KPIの向こう側にあるもの

会社の活動を動物に例えて見たいと思う。動物は知覚をもち、それに基づいて反応し、エサを得たり、敵から逃れたりする。会社の活動でも同じように知覚を確立すれば、それに反応することで、より多くの利益を得たり、危機を回避したりできるはずである。


会社の活動において知覚できていることとは何か。それはKPI(Key Performance Indicator)である。KPIという言葉が、格好つけて使っている言葉に聞こえたら恥ずかしいことだが、なんということではなく、その会社や部署、チームの活動がうまく行っているのか、いないのかを見るために計測し続けるいくつかの指標のことだ。


売上とか、顧客数とか、顧客単価とか、その会社や部署の運営にとって重要な指標を常に測っておきましょう、という以上のものではない。


仕事をすると日々の実感がある。それは今日は頑張って仕事をしたなあ、とか、今日のお客さんは嫌な人だったなあ、とかそういったことだ。


しかし、そういった実感は仕事に慣れていくことで徐々に薄れていく。嫌なお客さんがいても、慣れれば何とも思わなくなっていく。いいお客も、嫌なお客も同じ1人のお客だ。いいお客の払った1万円も嫌なお客が払った1万円も、同じ1万円だ。


仕事に慣れていくと、仕事の様々な局面の内容は意味を失っていって、ただの数字になるのだ。脱実感によって仕事は数字になる。


脱実感によって数字になってしまった仕事。その数字の中でももっとも主要な数字を集めたものがKPIである。


するとこのKPI、労働者一人一人の実感を失ってしまった数字で、あまり意味がないのではないかと思う人もいるかもしれない。


しかし、会社は組織であり、その組織は多くの人にとって共有できる客観的な情報を知覚しておく必要があるのだ。一方でその客観性ゆえに実感を失った情報でもある。


KPIは客観的かつ継続的に計測されているビジネスにおける知覚なのだ。KPIの運用を始めるには、関係者で何を測るかを合意し、測り方を合意し、レビューのサイクルと参加者を合意することだ。


ビジネスで知覚を確立したければKPIを確立することだ。部署なりチームとしての知覚を確立したければ、それはその部署なりチームなりのKPIを確立すべきだ。他部署との協業についてKPIを確立したければそれは、その協業についてのKPIを確立すべきだ。


そのKPIを定期的にレビューすると気づくことなのだが、KPIそのものは大して深い事情を伝えてはくれないものだ。


それは例えば、売上が下がっている。新規の流入客が少なくなっている。というこの程度の浅い情報だ。焦りはもたらしてくれるが、打開策を考えるためのヒントをくれるようなものではない。反射のトリガーにはなるが、思考の材料はくれない。


だから、ただKPIを列挙してもあまりいいレビューにはならない。「売上が下がったから、頑張って挽回する」ではレビューにならない。なぜ、それが起こっているのか、それが分からないと対策も立てようがない。


よく、「レビューの時にはデータにはインサイトを付けろ」と偉い人に言われるが、KPIそのものからは大したインサイトを導出できないものだ。


だから、KPIばかり眺めていても駄目で、別のデータを取りに行く必要があるのだ。


それは知覚しているものの中には思考の材料は無く、知覚していないものの中に思考の材料がある、ということなのだ。知覚がくれるものはせいぜい思考のきっかけくらいで、ただのトリガーなのだ。


一般にKPI経営とか、ダッシュボード経営とか言われているものはかなりトンチンカンなものだ。少ない指標から経営の判断をできるとかいうのは、インチキの類だと思う。


実際のところマネジメントはデータアナリシスの連続なのだ。KPIという知覚を持ちながらも、その知覚の向こう側にあることを知ろうとする活動が絶え間なく続くものなのである。


KPIという知覚を確立し、運用しながらも、そこで知覚できるものが極めて限定的であることを知り、その知覚の向こう側にあるものを探り続けるという態度が必要なのである。

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