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noteで伝えることの難しさ

noteの毎日投稿を始めて今日で276日になりますが、最近特に文章を書くのって本当に難しいなと思います。どういった所が難しいのか、自分なりに考えたことを書いていきます。


グラデーションは伝えきれない

LIGHT HOUSE(星野源×若林正恭)で「人は極端なものを求めるけど、本当は中間地点のグラデーションの中に答えがある」みたいな話をしていたのですが、この考え方はnoteで発信する時も重なる部分があると思います。

もう少し詳しく書くと、自分がnoteを書いている中で本当に伝えたいことってはっきりと言語化できることの中ではなく曖昧さの中にある気がしています。以前書いた投稿にも似たようなことを書きました。

簡単に説明すると僕は行動力がある/すぐ逃げるけど逃げ足が速い/飽き性/好奇心旺盛など色々な要素が組み合わさって出来ていて、それをもし言い切ってしまうと人により言葉の定義が違うので齟齬が生まれてしまいます。

以前「否定」という言葉について、齟齬が生まれてしまったので、僕にとって嫌いな否定許容できる否定のボーダーを無理やり言語化したこともあります。ただあまり上手くまとまりませんでした。

別の人に別の形で伝わる

この前僕のnoteを読んでいる後輩が「最近充実しすぎて~あまり出来ないんです」というLINEを送ってきました。多分文脈的に「忙しい」と言いたかったんだと思いますが、僕が以前こんな投稿をしたので避けたみたいです。

ただ僕的には忙しいアピールをしてる割に大したことない人にムカついてきた過去があったからこの投稿を書いただけで、別に自分にダメージのない所で「忙しい」という言葉を使われることには何の問題もありません。

僕はたまに自分が同じ過ちを繰り返さないように、ムカついたことをただ記録しておく投稿をするのですが、こういった投稿にはペルソナというレベルではない確実に伝えたい誰かがいます。

結構前の話だし誰にも言うことが出来ないので、仕方なくnoteに吐き捨てているって感じです。それが思わぬ形で別の人に伝わっていました。noteに書く内容は変な形で伝わらないように気を付けなければなりません。

あと多分こういう投稿って中身を誰も覚えていません。タイトルだけが1人歩きして「あの人~って言ってたな」というイメージだけが先行してしまいます過激なタイトルは付けないようにしたいと思います。

おわりに

そもそも大前提としてnoteに投稿したことは「その当時の考え」なので、絶対に移り変わります。それを後から見返されて「前~って書いてましたよね」と掘り返されるのって結構きついです。

じゃあWordにでも自分の考えを書いとけよ」って話かも知れませんが、noteというプラットフォームがあるので毎日投稿を続けられています。SNSの依存性を良い方向へ使えるのはnoteだけかも知れません。

だからといって適当に発信しすぎると、デジタルタトゥー残りまくりです。それによって発信するハードルが高くなってしまうのも勿体ないなと思うし難しいです。とりあえずもっと上手く発信できるように頑張ります

本日も読んでくださりありがとうございました!

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