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答えはずっと外にあったから

答えはほとんど自分の中にあります。
タイトルと真逆なことを冒頭から始めていくわけですが、
これまでずっと答えは外にあった時代が長かったという意味です。

頭を使わないで仕事をしている人が多い。
いざというとき、自分で考えて動ける人がすくない。

いわゆる「勉強」も、ずっと答えを探してきたが、
現実社会に出たときに、ほとんどのことに答えは用意されていないことが多いにもかかわらず、誰かが用意した「答え」を見事に回答できる人が優秀とされてきた

これが今現在感じる学歴社会の弊害だろう。


じゃあ、教育が悪いのか?

もちろん、いまだに悪いところばかりであろう。
そもそもの話だが、
残念ながら教員となる人がそれほど今の価値感における”優秀”ではない。

反論あります?
地元の学校の先生に東大や京大卒がどれくらいいますか?
多分、塾の講師をしている人の方が名門大学出身者は多いと思うんですが。。。
もちろん、偏見ではあります。調べたことは無いので。

僕の知り合いでも、どこにも就職できなくてとりあえず教師になった人は何人かいたけどね。

だから「残業多くて大変なんだぁ。」って言っているんだと思う。

用意された答えを回答できないは、それは単純にダメ

前提として、ある程度の答えを導き出す能力は必要です。
その上で、社会に役に立つ頭や知識の使い方が別にある。


農民のせいじゃないかという仮説

300年ほど続いた江戸時代
ほとんどの日本人は士農工商の中でも「農」である、農民だった。
だが、今の日本で農業を専業でやっている人はかなり少ない。

皆、働いているが、士農工商で言う「商」をやっている人が多いと思う。
まぁ、武士は…自衛隊とかですかね、工は職人さんでしょ。
その他に当たるのが商人だ。

商人とは、モノを流通させる中でマージンを取って生きてきた。
モノを仕入れて、価値を付けて売る。
今のほとんどのビジネスがそうだろう。

ずっと農業やってきた人たちが、急に商人になっている?
というのは少々間違いのような気がする。

農民はやはり農民で、
国家の都合の良い一律の教育を受け、
農民は農以外の職を持つことが出来た。
いや、正確には農以外での労働者として仕えることが出来た。

農民は、主に米を栽培し、年貢として幕府に納めていた。
特に頑張って生産性を上げても、上げた分だけ幕府に取られるし、抜け駆けしようにも周囲の目がそれを許さない。出る杭を打つスタイルが300年も続いた。

つまり、今現代で、労働している人って、
江戸時代の農民と変わらないということ。むしろ、今は農業の方が自由かもしれない。いわゆるサラリーマンは農民で、一部の経営者などが「商人」だと考えると、人口の比率は実際には変わっていない。

「働かせる側」と「働かされる側」の比率は江戸時代も今もあまり変わらない気がする。


いろいろと自発的に考えることが苦手

まぁ、そうだろう。幕府に言われて年貢を納めてきた。
工夫しても実らない、抜け駆けも許されない。
答えは常に”お上”だった。
今も、常に上司が答えを持っているのではないか?

お上はお上で、そんな答えなんかない。
そこが、経営に通じる。
江戸時代のお上は、幕府に所属するそれぞれの殿様で、
彼らは地方公務員のようなもんだ。
フレキシブルに考えなくてよいように、幕府はルールを決めて守らせた。

だから安定した生活が送られ、天下泰平の世が300年も続いた。


近代になってもあまり変わっていない

Japan as No.1なんて言われるちょっと前だ。
日本は常に、外国に答えを求め続けてきた。

遣隋使・遣唐使まで遡ることになるが、
日本人は、多文化を取り入れて自分たち用にアレンジすることに長けた民族だと思う。これだけなんでも、和風に変えてしまう日本の食文化の恐ろしさよ。
車産業で言えばトヨタはGM、
写真では、富士フィルムはコダック
常に、目指すものがあった。常に追いかける側の立場だった。

ただ、モノがあふれ、多くの人にモノが行きわたった現在。
見本となる海外のモノが無くなった現在になった。

つまり、答えが与えられない世の中になったということだ。
そうすると、真似ばかりしてきた日本、お上の言うことを聴く農民にとって、突然「答えは自分の中にある!」と言われてもそりゃ困るだろう。


まとめ

自発的、自律的に考えて動くことが出来ない背景は、
農民生活が長く、常に外に答えを求めてきた国民性によるものだろう。

それは、農民だった江戸時代だけでなく、
近代日本でもその風潮は変わることなく起こり続けてきた。

ただ、日本の良さは、そこにあるのかもしれない。
外からの何かしらの答えを、自分たちの文化に取り込む能力は高い。
日本食文化のように、取り込んで自分たちがやりやすいように、味わいやすいようにアレンジする能力に今一度フォーカスを当て、
謎の「世界との比較」に惑わされることなく、自分たちの生き方を貫くことも大事じゃないかと思う。

「日本の〇〇はXX位と先進国の中では最も低い」

全部を気にしなくてもいいと思う。
相手の土俵に上げさせられているだけだ。
自分たちの特徴を生かして、
世界で競争するのではなく、オリジナルな面白さを育むべきじゃないだろうか。


頑張れ日本のサラリーマン!!

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