不登校の子を「何としても学校に戻そう」は大人の怠惰

まず初めにこれは保護者に向けた言葉ではない、ということを前提として伝えさせてください。

不登校の子どもをサポートする支援者やフリースクールを実践する方々の中には「(子どもの意思に関係なく)学校に戻すことがゴールです」という言葉を発する方も多くいます。いろいろな考えがあってよいと思っていますが、私は違和感を感じていたので、それを言語化してみました。

基本的に私は、子どもが学校に行きたいと言えば、それは応援したい派です。でも時々、子どもが学校に対してしんどい思いを持っている、恐怖心すら抱いているのにも関わらず「学校に戻すことがゴールです」という支援者と出会うので、今回それについて言及します。

1.「学校がゴール」は大人の目標。子どものものではない。

結局それって大人の設定したゴールだよなって思うんです。
そこに子どもの意思はないんだよなって。

本人の意思がない目標は、苦しさしか生まれません。
その道を進んだ先にある失敗は、本人のやる気も自信も削いでいきます。
周囲の期待に応えられなかったと、自分を責めるようになります。
「どうせ自分は」と、自分を諦めるようになります。
「なんであいつばかり」と楽しそうにしている他人をうらやましく思うようになります。
「目標を持つ」「自分の意思を持つ」ということに怖さを感じるようになっていきます。

一方、本人の意思がある目標の場合。
その進んだ先に出会った失敗は、学びと達成感の宝庫です。
自分で決めたことだから、失敗しても「できるまで頑張るぞ」とまたチャレンジができます。
その楽しみながら本気で取り組む姿勢に、仲間や応援者がついていきます。
関わる人が増えることで、できることがまた増え、目標が大きくなります。
目標が大きくなると壁にぶつかり、人を頼るようになります。
人を頼ることで、人に頼られるようになります。支え合う関係性が生まれ、それは文化になります。自分を好きになり、他人を好きになれます。

そこに本人の意思があるかどうかで、ここまで大きな違いが生まれるんです。

でもどうして大人は、子ども本人の意思を中心にできないんだろうと考えると

大人が子どものことを信じきれていないんだな、と思います。
子どもには自分で考え、自分で学ぶ力があると信じきれてないんだよなと。

もちろん学校に行けたら、いろんなものが用意されています。
なんでもありますよね。

同級生もいて、先生もいて、教材があり、理科室もあり、調理道具もあり、体育館もあり、運動場があり、部活動があり。人も場所も道具もなんでもある。

でも唯一ないものがあると思っています。

それは、子どもの意思や自由

もっと言えば
子どもが自分で考えて、自分で決めるという体験

公教育でなされている”学び”は、基本的に大人が用意したものであり、そこには大人が用意した正解があります。大人が用意した道を、子ども達に歩かせるものです。
もちろん最近はアクティブラーニングとか、子ども達に体験と考えさせる機会を作ろうという行動の変化は見られます。それでもおおもとのベースは変わっていません。

なぜ「子どもが自分で考えて、自分で決めるという体験」がないのか。
それは学校教育のベースに「子どもたちは、大人が教えてあげることで初めて学ぶことができる」という勘違いがあるからだと思っています。

2.ごめんなさいの気持ち

なんだかすごく嫌なこと言っているな、と思いました。
これを読んでいる方の中には学校現場で働いている方もいるでしょう。
何十年も子ども達の現場に従事し、それぞれの信念があり、頑張ってこられたこれまでがあるでしょう。
そうした方にとって、教員を否定されたような、努力を否定されたようなそんな気持ちになった方がいるかもしれません。
もしそんな方がいたらごめんなさい。

ですが、この記事は現場で働かれている方々を否定するものではないということは釈明させてください。

ここまでで述べている”勘違い”は、現場からある程度距離があるから感じられるものだと思っています。私も学校現場で毎日、何年も仕事をしていたら、疑問を持つことはなかったかもしれません。

大前提として、これは教員個人の問題ではないと思っています。
現場の先生はそれぞれに全力で頑張られています。
人が少ない中、仕事が年々増えていく中で、それこそ寝食の時間を削って教育に奔走されている方が大勢います。
現場の先生方は死にものぐるいです。
むしろリスペクトしています。

ですが、死にものぐるいな日々だからこそ、見逃してしまっていることもあるのではないかと思います。
おそらく教員のみなさんの中には「教員になる前に抱いていたあの頃の気持ち、いつの間にか忘れてしまっていたなあ」という方もいらっしゃるのではないかと思います。
本当はもっと違うかたちの教育を子ども達に届けたいと、現場で違和感をおぼえる方もいらっしゃるのではないかと思います。

そうしたことも含めて考え、私は現場の教員個人が問題だとは思っていません。

3.教育のベストはオーダーメイド

学校教育のベースには「子どもたちは、大人が教えてあげることで初めて学ぶことができる」という勘違いがあります。

まず文科省がその勘違いをしているし、国全体・日本社会全体がその勘違いをベースに子どもと関わっていると思っています。
こんな大それたことを言いながら、私も日々フリースクールなど、不登校の子ども達との関わりの中で、反省しながら取り組んでいる一人です。

子どもの意思に関わらず「学校に戻す」だけをゴールにすることは、子どもの学ぶ力を信じられていないということです。
こんなにも学校がしんどい・怖いと言っている子がいるのに、それでも学校に戻すこと一択でいるのは大人の怠惰ではないかとすら思います。

教育のベストな形は100人いれば100通りの学び方を作ることだと思っています。
学ぶ方法も場所もペースも全て一人ひとりに合わせてつくる。
目の前のこの子が、安心して学べる環境をつくろうとするのが一番です。
オーダーメイド教育です。

学校外のフリースクールやフリースペースなど、学び場・つながりの場をつくっていく上でここの意識は重要です。
それを一切せずにただただ「学校に戻そう」とするのは大人の怠惰です。

いや、もちろん一人ひとりに合わせてって大変なんですよ。
大変なんですけど、それが学校外の場をつくる私たちの使命なんです。

「できているかどうか」ではなく「それをしようとするかどうか」がまず大切です。
それを一切考えずに学校だけをゴールのするというのは、その大変さから逃げているのではないかと。本気で考えようとしていないのではなかろうかと。

ここでふと思いました。
もしかしたら、大人が「私たちにはできるんだ」と自分たちを信じきれていないのかもしれないですね。こんな100人100通りのオーダーメイド教育をつくるなんて、私達にはできないと諦めてしまっているのかもしれませんね。

でも大人である私たちが、私たち自身を信じられていなかったら、子どものことを信じきることはできません。まず大人が自分自身を信じることなんだろうなと思います。

4.親は教育をどんどん外注して

ここまで述べたことは、あくまで支援者やフリースクールをやっている方を考えたときのお話です。

私は親御さんにここまで求めるのは違うと思っています。
もちろんできたらよいのですが、そんなに背負わせたら親御さんがパンクするよなと思っています。
毎日毎日すべての事柄において、子どもに問いを与え、考える時間をつくり、適度に失敗もさせながら、その都度丁寧に対話の時間をつくって、なんていうことは、相当な余裕がないとできません。

だから私は教育はどんどん家庭の外に任せていっていいと思います。
任せる、というよりは、一緒にやってくれる人を探す、という言葉のほうがイメージは近いです。

多様な大人との関わりをもって、子ども達の学びを支えていくことで、学びの質も多様さを保つことができ、関わる一人ひとりの大人にも余裕ができます。
親御さんにも余裕ができますし、子どもも多様な学びを得、さらに頼れる相手が増えていく。だから教育は外にどんどん外注していったほうがよいと私は思います。

親だけで子どもの教育をしようと思わないでください。
親だけで、子どもの成長の責任をとろうとしないでください。
子どもの成長は、社会全体で支えていくのです。
何か起きたときの責任は、親だけで背負わなくていいのです。
だって社会全体に責任があるのだから。

5.子どもの学びは限界を知らない

子どもは、自分で考え、自分で学ぶ力を持っています。
私たち、大人はそれを信じきることが大切です。

大人が用意した道を歩かせているだけでは、子ども達はその道の中でしか物事を吸収することができません。

子どもが自分で道を見つけて歩み出したときには、どこまでも止まることなく突き進んでいきます。「こっちにも道があった」「ここには道がないけど行ってみたいな」と、どんどんどんどん大人の想像を超えて学び続けていきます。

子どもの学びは限界を知りません。

子どもの意思に関わらず「学校に戻すことがゴールです」という価値観を持つ方がいます。その価値観から感じる違和感を言語化するとこんな感じになりました。

その価値観をあなたが持ち、それを共有してくれたから、こうして言語化することができました。貴重な機会をありがとうございます。

子どもを信じきる。
そのためにはまず私たち大人が私たち自身を信じる。

オーダーメイド教育は大変なんですよ。
ほんとにほんとに大変です。
こんなに大きなことを言っていますが
私だってまだまだまだまだできていないことばかりです。
毎日失敗と反省と改善の連続です。

でも大変なことにこそ、大きく変わるチャンスがある。
だから新たな道も切り開けていく。

この社会を変えるのは、私たちであり、私たちが信じた子ども達です。
5年後、10年後どんな社会になっているんだろう。

想像を超える社会になっていたらいいなあ。
それは私たちが子ども達を信じた証だから。

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