見出し画像

性被害の苦しみ

昨日、ニュースで流れました。
カトリックの神父(神言会所属なので神言会そのもの)が、性加害の疑いで東京地裁に提訴されると。
非常に悲しく残念なニュースです。
私の気持ちは、被害者の女性に全面的に寄り添っています。

私も性被害者の一人です。
ずっと昔、プロテスタントの牧師から、長期間にわたって性交を強要されていました。
その牧師は学生時代の先生でもあり、後に私の上司にもなりました。
働いている間に被害が始まったので、パワハラとセクハラ、と言えばわかりやすいでしょう。
当時はまだ女性は弱かったのです。
もしも被害に遭ったと言えば、私の恥となり、私が嘘をついていると思われたでしょう(それくらい有名な牧師だったので)。
もちろん親にも言えませんでした。
しかしずっと後になり、ようやく自分自身に起こったことを認識できるようになりました。
性被害は自己認識に時間のかかる厄介な出来事なのです。
何年も経ってから告白しても「なんで今さら?」「なんでそのとき嫌だって言わなかったの?」としつこく言われてしまう。
被害者にとってはもはやセカンドレイプですが、言う方は知識不足のため言うのでしょう。
とにかく被害者本人が嫌だった、そしてPTSDになっている。
その時点で、この犯罪はほぼ確定しています。
加害者や彼を擁護する人はなんとかして「なかったこと」にしたいでしょうけどね。

今回の事件がどのように展開するのか、私にはわかりません。
東京の司教様は、司祭による性犯罪にきちんと対処すると表明なさっていたはず(教区のホームページによると)。

厳しく罰してほしいものです。
そしてそれ以前に、性被害(加害)が存在したと認定してほしいものです。
認定されるためにはたくさんの段階があるでしょう。
そのたびに被害者の女性は傷つくはずです。
どうかその傷が少しでも小さく済みますように。
私もたくさん傷つきました。
あまりのストレスに、自殺企図も起こしました。
それくらい大変なことなのです。

そしてもしもこの戦いに勝ったとしても、被害者は意気揚々とできるわけではないのです。
もう息も絶え絶えに苦しんでいるのですから。
終わりのない戦いなのです、性被害というものは。

どうか被害者の女性が守られますように。
全ての傷つきから、主が守ってくださいますように。
どんなに人間たちが酷くても、三位の主だけは正しい。
彼女がそれを信じられるかどうかはわかりませんが、主が守ってくださいますように。

私自身の心の傷を癒してくださったのも主のわざでした。
人間は間違う。でも主は正しい。

彼女のために、お祈りしています。



(この記事はそのうち削除するかもしれません)