なぜお母さんが泣かなければいけないのか

最近、フリースクール開設に向けて
仲間と一緒に動いている。
まだ公募はしていないが
現在も体験的な場は設けていて
口コミで何組が来てくださっている。

「うちの子が…」というお母さんからの
相談も今まで以上に増えてきた。

この間、電話をいただいたお母さんは
最初は冷静だった。


メールで相談をいただいてから
電話することになった。

時間がずれて車中で電話することに。

最初の相談の内容は
「解決するためにこれを協力してほしい」
ととても明確で、悩んでいる様子では
ないように感じた。

メールだけは。

電話の中で、改めてメールにあった内容を
説明していただいた。

こちらとして解決するために
実際に協力できることがあったので
それを提案した。

お互いに細かい状況を把握し合いながら
承諾を得て、一緒に子どもに
関わらせていただくことになった。

その後、子どもの状況を聞いてみた。

お母さんは最初は冷静だった。

しかし子どもの気持ちについて
「あの子は○○だと思ってるんじゃないかと思って」
「あの子のあの行動は○○なんじゃないかと思って」
そんな言葉が多くなるのと同時に
声が段々と弱くなっていった。

弱く、というより、薄くなっていった。
今までの話ぶりとは違う様子。

数分話し続けて。気付いた。

そのお母さんは泣いていた。

声がかすれて、でも変わらず
話し続けていた。

泣いているのを
気付かれないようにする様子はなかった。

でも、伝えなければ、という
強い意志がその言葉の奥に感じられた。

子どもの気持ちについて
どんどんどんどん言葉が出てくる。

止まらない。

「不登校ということが、あの子があの子自身を責める原因になってしまっているんじゃないかなーと」
「本人の意思が、今の学校では受け入れられないようなんです」
「人への恐怖心のようなものを持っているように思うんです」
「親以外に認めてくれる人がいなくて、孤独を感じているんじゃないかと思って」

お母さんは泣いていた。

僕もいつの間にか泣いていた。

くやしかった。

なんで?
なんでこんなにやさしいお母さんが
こんなに子ども想いの
愛情にあふれたお母さんが
こんなに悲しい涙を流さなければいけないの?

どうして?

何がそうさせたの?

お母さんは、誰に対しても怒っていなかった。
誰かのせいにするつもりも全くなかった。

どうしてなの。

この社会はいつもそうだ。

やさしい人が損をする。
人のためを想える誰かが
悲しい涙を流している。

こんなお母さんが
こんな悲しい涙を流す社会は
絶対におかしい。

あってはならないことだ。

お母さんも子どもも
もしかしたらお父さんやほかのご家族も
今も心は泣いているのかもしれない。

みんなが笑えるように
僕は僕のできることで
この社会をつくっていく。

まだこの社会は未熟だ。

どんなに科学が進歩しようと
どんなに経済が発展しようと
この涙があふれる社会は
まだまだまだまだ未熟だ。

今までなかった土壌をつくりあげていく。
やさしさでつながり
やわらかな笑顔で溢れる社会をつくりあげていく。

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