この世界の歪さを、明快でわかりやすい31音で暴き出してしまった一首(短歌一首鑑賞)

吉野家の向かいの客が食べ終わりほぼ同じ客がその席に着く

『あそこ』望月裕二郎


この短歌を読みながら、どんな客を思い浮かべるのだろうか。私は、くたびれた男性のセールスパーソンを思い出した。それは、自分がそうだからだろうか。

もしかしたら、こんなふうに自分と似たような人が出て行った席に座ったこともあるのかもしれない。

そんなことを想像し始めると、この「ほぼ同じ客」はどこまでも連鎖していてき、合わせ鏡のように、気の遠くなる先の未来まで、その席はこの「ほぼ同じ客」に占められているとまで考えることができてしまう。


考えすぎだろうか。おそらく、考えすぎだろう。

それでも、この短歌のもっている強さは、この世界の不思議な連鎖を暴いたところにある(と信じている)。

早くてうまい牛丼が出てくる、それを待ち受けていたほぼ同じ客が牛丼を食べる。食べ終わると、お金を払いでていく。また、ほぼ同じ客が座り、同じ牛丼を注文し、食べ終わる。同じお金を払う。出ていく。また、ほぼ同じ客が座る。注文する。食べ終わる。お金を払う。出る。以下、繰り返す。

これを、主人公は見ている。いや、見つけてしまった。

まるで、映画『トゥルーマン・ショー』のトゥルーマンが自分の家の周りにいる人たちは、ずっと同じ動きを繰り返していると気づいてしまったように。

私たちは気づいていないだけで、いや、よく考えてみれば、薄々気づいている。この世界は、多くのことが繰り返しされてしまっている、と。同じような毎日、同じような仕事、同じような服装で、同じような居酒屋で、同じような酒を飲む。

そして、同じような愚痴をこぼす。これだけは自分だけの感情と信じながら。それは、その席に昨日座っていた客がこぼしていた愚痴と、大差ないにも関わらず。

そんな世界の歪さを、この主人公は見つけてしまった。そして、この短歌はそれをこっそりと私たちに教えている。自分自身も、ほぼ同じ客であることを。

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