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「いつか」を「今」に変える旅。福島・諸橋近代美術館へ


2019年11月下旬のわたしは、自室でノートパソコンと向き合い、職務経歴書を修正していた。

仕事をやめ、絶賛無職期間中。社会人になって初めての長い休みでもある。
土日は予定がある一方、平日は何をすればいいか分からず、戸惑う日も多かった。かろうじて転職活動は続けていた。

11月末までは無職でいよう、と退職時に決めていた。そのタイムリミットも迫り、「ふつうの生活」に戻らなければ……と焦りも滲んでくる。

そんな状況で、急に思い立って、福島にある諸橋近代美術館に行った。

しかも横浜から。日帰りで。



福島県北部にある、諸橋近代美術館

諸橋近代美術館は、福島県北西部・磐梯山の麓にある美術館である。

20世紀を代表する芸術家サルバドール・ダリの作品を常設展示する美術館です。ダリ劇場美術館(スペイン・フィゲラス)、ダリ美術館(アメリカ・フロリダ)に次いで世界で3館目に開館。
ダリの彫刻39点は世界でも類を見ないコレクションであり、生涯の名作《テトゥアンの大会戦》《ビキニの3つのスフィンクス》など油彩絵画も充実しています。

おいでよ! ダリと自然に抱かれた美術館。より引用

5.5万㎡以上ある国立公園の敷地内にある、約2000㎡の美術館。数字だとピンとこないが、美術館としては小規模な部類に入る。

電車の最寄り駅は、JR磐越西線の猪苗代駅。そこから、さらに30分ほどバスに乗る。要は「遠い」。

住んでいる横浜からだと、片道4時間の道のりである。
無職の時期で時間だけはあったが、行って帰ってきたら1日が終わる。

それでも行く意志は揺るがなかった。
なぜなら、タイミングの神様とでも呼ぶべき何かが確かにいたからだ。


「いつか」行きたい場所に行くタイミングは急にやってくる

以前からシュルレアリスム(超現実主義)が好きで、ルネ・マグリットやサルバドール・ダリの展覧会にはよく足を運んでいる。
そのため、諸橋近代美術館の存在は知っていた。国内有数のダリ作品を所蔵する美術館だと。

何より、公式サイトで美術館の写真をはじめて見たときは衝撃的だった。
本当に国内にこんな場所があるのか?と疑いたくなるような外観の建造物。西洋の風景画にも似た景色。

「いつか行きたいなあ」と、日本離れした佇まいの建物写真を定期的に眺めていた。

無職期間中、数年前に書いた「やりたいことリスト」を眺めていると、諸橋近代美術館の名前がふと目に留まった。
普段ならあれこれ理由をつけて行かずに終わるのに、このときは「もしかして行けるかも?」と、風向きが変わった。

興味本位で開館情報を調べる。美術館のあるエリアは豪雪地帯のため、11月末〜4月下旬は休館しているという。

冬季休館の開始は4日後。今を逃せば、翌年4月までは行く機会はない。
カレンダーアプリを開く。すでに入っている予定と照らし合わせると、行けるのは明日だけ。

あまりによくできたタイミングに、とんと背中を押された気がした。


平日の人の流れに逆らい、いざ福島へ

9時前、通勤電車の乗客に混ざって横浜から移動する。
(当時の記録を見ると、家を出る直前まで職務経歴書の修正をしていたらしい。全く覚えていない。)

大宮から「やまびこ」の自由席に乗る。郡山に向かう新幹線の乗客は、スーツを着たビジネスマンが数人いた。観光客らしき人はひとりもいなかった。
郡山駅で在来線に乗り換え、猪苗代駅で降りる。そこからさらに路線バスに乗る。

乗り換えのたびに人が少なくなっていく。都会のざわめきから離れるとともに、気持ちも少しずつ落ち着いていく。
路線バスの乗客はさらに少なかった。人がいた記憶がほとんどない。バスの車窓からは山脈が見えた。

目的地の最寄りバス停「諸橋近代美術館前」でバスを降りると、ふわふわと軽い雪がちらついていた。
スマホで調べたところ、近隣の気温は3度。東京では15度だ。その時点で気分は異国だった。


憧れていた建造物に圧倒された

ちらつく雪以上に、目の前に広がる建物に目を奪われた。

美術館の外観は、頭の中だけにある北欧の知らない国のような静謐さ。絵画のようにも見える。
国内に本当にこんな場所があるのか……と何度も感嘆した写真。その写真そのままの風景が広がっている。

中世の馬小屋をイメージして建てられた美術館は、言われてみればリッチな厩舎にも見える。ただしスケールが違う。

国内最大の美術館である国立新美術館の建築面積が約13,000㎡なので、約2,000㎡の諸橋近代美術館は決して大きくない。
しかし、建築面積が細長い長方形で、妙に大きな建物のように感じられる。
美術館としては小ぶりな規模だと、入館してから実感した。


往復8時間、滞在1時間半でも後悔はない

美術館は楽しみだが、バスを数本逃せば終電が危うくなるのは明らかだった。帰りのバスをあらかじめ確認してから、美術館に足を踏み入れる。

当時は「【開館20周年記念展 vol.2】四次元を探しに ダリから現代へ」の会期中。冬季休館前なので会期終了ぎりぎりだった。

諸橋近代美術館に行くこと自体が目的だったので、展覧会の内容にこだわりはなかった。ただ、この展覧会自体も気に入っている。

特に、トーステン・エベリング《perlucidior vitro No.4(ガラスよりも透明なホラティウスの詩より)》が印象的で、立ち止まって長い時間眺めたのをよく覚えている。
福島県内の近隣の美術館にあるらしいので、展示される機会を狙ってまた見に行きたい。

結局、美術館には1時間半ほど滞在した。まだ日の高いうちに猪苗代駅まで戻り、来た道を辿って帰路につく。
帰りのバスの車窓から見える、西陽に照らされた山々が美しかった。


その旅は「いつか」を「今」に変えるプロセスだった

諸橋近代美術館への旅行は、私にとって何だったのだろう。
今なら言える。あの日帰りの旅は、「いつかやりたい」を「今やろう」に変化させるプロセスだった。

振り返ってみれば、福島に行くと決めるまでの間に、いくつかのきっかけがあった。

1つ目は、やりたいことリストに「諸橋近代美術館に行く」と書いたこと。
2つ目は、美術館の冬季休館を偶然知ったこと。
3つ目は、無職期間だったので平日に時間があったこと。

パズルのピースみたいに、それぞれの要素がパチパチとはまっていった。
ピースがはまる瞬間に、喜びや驚き、達成感はない。あとから振り返って、あれらはパズルのピースだったのだと初めてわかる。
ただ、導かれるように決まっていくなあ、とは感じていた。

「いつかやりたい」は意外と実行に移せるもので、やろうと決めて動けば叶えられるのだと知った。

いつか行きたい。いつかやりたい。それらの望み、あるいは欲望を実際に行動に移した後では、見える景色さえ違ってしまう。

五感で感じられる経験は何物にも代えがたい。 自分で経験したものがすべてだ。(良くも悪くも。)


「いつか」の理想の働き方を「今」叶えるきっかけ

無職期間に突発でひとり旅を実行した結果、もうひとつ変化があった。
正社員ではない働き方をしてみたい気持ちが、どんどん大きくなっていったのだ。

無職の時期は、ここぞとばかりにさまざまな場所に足を運んだ。そのため、諸橋近代美術館への旅だけが理由のすべてではない。
とはいえ、理想の暮らし方を体感する時期だったのは確かだ。

翌日に採用面接を受けた会社は、印象もよく、働きたいと思える会社だった。しかし、正社員の働き方への疑問を無視できず、結局は辞退したのだった。
その選択をできたのは、前日に諸橋近代美術館へ行っていたからと言っても過言ではない。

無職期間を終えた後は、HRTechのスタートアップ企業で、週3日働き始めた。そのまま複業コーポレートのキャリアをつくり始め、5つの仕事を並行する今に至る。

小さな「いつか」を「今」にした結果、大きな「いつか」が「今」になっている。何が人生を変えるかなんて、そのときは分からないものだ。


「いつか」を「今」にするために

諸橋近代美術館へのひとり旅は、私にとって〝「いつか」は叶えられる〟象徴的な日になった。
そして、その旅は〝理想的な働き方をつくる〟という「いつか」を「今」に変えるピースのひとつにもなった。

「いつか」を「今」にするために大切なのは、長い目でものごとを見ておくこと。諦めること自体を諦めつつも、保留にする選択肢を持っておく。
どんなに小さくても、自分の願いや欲求、欲望に向き合い、ひねくれさせない。自覚しておく。

ただ、自分の重荷になるようなら本末転倒なので、さらっと一度手放してまた取り戻すくらいがちょうどいいのかもしれない。必要ならまた戻ってくるので。

「あのときの旅行はよかったね」と笑ってふり返るのと同じように、「この人生はよかったね」って笑ってふり返りたい。

そのために、「いつか」を「今」に変えるためのピースを、今もひとつずつ集め続けている。



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