「言いたくない」という子どもの意思を尊重する

不登校支援をしていると
子どもが急に涙するシーンと
出くわすこともある。

理由が明確にわからない時には

「どうした?
話すこともできるし
話したくなかったら
話さなくてもいいよ」

と伝える。
無理に聞かない。

「言いたくない」という
本人の意思を尊重し
「もし話したくなったら言ってね」と
待つ。

「理由が知りたい」は
あくまでこちらの要望。
その背景には「わからない」
という不安が私たちにある。

私たちの不安解消のために
子どもの意思をないがしろに
していいものではない。

思いきり「悲しみ」に
浸ることが必要なときもあるし
時間が経って
自己解決することもある。

あえて「関わらない」支援もある。

フリースクールで
初めての面談があるときには
子どもに対して
「学校で何があったの?」
「何か悩んでることある?」
そんなことを聞くこともしない。

本人が望めばそれもするが
たいてい、子ども達は
「悩みを解決したい」以上に
「安心して過ごしたい」が
まず先に来る。

子ども達の気持ちは、大人の知らないところでぐるぐるぐるぐるまわっている。

家に1人でいるとしんどい。

朝、夕方には家の横を通る
同級生の声がしてビクビクしている。

その声を聞くたびに
「どうして自分はこうなんだろう」
「みんな羨ましいな」
「自分も普通でいたかったな」
「自分はどこかおかしいのかな」
そんな気持ちが生まれる。

学校に行くのもできないけど
家にいるとやることもなくて
何もしていないと
どんどん辛くなるから
ゲーム、YouTubeで時間をつぶす。
でもそれをしていると
親に怒られる。

「またゲームばかりして!」
「学校行ってないんだから、せめて勉強くらいしなさい!」

勉強しようにも1人でどう勉強していいかわからないし、教科書・ワークと向き合うと「できない自分」「周りと違う自分」を感じてしまうから、ますます自分が嫌になる。

でもゲームしてると怒られるし、何もしていないとそれはそれで、と負のループに入る。

子ども達は何をしていても
何をしていなくても
"しんどさ"の闇の中にいる。

"希望の光"まで
キラキラしていなくていい。

でも
"なんかほっこりする"
そんなこもれびのような
かすかな暖かさがあればいい。

悩みや困りごとの解決は
その先にある。

まず安心して生きていられる。
そのベースがないと
自分のしんどさを言語化することも
それと向き合うこともできない。

これは大人ももちろん同じ。
"なんかほっこりする"
そんな感覚を味わえる場所や人に
出会えるかどうかがカギを握る。

キラキラしていなくていい。
"ほっこり"くらいがちょうどいい。

でもその"ほっこり"が
またなかなか難しいんですよね。

せかせかしたこの世の中じゃ
そうそう"ほっこり"は見つからない。

うちのフリースクールは
そんな"ほっこり"する場でありたいなあ、と思いながら運営しています。

次回はそんな場をどうつくっているのか、どう子ども達と関わっているのかについて綴りたいと思います。

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フリースクールミズタマリは、現在小1から中3まで約30名の子どもが利用しています。
フリースクール運営には行政からの補助もなく、運営は常に厳しい状況です。

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