ふと目を覚ますと、トバリは知らない場所にいた。足元の床は、水面のような柄で心なしか揺れているような気がする。

「……あぁ、夢か」

　そう思った途端、体が自由に動くようになった。トバリは自虐気味に笑う。

「化け物も夢は見るんだな。まぁ、出口でも探すか」

　水面のような床を歩くが、水が跳ねる音はしない。何とも不気味だが、夢なんてそんなものかと納得させた。

　しかし、歩いても歩いても景色は変わらない。時間の流れは分からないが、10分くらいは歩いた気がする。足を止めた瞬間、背後から声がした。

「やっと見つけた。歩くの早いね」

　全く気配を感じなかった。慌てて振り返ると、金髪の少年が立っていた。見覚えがある気がするが、何故か顔が見えない。黒塗りになっているように見えるのだ。

「……誰」
「やっぱり、覚えてないよね」

　よく見ると、金髪の少年も自分と同じ服装をしているようだ。ただ、少年の真っ黒な学ランは、返り血で汚れている。

「返り血が」
「あー、着替えられなかったんだよね。この血、誰のか分かる？」

　金髪の少年が訊く。無意識にトバリは答えた。

「両親の血。やっぱり、包丁で刺したのが悪かったかな。返り血で汚れたもんな」

　そこまで言い、トバリは目を見開いた。何で知ってるんだっけ。口を押さえていると、少年が近くに寄ってきた。

「よかった。完全に忘れたわけじゃなかったんだ」

　思わず、トバリは後ずさりをする。目の前の少年が、得体の知れないものに見えたのだ。

「お前は、何者なんだ。僕の中の誰と、どんな関わりがあるんだ」
「僕は、▇▇▇だよ。君の中の君自身……って言っても、分からないよね」

　少年は自分の名前を言ったらしいが、トバリは聞き取ることができなかった。呆然としているトバリに、少年は言う。

「それにしても、大きくなったね。蝶が増えてる」

　トバリの体は、黒い蝶で構成されている。蝶というのは、魂のことだ。トバリは決して浄化されることのない黒い魂が、集まってできている。

「そのせいで、僕のことも忘れたんだね。嬉しいような、悲しいような……」

　トバリは少年を見下ろして、少し低い声で言った。

「質問の答えになってないだろ。でも、もういい……ここからは、どうやったら出られる？」

　少年はどこか寂しそうに、答える。

「すぐに出られるよ。出られるけど、戻ったら、また誰かを呪うの？」
「……それが、僕の存在理由だからな」

　そう答えると、少年の見えない顔から雫がこぼれ落ちた。顔が見えないはずなのに、表情が分かる。

「そっか、そうだよね……ごめんね。僕のせいだよね。僕が望んだから。僕が……この世界を呪ったから」

　少年は、トバリに抱きついた。鬱陶しいはずなのに、何故か振り払えない。

「ごめん。僕も成仏できたらいいのに、できないんだ」

　静かに涙をこぼす少年が、小さな子供のように見える。トバリは、少年に優しい瞳を向けた。なんだか、弟のように思えたのだ。

「……まだ、恨んでるんだな」
「うん」

　トバリは、少年の頭を優しく撫でる。それと同時に、少年は泣き崩れた。

「あいつらは全員殺したのに、気が済まなくて、でも、どうしようもなくて……この世界が壊ればいいって思いながら、飛び降りて」

　トバリの脳内に、少年が雑居ビルから身を投げた様子が流れた。これは自分の中にある記憶らしい。まぁ、誰の記憶で、いつの記憶かは分からないが。

「そのせいで、君は……」
「僕は何ともないよ。それに、僕がこんなことをしてるのは、お前のせいでもない。僕の中の全員が、望んでいるからしてるだけだ」

　トバリを構成するそれぞれが、この世界を呪っている。だからこそ、トバリは呪い屋をしているのだ。

「でも、お前が成仏したら、僕は消えるんだろう。僕的には、その方が困る」

　この少年がどんな存在なのかは分からない。ただ、心臓のような存在なのではと感じたのだ。トバリが言うと、少年は笑い声をあげた。

「あはははっ。でも、成仏するまで何百年もかかるかもよ」
「別にいいだろ」

　くすくすと笑う少年。トバリも安心したように微笑んだ。

「じゃあ、そろそろ消えるね。そしたら、帰れるから」
「分かった」

　少年は、トバリから離れて涙を拭った。

「ごめんね」
「……またな」

　溶けるように、金髪の少年は消えた。少年がいなくなった瞬間、意識が暗転する。

「ありがとう……」

　掠れた声で呟きながら、トバリは目を覚ました。何故か、ぽろぽろと涙が零れている。

「変な夢だ」

　涙を洗い流そうと、洗面台の前に立つ。黒い髪の隙間から、金色の瞳が覗いている。その色はまるで……。

「さてと、今日も依頼を受けないとだな」

　学ランにマントを羽織り、学生帽を被る。学ランはもう、血に濡れていない。

「出かけるか」


終