定型に関する覚え書き

 定型詩の定型に関してつらつらと呟いたツイートをまとめておく。

 あとから読み返すかもしれないし、これらのツイートの存在を忘れて似たようなことをツイートするかもしれない。

 ツイートは広く公開されるものであるから、自分のためのメモというわけではなく、他者に益することをいくらかは期待してツイートしているのだけれども、さてはて、どうであろう。



「詩としてデコードする/される」という概念の面白さから、以下のツイートはやや脱線気味であるけれども、無関係というわけではないのでここに載せておく。

「愛誦性に依拠した音楽のようなものとして愛する」というのはいささか補足が必要だろう。これは口ずさむ言葉として楽しむ、という程度の意味で、意味内容はさほど重視しないということでもある。

ここでは「詩として楽しむ/音楽として楽しむ」というような二分化した(二つに分けられる)風に語っているが、もちろん二つに明確に分断されているわけではない。まだらのグラデーションというのが実際のところで、極端な補助線を引いているにすぎない。詩は愛誦性を含むものであるし、愛誦性のなかに詩情が宿ることもある。


以下は脱線のさらまた脱線。

要するに、定型の形に収めればそれっぽいものとして読まれてしまう、という定番の話題を小難しく書いているだけで、後から読み返して「あああ、こんな恥ずかしいことをツイートしてしまったのか過去の私は」と思えるようになっていたいものである。

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