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青山学院大学時代の体育会ゴルフ部での話


世田谷学園中学校→青山学院高等部→青山学院大学時代

最近日本大学のアメフト部が廃部になるやらなんやらのニュースをネットで見かけましたので、彼らのような日本有数のトップアスリートと同じ次元の経験はありませんが、僕自身ずっと自分自身のいわゆる「体育会」の経験でモヤモヤしていたことがあるので、この機会に書こうと思います。

僕は世田谷学園中学校という男子校から、近所ですが共学で全く正反対の青山学院高等部に進学します。私立の中高一貫校から高校受験するというのは、手続きや内申書等決して容易ではなかったのですが、当時の担任の先生の協力もあり何とか無事に受験をして、高校進学をすることができました。

仏教(曹洞宗)→キリスト教(プロテスタント)

僕が通っていた世田谷学園は東京の三宿という場所にあり、最寄り駅が三軒茶屋や池尻大橋という都内の好立地にある学校で、中高一貫教育の男子校で2000年頃から急激に進学校に変化していきました。

柔道の金メダリスト古賀稔彦さん、吉田秀彦さんを筆頭に数多くの優秀な柔道家が卒業生にいる学校でした。当時も高校から1クラスはスポーツ推薦のクラスがあり、柔道、空手、野球の選手のみが在籍していました。

もちろん僕ら一般生徒とは全く違うスケジュールで、午前中に授業が終わり(彼ら曰く睡眠と休養の時間笑)午後は各部活の練習場所で夜まで稽古、練習に明け暮れる。そんな生活をおおよそ365日してるといった感じです。

僕自身はゴルフは週1回家の近所でレッスンを受けるだけで、ほとんど練習はせずだたの「習い事」といった感じでした。学校では空手道部に所属していましたが、幼い頃から慣れ親しんだ剛柔流空手と松濤館流空手の違いになかなか順応できず、先輩との関係も上手くいかなかったので1年も持たずに辞めてしまいました。

正直K-1にあこがれていて、空手出身のアンディ・フグもボクシングの技術を高めて強くなったと知り、通学途中の下北沢にある「金子ボクシングジム」に通いだしました。

中学生の僕には、トレーナーの方が優しく指導してくれるのが、うれしかったし、中学のろくに指導もしてくれない空手部の前時代的でタバコ臭い顧問とは、雲泥の差でした。

ボクシングの基礎を13.4歳で習えたのは、自分自身の格闘技ライフにとってすごくプラスだったし、かなり肥満体系だった僕は中3になる頃には、太ってるという事で同級生らに弄られる事はなくなったし、男子校だったしそんな事言ってくる奴には、習ったボディブローを喰らわせてやってました。

そう、「顔はやめなボディにしな」です。

高校の硬式野球部が全員坊主だった

中学の坊主(僧侶)の担任のクズ具合に嫌気がさし、世田谷学園はバリバリの進学校で、ほとんどの生徒は高校になると部活はそこそこに、大学受験に向かっていく学校でした。正直大学受験はしたくなかったし、高校ではもっと自由にスポーツや格闘技をしたかったのもあり、大学付属校の青山学院高等部を一般入試で受験し、入学しました。

キリスト教で男女共学の全く正反対の学校にいった当初は、まず女子が学校に居るだけでソワソワしたし(笑)生徒が先生にタメ口で話している光景もカルチャーショックでした。世田谷学園では2000年代前半とはいえ、そんな口の利き方したら、普通に殴られるか恫喝されるのが当たりまえでした。

"般若心経と座禅"から"聖書と礼拝"への変化に少し戸惑いましたが、毎日ある礼拝の時間はちょうどいい昼寝の時間だったし、大学受験しなくていい僕はお気軽に過ごしていました。

ゴルフ部はほぼ同好会レベルだったので、入部せずキックボクシングやったり柔術やったり、ゴルフやったりのチャランポランな生活でしたが、ゴルフの試合は高2から出るようになり、中学時代のゴルフの友達にも会えてとても楽しかった覚えがあります。

ただ高校生の時すごく違和感を感じたことがありまして、それは硬式野球部が全員坊主頭を強制されている事でした。世田谷学園ですら中学の野球部は校則の範囲で髪型は自由でした。

青学は過度でなければ染髪も認められており、長さに関しては男女問わず規定はありませんでした。キリスト教教育を謳いジェンダーフリーを進めるといってる学校なのに、野球部だけ坊主を強制しているのです。今思えば”フリ”と”オチ”が効いてるなぁと思います。

青山学院大学学友会体育連合会体育会ゴルフ部

これが青学大の体育会ゴルフ部の正式名称です。ちなみに電話で名乗るときや、自己紹介の際には「青山学院大学学友会体育連合会体育会ゴルフ部の○○です」と言わなければいけないのです。もはや呪文でした。

高校生の時は高ゴ連の東京都大会で4位になったり、団体戦で全国大会に出場したりもしたので、別の大学から推薦のお話はほんの少し(もちろん特待生ではない)いただいてましたが、何の考えもなしにそのまま青学大に進学しました。

1回生のときは新歓で飲み歩いたり、何故かサッカーサークルに所属してみたり、大学もろくに行かずに遊び惚けていたのですが、一応学生のうちに出られる試合には出たいという事で、軽い気持ちで体育会ゴルフ部に入部しました。

練習場所は当時の淵野辺キャンパスの近くの練習場と、藤沢にある藤沢ジャンボという練習場でした。ここはとてもいい練習場だったのですが、学校から遠く、当時の自宅からは1時間半くらいかけて通わなければなりませんでした。

上級生には70台で回れる人が2人いて、それ以外は100もまともに切れない人間しかいませんでした。そんな奴らに偉そうに指図されるのは心外だったし、なまじ3歳から格闘技をやってた僕は、よくない考えで幼稚でしたが、いつぶっ飛ばしてやろうかなとまで考えていました。

なんかよく分からないまま6月にリーグ戦には出場して、チームはDクラスからCクラスに昇格しました。

ただやはり部活の奇妙な風習があって例えば

  • 練習ラウンドや合宿の際1年生は打つとき以外は走らなければならない

  • 試合の時にチームメイトがスタートのホールのティーショットを打った後、大声で「セーイ(誠意)!!」と叫ぶ

  • 何かを食べるときは「食べます失礼します」飲むときは「飲みます失礼します」と上級生に断らなければいけない

  • 1人称は「自分」と言わなければならない

まず100切れない人間の前に走っていく意味が分からないし、紳士のスポーツで大声出すのはダメだろ。レイザーラモンHGかよ。あとなんだよ誠意って羽〇研二かよ。生命維持のための栄養補給をなぜ断ってしなきゃならねぇんだ。自分で買った水だボケ。

みたいに思ったのと、単純にキショかったので何も告げず試合後は部活を離れました。今思えばここがトラブルの発端だったのですが、18歳の僕にはこんなゴミたちに上辺で繕うことが出来ませんでした。

その後夏休み期間中はオーストラリアに短期でゴルフ留学をして、冬は宮崎のフェニックスで合宿したり、ほんと今考えると贅沢なことを両親にはさせてもらってましたが、2年目の春に学生の試合で練習の成果を試したいなと思い、そのためにまた、ゴルフ部に戻る必要がありました。

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