努力とは何か?
私は自己紹介の中で「自分は今やりたいことに向かって努力している」と書きました。
「努力」とは何を指して「努力」と言えるのか。
これから前に進むにあたり、これまでの経験を踏まえて「努力」という言葉を整理してみました。
迷うことがあったら、またここに戻ってこようと思います。
◆私が努力したこと
これまで、自分が努力したと言っていたシーンを思い出してみました。
簡単でわかりやすい私の過去の努力エピソードは大学受験です。
私が自分の努力を話す場面を思い出してみて、伝えているポイントは、
・過去の成果に紐づけて努力について話す。
・努力の方向性や方法よりも努力量、つまり時間数を指すことが多い。
・困難な場面に特攻する気概や自分の度胸も含める。
という部分だと思いました。
一方で、成果が出ていないものを頑張っている、と言うのは苦手でした。
あと、現在やっていることを努力している、と表現するのも苦手です。
成果が出ていないと努力と言っていいのかわかりませんでした。
この性格が起因して、
私は一時期、自分で自分は努力している、と認められなくなりました。
◆努力していると言えなくなった
会社員として仕事をする中で、自分の努力が全く成果に繋がらない、という経験をしました。
自分を変えないといけない部分があるのはわかっていても、何をどう変えればいいのかが全く分かっていなかったし、
これはできた、と胸を張って言えるものもなくて、自分は努力が足りていない、何もできていない、と思っていました。
ただとにかく前に進めたくて、少しでも認めて欲しくて、労働時間ばかり長くなっていきました。
正直、精神的にも参っていて、
自分が全部悪い、
こんな私は生きる価値もない、
みたいなことばかり考えていました。
このときを今となって振り返ると、業務量に対して人がいなくてどうしようもなかったし、自分が悪いなんて思う必要もなかったんだけどね。
それでも毎日苦しくてしょうがなかったです。
◆成果に繋がることだけが努力か
でも、本当に何もしていないんだっけ?と思いました。
正確には、いろいろな人と話す中で、そう思うようになりました。
理想通りのアウトプットが出せなかったかもしれませんが、実際には、ある段階まではクリアしていたり、課題は残っていても何か形になっていたりします。
できたかできていないかという0か1かで考えてしまうと、”理想通りのアウトプット”ができていない場合、0という評価になってしまうけど、実際に中身を見てみると「100まではできなかったけど、80まではできた」という表現はできることに気が付きました。
理想の結果が得られようが得られなかろうが、頑張ったことは努力したと言っていいし、それを自分で客観的に評価できる力はつけたほうがいいと思いました。
◆努力とは何か
「努力」とは何か。
私は目標を定めて目標達成するために必要な時間を投下すること、だと思いました。
そこは前から変わらない部分。
そこから、 いろいろな経験を経て、
結果を自分で正しく評価をすることも必要だと思うようになりました。
その評価は、できたからよかった、できなかったからだめだった、という単純な評価ではありません。
・何がどの程度できたか/できなかったか
・なぜできたのか/できなかったのか
この2つの軸で客観的に見て、自分が行ったことを正しく評価することを指します。
そして、その評価までできれば、十分な努力をした、と言っていいと思いました。
成果が出ないとき、私もすごくつらかったから、
もし同じように苦しんでいる人がいたら、自分は努力していない、なんて思わなくていい、と言いたいです。
自分で自分のことをちゃんと評価してあげてあげてほしいな、と思います。
※以下、自分向けメモ
①目的に沿った目標を決める
⇒自分の目的に沿って目標設定する。
②目標に対する行動は何をどの程度できたかという視点で評価する
⇒わかりやすい結果や数字だけで評価せず、定量・定性、良かった部分・悪かった部分、と多角的に評価をする。
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