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月9ドラマ『女神の教室』第9話の考察(弁護士の視点から)

第8話に引き続き、「女神の教室〜リーガル青春白書」第9話を見て弁護士視点で個人的に気になったことを、つれづれなるままに書き留めます。

塾講師事件と風見刑事

風見刑事の挫折

いよいよ風見刑事と塾講師事件の関係が明らかになってきました。風見刑事は、なぜ塾講師事件にこだわってきたのか。この理由については、表面上、「自分の妹の事件と重なったから」だと描かれています。ただ、本当にそれだけの理由で、風見刑事はここまで1つの事件に執着しているのでしょうか。

あくまでも私の推測であり、ドラマでは明確に描かれていませんが、風見刑事は、この事件によって大きな挫折を経験したのではないかと思うのです。

起訴前における被害者の供述調書

ドラマでは、被害者が証言前に自殺したことで、まるで「一切の証拠がなくなってしまった」かのような描かれ方をしていました。しかし、そのようなことはありません。なぜなら、松下(被疑者)が起訴される前には、検察官・警察官が被害者を取り調べて、供述調書を残していたはずだからです。

起訴前に検察官・警察官が作成した被害者の供述調書は、原則として、被告人が証拠とすることを「同意」したもの以外、証拠に用いることができません。これは、「伝聞法則」と呼ばれる刑事訴訟法の基本ルールです。
※供述調書は、本人から直接話を聞いて、疑問点を確認することができないため、その内容から事実認定することが制限されているのです。

ただし、刑事訴訟法は、被害者が死亡してしまった場合に、検察官・警察官(例外あり)の作成した被害者の供述調書を証拠とすることができる例外ルール(伝聞例外)を定めています(321条1項2号、3号)。

被害者が自殺したこの事件においては、伝聞例外のルールが適用されて、検察官・警察官の作成した被害者の供述調書が証拠として採用された可能性が高いのです。そして、無罪判決は、その供述調書がすべて信用できないものとして判断されたことを意味するのです。

「供述調書は信用できない」判決を突きつけられた風見刑事

検察官・警察官の作成した被害者の供述調書が、公判で有罪・無罪の決め手になることは、ほとんどありません。なぜなら、被告人が無罪を争っている場合、被害者の供述調書を証拠とすることを通常は「同意」しないため、被害者の供述調書が証拠にならない(被害者を法廷に呼んで証言を改めて得る)ことが一般的だからです。

つまり、塾講師事件は、「被害者の供述調書の内容が信用できるかどうか」が、有罪・無罪の決め手となった数少ないケースだったのです。

きっと、風見刑事は、自分が関わった事件ではじめて、「供述調書は信用できない」判決を経験したのだろうと考えられます。

このような判決は、風見刑事にとって、「あなたの捜査は信用できない」という宣告を受けたに等しいことだったのかもしれません。そうだとすれば、塾講師事件は、「風見刑事の大きな挫折」であったはずです。

風見刑事にとって、妹の事件と重なる部分の多い塾講師事件は、「強い思い入れを持って取り組んでいた事件」であったと想像されます。その事件で大きな挫折を経験したことが、風見刑事のその後の人生に大きな影響を与える要因になったのではないか、と感じたのです。

柊木先生の授業にヒントが?

私がこのような考察に至ったのは、作中で、柊木先生が「伝聞法則」について授業をするシーン(天野さんがスマホのネットニュースを見ているシーンです。)が描かれていたからです。「伝聞法則」をわざわざ作中に登場させたのは、ドラマの展開につながる重要なヒントを示唆しているのではないかと思ったのです。

深読みをしすぎかもしれませんが、かなり法律面で作りこみがされてきたこれまでの展開を考えると、このような考察もありうるように思いました。

法制度への不信感から生まれた誤った正義感

風見刑事は、私的制裁に走ってしまったのは、「法制度に対する強い不信感」が要因であろうと感じました。

塾講師事件に真剣に取り組んでいたことを考えれば、もともと、(妹の事件についての経験があったものの)風見刑事の心に、そのような不信感はなかったように考えられます。ただ、塾講師事件での挫折や、法の抜け穴をかいくぐる津山の存在から、「法律は被害者を救ってくれない」という強い感情を生んでしまったように想像されます。

法制度に対する不信感は、「私的制裁を肯定する感情」につながります。風見刑事も、「法が裁けないのであれば自分が裁かなければならない」という誤った正義感を抱いてしまったのだろうと思います。

弁護士の寄り添いとは何だろう?

天野さんの感情論

天野さんは、塾講師事件について、「無罪判決はおかしい!」と声高に主張しながら、何がおかしいのかを冷静に考えられなくなっていました。おそらく、天野さんは、被害者やその家族の心情に感情移入しすぎたあまり、この事件のことを客観的にとらえられなくなってしまったのだろうと想像されます。

弁護士として寄り添うことと、気持ちを共有することの違い

臨床心理学では、相手に「共感」することは大切だが、相手の気持ちを「共有」してはならない、という考え方があります。自分自身が相手と全く同じ気持ちになって(「共有」)、本人と同様に冷静さを失ってしまえば、何の解決もすることができません。カウンセラーに求められるのは、そうではなく、相手の気持ちを客観的に分析して、本人がどうすればその気持ちを消化することができるのかを一緒に考えること(共感)です。

弁護士の依頼者に対する向き合い方も、その点は同様です。依頼者の気持ちを「共有」して感情的になるだけでは、何の解決も生みません。そうではなく、依頼者の気持ちを客観的に分析して、どのような解決策を提示すれば、依頼者にとって一番納得できる結果になるかを考えなければなりません。

さらに、弁護士の場合、単なるカウンセラーで終わってはいけません。安藤弁護士は、天野さんに、次のようなアドバイスをしていました。

同情して寄り添おうとするのは、いいことよ。今のあなたならね。でも、弁護士になったら、それだけじゃだめ。現実を見据えて、依頼者のためになることは何なのかを考え、行動しなくちゃいけない。励ますだけなら、家族でも友だちでもできる。弁護士が寄り添うということはね、一緒に闘うことなの。

依頼者の気持ちを(「共有」ではなく客観的分析によって)きちんと理解したうえで、最善の法的解決策を提案し、サポートすることが、弁護士には求められています。それがまさに、弁護士としての真の「寄り添い」であると思います。

天野さんの経験は、法律家を目指すロースクール生として、大きな成長につながるものでした。

~おわり~
※ noteで執筆する内容は、私の個人的な見解に基づくもので、所属する事務所としての見解ではございません。

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