正しさの功罪、チョコレートの効能。

安保法案が可決されるという日の前後、

「争う人は正しさを説く 
 正しさ故の争いを説く
 その正しさは気分がいいか 
 正しさの勝利が気分いいんじゃないのか」

と、歌うCMが流れていた。

気になってその歌を調べたら、
中島みゆきの「Nobody Is Right」という曲だと知った。
その歌はこうも言う。

「正しさと正しさとが相容れないのは一体何故なんだ」

戦争もテロも、正しさを正しさで証明しようとするから、
起こってしまうんじゃないかとぼくはそのとき思った。

アンパンマンからしたら、バイキンマンは悪だ。
のび太からしたら、ジャイアンは悪だ。

その逆から見れば、バイキンマンにはバイキンマンの、
ジャイアンにはジャイアンの正しさがある。

たぶん、アンパンマンものび太もそれをわかっている。

だから、その正しさを完全には排除しない。
そうやって秩序が保たれているような気がする。

そんなぼくはときどき正しさで勝とうとしてしまうときがある。

たとえば、ツマにだ。

夕飯前にぼくがギターを弾いていると、
ツマはたいてい機嫌が悪くなる。

「もうすぐできるからしまって」

と毎度言われ、ぼくは「食べるときしまう」と答える。
するとツマは怒り出して「絶対しまわないよ」という。
そこでぼくはスイッチが入ってしまって、まくしたてる。

用意できたらしまうって。
今までそうしてきたしょ。
たとえば、今まで俺が「やる」って言ったことで、
実際にやらなかったことってどれくらいあった?
ほとんどやってるしょ。そういうのを積み上げて信頼ってできるんじゃないの?
それを忘れてない? 忘れられたら、何を持って信頼を得たらいいかわかんないんだけど。

てな具合に。

ツマは反論しつつ、徐々に反省していくのだが、
そのあいだ、ぼくは頭の中で本当は
「正しさの証明をしたがってるだけだな」
と自分にため息をついている。

もしツマも同じように正しさを証明しようとしてきたら、
ぼくらはきっと簡単に崩壊してしまう気がする。
それに気付いてぼくらは何度もすぐ我に返っては、
「ごめん」と言う。ぼくは言えないときもあるけれど、ツマは「ごめん」と言ってくれる。
それにぼくは救われる。

正しさと正しさは相容れない。

それはどちらも「正しい」からだ。

正しさは自分の基準として持っていることは大事だけれど、
違う正しさに出会ったとき、それを何が何でも排除しようとするのは、
きっと違うことなんだ。

「けんかのあとのごはんはおいしくない」

「そりゃそうだよ、けんかしたんだもん」

と言いながらごはんを食べ、
食後にチョコレートを出す。

ツマの顔が明るくなる。

チョコレートはいつだっておいしい。

これは、正しい。きっと。(カット)

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