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月9ドラマ『女神の教室』第8話の考察(弁護士の視点から)

第7話に引き続き、「女神の教室〜リーガル青春白書」第8話を見て弁護士視点で個人的に気になったことを、つれづれなるままに書き留めます。

司法試験不合格の心境

司法試験不合格を経験した照井さん。完璧主義を貫いてきた照井さんにとって、この事実を受け入れるのは大変つらいことだったと想像されます。

私も、1年目に司法試験不合格を経験しました。その際の心境は、「つらい」「悲しい」というものではなく、「また初めからやり直しか」という空虚感に近いものでした。その日は、ロースクール生のだれにも連絡を取らず、他学部の友人と会ったことを覚えています。

真中くんが、「照井さんには時間が必要だ」と話していましたが、本当にそうだと思います。「もう一度司法試験に挑戦しよう」というモチベーションを取り戻すためには、自分の気持ちをリセットすることが重要です。

私が2年目の司法試験に挑戦する支えとなったのが、一緒にロースクールで勉強してきた同期でした。私と同じく司法試験に合格できなかったメンバーとは、それぞれの反省点を振り返り、どうすればよかったかを議論しました。また、司法試験に合格できたメンバーからは、司法修習(司法試験の合格者が受ける研修)の話を聞いて、将来のモチベーションを高めました。

照井さんにとっても、これまで一緒に勉強してきた仲間の支えは、逆境を乗り越えるために必要不可欠なものであったと思います。

藍井ゼミ、最大の欠点

藍井先生の授業は、「司法試験」の最短ルートを淡々と教え込む点で、ある意味では、無駄がなく優れています。ただ、法律の授業として「明らかに欠けていること」があります。それは、「他の人と議論を交わすこと」です。

法学の面白いところは、法律の条文は「たった1つ」であるのに、その解釈は三者三様であることです。1人1人が、「自分の解釈こそが正しい」と主張し、議論を交わすことで、そこに「1つの学問」が生まれます。

藍井先生の授業は、自分の好きな法解釈を学生たちに押しつけることに終始しています。これは、本来の法学の姿ではありません。

法律を学ぶうえで危険なことは、「自分の殻に閉じこもってしまうこと」です。物理学や天文学などとは異なり、法学は、あらかじめ定まった真理を追究する学問ではありません。様々な解釈をぶつけ合い、議論して、1つの答えを導くことで、はじめて真理が生まれる学問です。

照井さんは、これまで、「自分の殻に閉じこもって」勉強をするタイプでした。そのような性格が、照井さんの中で、法律家を目指すうえで「あと一歩成長すること」を阻害してきたように感じます。

藍井ゼミは、そのような照井さんの性格を、助長してしまった面があります。

おそらく、藍井先生自身も、自分の教育方針が照井さんの成績を下げる原因を生んでいたことに、薄々気づいていたのでしょう。照井さんがスランプに陥っていたように、藍井先生も、同様にスランプに陥っていたようです。

ハラスメントの線引き

柊木先生の授業で、ハラスメントについて取り上げられていました。先ほど、法律の解釈は三者三様という話をしましたが、ハラスメントの問題は、その最たるものです。

どこからが「ハラスメント」で、どこまでが「適正な指導の域」にとどまるかは、線引きが難しい問題です。その答えは、法律の解釈から論理必然的に導けるようなものではなく、様々な意見をぶつけ合ってこそ導けるものです。

また、そもそも「ハラスメント」がなぜ違法なのかについても、様々な考え方があります。柊木先生が、憲法27条と「ハラスメント」の関係について語っていましたが、「ハラスメント」を憲法問題として位置づけることには、異論もあります。
(柊木先生の説明は、憲法27条は使用者に対する労働権を保障しているとの学説に依拠するものです。)

この課題は、法学における議論の重要性を考えるうえで適当なものでした。

弁護士のやりがい

第8話の大きなテーマは、「仕事のやりがい」でした。「弁護士のやりがいって何だろう?」と、ドラマを見ながらふと考えました。

その疑問に対して私なりに出した答えは、「悩みに悩んで出した考えが、交渉相手や裁判所に受け入れられたときに、心からうれしいと感じられるから」です。クライアントの依頼は、「認められるかどうか争ってみないと分からない」ケースが少なからずあります。そのような事件に挑戦して乗り越えられたときの喜びは、何にも代えがたいものです。

柊木先生の「きれいごと」

柊木先生の言葉は、いわゆる「きれいごと」ばかりではありますが、そのような「きれいごと」を大切にする姿勢は、法律家にとって重要であると常々感じます。

(柊木先生のように)「みんなには人権が保障されているから」「法の下の平等が」と力説されても、「そうはいっても現実社会で人権はそこまで重視されない」「差別はきっとなくならない」といった思いから、「きれいごと」に聞こえてしまいます。

ただ、そのような「きれいごと」を常に念頭に置くことは、法学の基本を見失わないために重要です。まずは理想論を出発点にして、そこから現実的な解決を考えていくことが、法律家に求められる姿勢です。そのような姿勢がなければ、本来救われるべき事件を「争っても無駄!」と切り捨ててしまうおそれがあります。

人材を切り捨てる企業は成長しない

真中くんの妹は、一流企業に就職したものの、些細なミスをきっかけに、能力不足との評価をされ、仕事を回してもらえなくなったとのことでした。

あくまでも私の考えですが、このような企業は、たとえいまは「一流」と言われていても、将来の展望は乏しいように思います。組織の成長にとって重要なことは、1人1人が最大限自分の能力を活かせる環境を整えることです。組織の一部のみを優遇し、それ以外を切り捨てるようなやり方で、組織全体の底上げを図ることはできません。

本当に優秀な企業は、1人1人のやる気を引き出して、「社内全体で目標に向かって前進する機運」を高められています。「一流」という過去の栄光を過信しているだけでは、もはや長期的な成長は見込めません。

~おわり~
※ noteで執筆する内容は、私の個人的な見解に基づくもので、所属する事務所としての見解ではございません。

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