
後に武候に疎まれ、止むを得ず出奔して楚の国に渡り悼王に仕えました。
呉起は将軍としてだけではなく政治家としても優れ、楚の国を中央集権型の国に作り替える改革を進めました。

しかし悼王が死去したすぐ後に、呉起は殺害されました。
先の中央集権型の国作りのせいで利権を奪われた者達が、呉起を恨んで殺害してしまったのです。
呉起を失った楚では中央集権型国家への改革が後退し、徐々に国力を失っていきます。
呉起の行った改革は必要なものでしたが、当時はまだ理解されず悲しい結末を迎えました。

その呉起が書いた呉子の内容ですが、呉起が武候に兵法を説いている対話形式の部分と、呉起の言葉を書き残した部分の二つが入り混じっています。
直接戦闘に関することよりも、内政や君主としての心得、兵士の訓練や部隊編制など、戦争が始まる前の段階に関する内容が多めです。
具体的な話が多いので、初めて兵法を学ぶのであれば、孫子より理解しやすいかもしれません。

呉子は孫子と並ぶ優れた兵法書で、中国の戦国時代末期には「家ごとに孫呉の書を蔵する」と言われたほどです。
それほど広く普及し、当時の人が親しんだ兵法書なのです。
孫子を学んだ上で、もっと戦争が起きるより前の訓練や準備について知りたいと思うのであれば、呉子を学ぶことをお勧めします。

要点のみですが、以上が呉子と作者の呉起の解説となります。
それではまた、次回の講義でお会い致しましょう。

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