石巻 再生へ漕ぎ出そう

1兆2千億円の復興復旧費を巡る浅野会頭、亀山市長の疑惑
両氏は退任してバトンタッチへ
石巻市議会はどこへ行く

                     2020年10月
                                                             ジャーナリスト 相澤雄一郎


    平成28年(2016年)9月、東日本大震災最大の被災地・石巻「病める海のまち・闇」がモッツ出版から発行された。高須基仁著となっているが、相澤雄一郎がほとんど書いた。私は河北新報で編集局長、編集担当常務をしたが、1980年(昭和55年)4月、石巻支局長として石巻に赴任した。地域新聞「石巻かほく」創刊の現地責任者になり石巻圏域1市9町(人口25万人)を自分の「目・耳・足」で回った。45歳だったが、地域新聞づくりは楽しく面白かった。石巻は漁業を中心に栄えた水産都市だが、200カイリ規制で遠洋漁業は下降に向かっていたころだった。


 しかし、芸術文化活動は活気があり、天才彫刻家高橋英吉さんが石巻出身者、32歳でガタルカナル島で戦死したことを知った。昭和56年、作品の「潮音ブロンズ像」をガ島の平和公園に市民、市、企業などの協賛金で建立した。川開き祭りの花火は宮城県一だった。
4年間、石巻地域の多くの皆さんにお世話になり昭和59年4月、本社報道部長になった。高橋英吉さんの32歳という生きざまを「潮音―ある愛のかたみ」という映画にした市民文化団体「石巻文化をはぐくむ港町づくり」にサントリー地域文化賞が贈られた。私がサントリー文化財団に推薦した。稲井善次郎さん、橋本晶さん、石島恒夫さんが中心となって「文化をはぐくむことは、人を育てること」をモットーにして活躍していた。あの頃の石巻は燃えていた。私は秋田生まれだが「第2のふる里石巻」へのささやかな恩返しのつもりだった。


平成23年(2011年)3月11日、東日本大震災が発生した。マグニチュード9・0という日本で最大、世界でも4番目という巨大地震で宮城、岩手、福島3県を中心に大津波に襲われた。人口17万人の石巻市は最大の被災地で死者3181人、行方不明419人、5万6000棟、77㌫の住宅が被災した。政府の「震災復興基本方針」は公費部分の復旧・復興規模は10年間で23兆円と見込んだ。石巻市には1兆2000億円が配分される。市予算は震災前600億円程度だったのが平成26年度以降は3,000億円に膨らんだ。最大の被災地石巻市は人口70万人以上の政令指定都市並みのお金が入るようになった。そうした多額の復旧・復興費を使っていくことに石巻市役所の体制などは整っていない。石巻商工会議所も同じだ。水産漁業が中心の港町は農業地域と違って自分だけがよければ、という気質がある。グループ化補助金という制度ができた。事業再建に向けてグループ化した企業に対して再建費用の最大4分の3を国と県が助成するというものだ。「石巻水産業復興グループ」(199社)は石巻商工会議所が窓口となって宮城県に申請した。この中に石巻市渡波の水産加工会社が、登米市に再建した工場の加工設備(魚介エキス装置)が納品されていないのに1億3,000万円の補助金を受け取ったとして宮城県は平成25年11月13日、補助金返還を命令、補助金適正化法違反容疑で石巻署に告発した。グループ化補助金違反第1号としてマスコミで大きく報道された。宮城県によると平成25年末で3,499社、2,226億円の補助金を受け取ったり、決定していると発表された。石巻商工会議所浅野亨会頭にはこの水産加工会社の調査が宮城県で行われているという情報が入り、石巻市首脳スタッフに公表しないように依頼した。浅野会頭からグループ化補助金申請の声掛けをされた社長がいたが、不正受給はほかにもあったという。4分3の補助を受けられる「グループ化補補助金」で救済された企業は数多くあった。感謝している企業経営者の声も聞いている。浅野亨石巻商工会議所会頭と亀山市長が連携し合いながら疑惑行為をしていることは事実に基づいてレポートしている。震災から再起しようと多くの人たちが懸命に頑張った。しかし最大の被災地石巻では亀山市長、浅野会頭という行政、経済のトップリーダーの所業・言動が悪すぎた。私は新聞記者稼業を50年以上してきたが「燃えていた石巻」がなぜこうなったのか。亀山市長と浅野会頭は市長選後の3期12年間を復興総仕上げ」というが、ジャーナリスト相澤雄一郎はそうは思わない。
サントリー地域文化賞は私が推薦して受賞した。「青春の遺作」高橋英吉 人と作品という記念写真集を関係者で出版した。写真集は私の「宝物」だ。
稲井善次郎さんら20名のお名前が掲載されている。私は「がんからの脱出」という本を出版した。肝細胞がんで肝臓の3分の1を切除したが抗がん剤、放射線治療を受けずに生きています。

私は「病める海のまち・闇」で書いたが、亀山紘石巻市長は震災発生日に仙台で行った講演で市役所に戻れず石巻赤十字病院に2泊、3日目の昼に北上川下流河川事務所のカヌーに乗って市役所4階の災害対策本部に姿を現した。金、土、日曜の3日間、トップ不在の亀山市長の行動に「無責任だ」という批判が出た。石巻市内には43の小学校があるが、北上川沿いにある大川小学校1校だけが74人の児童、10人の教員が犠牲になった。教育長は前年12月から脳疾患で長期欠勤。教育長を任命したのは6月。遺族への説明会で亀山市長が発言した「自然災害の宿命と思う」という声が平成23年9月14日のNHKクローズアップ「 巨大津波 大川小の悲劇」で放送された。
亀山市長は1942年10月26日生まれ。石巻高、神奈川大学工学部応用化学科卒。塩釜高教諭、東北大学講師を経て石巻専修大学理工学部助教授、教授。定年直前、「チェンジ石巻」グループなどに推されて市長選出馬を決断。2009年(平成21年)4月19日に行われた市長選に立候補、現職の土井喜美夫市長を17,600票差で破って当選した。浅野会頭は土井市長を支持してきたが土井市長は浅野会頭の市事業に口出しする利権体質を避けるようになった。市議会は18対15で反土井派が多く、浅野会頭は市議らと組んで亀山氏を担ぎ出しに動いた。


浅野会頭は「三位一体で復興」と音頭役。公取委が談合認定

震災発生後、浅野会頭は復旧・復興は石巻市、市議会、商工会議所の三位一体で取り組もうと音頭役になり、亀山市長の参謀役となった。震災復興に絡む公共事業は多くなり、宮城ヤンマー社長の浅野会頭は平成24年、ヤンマーグリーンシステムが行った北上カントリーエレベーター建設(12億5600万円)が公正取引委員会から談合と認定され、同社は違約金2億5,000万円を石巻市に納付した。亀山市長は平成25年4月21日に行われた市長選で阿部和芳元市議会議長らを破って再選。浅野会頭は20年ほど前の平成4年11月、平塚慎治郎市長退任後の市長選に立候補したが、青年会議所理事長をした後輩の菅原康平氏に敗れた。平成16年11月に石巻商工会議会頭に就任、「経済界の市長」になり、亀山市長を意のままに操るようになった。この典型的な実例は石巻市中央1丁目14・15番地区中心市街地再開発組合の7階建て79戸のマンションを建設である。黒須光男氏は2015年(平成27)年4月から「アサノマンション疑惑」を石巻市議会で追及した。「二元代表制」を主張する石巻市議会議員はどうしたのか。「黒須だけが騒いでいる」と日和見的態度。本来なら監視役の共産党会派も亀山市長支持。74人の児童が犠牲になった大川小の仙台地裁の国家賠償請求判決も亀山市長の控訴を支持した。


亀山市長の行政運営は「情報公開日本一」などの公約はどこへ行ったのか。石巻駅前に再建した市立病院の建設費137億円をめぐる市議会での黒須議員の追及。電波障害対策費1億5,000万円がわずか102万円であったことを建設部長が半年後に認めた。平成28年に9月に開院したが、累積赤字は62億円あり、開院後の赤字額に疑念が出ている。平成29年4月23日の石巻市長選挙には亀山市長の3選を阻もうと黒須光男氏も立候補した。私は選挙対策本部長をしたが3位で敗れた。7767人が「黒須光男」と書いた。黒須さんとは長い付き合いがあり、「暴れん坊」と言われている。黒須さんだからこそ「アサノマンション疑惑」を追及できたと思う。私は「おかしいことはおかしい」と書いてきた。「自分の目、耳、足」取材」することをモットー」にしてきた。編集局長のころ本間俊太郎宮城県知事と石井亨仙台市長が「ゼネコン事件」で逮捕される事件に遭遇した。自民党副総裁の「金丸事件」で東京地検が押収した資料の中に本間、石井両名のゼネコン関連資料があり逮捕された。
黒須さんは1900年生まれ。石巻商業卒業後、石巻市役所に勤務、青年団活動をして31歳で宮県議初当選。県議6期、浅野史郎知事時代に副議長。2001年(平成13年)1月、競争入札妨害で逮捕され県議を辞任したが官製談合の闇を世に知らせる一端となった。2004年(平成26年)4月の石巻市議選でトップ当選、鞍替え復活した。
2002年(平成14年)2月、菅原康平市長は社長の第3セクター「石巻産業創造株式会社ISS」のルネサンス館建設工事に絡む不正事件で任期途中に辞任した。無会派の黒須議員は共産党会派と100条員会を作るなどして追及した。石巻市開成の企業団地トゥモロウビジネ建設スタウン(JTB)に業務支援施設として5億2,500万円で2階建て会館を建設した。菅原市長と東北大学経済学部同期生(元北海道東北公庫職員)渡辺和夫氏をコンサルタントにして五洋建設が請け負った工事を仕切らせた。1年以上もめ続けた。
2003年(平成3年1月26日市長選挙が行われ、衆議院3回、参院1回出馬して落選した内海英男代議士秘書の土井喜美夫氏が佐々木喜蔵県議らを相手にして当選した。「土井市長は6町が合併した初代市長に当選したが、市議会が18対15で与党派議員が少なく、亀山市長に敗れた。ここにも「政争の町」が出た。土井市長夫妻は東日本大震災の日に大津波で亡くなった。
亀山市長は平成29年4月23日の市長選で3選したが、直後の5月25日、石巻市長室であった民間人との会合で20021年(令和2年3月)に完成予定の総合文化会館を最後に引退する」と表明したという記事が「石巻かほく」に載っていた。3選して間もない現職市長のいう言葉か。総合文化会館は市民会館と石巻文化センターを統合して100億円を超す事業費で建設する計画だ。任期中に亀山市長を支援した伊藤秀樹藤久建設社長の震災がれき処理詐取事件控訴審(一審懲役7年)、74人の児童が津波で犠牲になった大川小の国家賠償請求事件控訴審(一審判決14億2600万円)の重要課題がある。無責任過ぎる言動だ。復旧住宅建設費上乗せ疑惑背任告発もある。「アサノマンション疑惑」でマンション組合事務所を仙台地検が家宅捜索した。
浅野亨石巻商工会議所会頭は現在会頭5期目。石巻商工会議所会頭の資格がない人物だ。1941年(昭和16年)12月12日生まれ。石巻生まれだが、慶応高校、慶応義塾大学経済学部卒。石巻市に戻り青年会議所理事長など若手経済人として活躍。青木和夫石巻市長を応援する「7人グループ」の1人だった。6人は亡くなった。
私は地域新聞「石巻かほく」創刊のため石巻市鋳銭場にあった河北新報石巻支局に来たのは1980年(昭和55年)4月。1982年ころ浅野さんは有線テレビを石巻に作って活性化させようと計画した。1983年(昭和58年)7月15日、石巻テレビ放送株式会社を設立。資本金5,000万円(額面10万円)、株主は法人、個人50人。浅野さんが代表取締役社長。資金が不足し「国の関連金融機関から特別融資が内定」という増資計画書を作成して1985年(昭和60年)5月2日、資本金9,510万円、株主71人(法人22人、個人49人)を再登記した。同年2月6日付で郵政大臣から東北第1号の事業免許を受けた。特別融資は実現せず新株主からは詐欺同然という批判が出た。
数千世帯の加入者を目指し住友電気工業と総額13億円のケーブル設置工事契約書を締結した。200人ほどが加入申し込みしたが経営に行き詰まりケーブル工事を行わなかった。1989年(平成元年)6月30日、石巻文化センターで第6回株主総会を開催したのを最後に休眠状態になった。総会に提出された貸借対照表によると建設仮勘定に25,761,018円と記載されている。固定負債に役員借入金540万円がある。建設仮勘定の2,576万円はケーブル工事関連だろうが、工事は全く行っていない。ある役員に浅野社長は「住友電工に2,000万円支払った。役員借入金は自分が出した」と言っていたというが、全く分からない。
2002年(平成14年)12月4日付で当時の森山真弓法務大臣が出した「登記後5年間休眠状態、実態のない会社は職権で解散させる」という通達によって石巻テレビは解散登記させられた。
この事実を知ったのは平成25年6月だった。元法人株主ら3人、相澤雄一郎(元三陸河北新報社長)青木和夫(元石巻ガス会長・元石巻市長)内海源助(元石巻市議会議長)は「石巻テレビ解散の実態を明らかにする会」を結成して浅野氏に代表取締役社長が解散報告、解散総会を開かずにいるのは善管注意義務(民法644条)、忠実義務(会社法355条)に違反している。平成16年11月から石巻商工会議所会頭に就任しているが、自分が作った会社が解散させられていることを隠しているのは、会議所会頭になる資格はない。なぜ解散総会を開催しないのか。決算内容を説明すべきだ、という内容証明通知書付き文書を平成25年9月3日付きで郵送した。浅野亨氏代理人の庄司捷彦弁護士から「3人は現在株主ではない」と返答を拒否してきた。その後も3人は代理人弁護士を通して浅野亨氏の無責任な態度を追及したが、平成25年12月浅野亨署名の「お詫び状」が株主関係者に郵送された。お詫び状には資本金9,510万円の金額は記載されず「資本金は開局の費用にすべて使った。石巻テレビの資料はすべて津波に流された。その都度、経過は報告した。期待に応えられずお詫びします」という800字足らずの文章だった。3人は平成26年4月18日、仙台法務局石巻支局長あてに石巻テレビ放送株式会社は法務大臣通達で見なし解散登記されたが、浅野亨代表取締役社長は解散に関する株主総会開催招集を通知せず、清算業務も行っていない。解散株主総会、清算業務を行ったうえで抹消登録することが代表取締役の業務であると浅野氏に「通知書」を送付した。株主、関係者の間で交渉中であり決着が付くまで「抹消登記」を行わないようにという上申書を提出した。
浅野亨会頭について私はよく知っている。大津波で被害を受けた石巻魚市場の復旧工事の疑惑にも関与している。商工会議所会頭を5期15年したが6期目継続する意向があったが、会議所内部で退任の声が高まり、平成30年11月1日浅野亨さんは退任、青木和夫石巻市長長男の青木八洲さん(石巻ガス社長)選任された。私は「石巻 再生へ漕ぎ出そう」という「相澤ブログ」を6月から開設したのでほっとした。4月25日の石巻市長選挙はどうなるのか。元石巻市議会議長の阿部和芳市議が2021年1月19日,石巻市役所記者クラブで市長選出馬表明した。前回も出馬したが次点だった。黒須市議も出馬したが3位。私は黒須市議の選挙対策本部長をしたので、私に対する批判がある。私も市長選出馬しようという思いもあった。しかし、平成18年12月、がん細胞がんと診断され仙台厚生病院で肝臓の3分の1を切除された。名医の石山秀一副院長が執刀した。いしやま医師は院長になった。東北大大学院農学研究修士課程修了後武田製薬工業中央研究所に入社した松田忍さん(1938年生まれ)に出会ったのがラッキーだった。松田医師は東北大学医学部の石田名香雄教室(細菌学)に約1年留学してインターフェロンをはじめとする抗ウイルス物質の研究に取り組み、さらに林原生物化学研究所で天然素材を用いてがんなど難病治療の研究行った。プロポリス、アガリクス茸、藍など既知の天然素材抽出成分を粉末化した混合製剤を口中で溶解すると、口腔や食道、胃などの「上部消化菅」を取り巻いている粘膜に極微量を接触させ、その刺激で粘膜に常在する抗がんTリンパ球の活性化と産生が促され、全身のリンパ免疫が強化される。これを摂取する前後1時間は空腹にする。毎日、3~4回服用すると次第にがん細胞を攻撃するリンパ免疫が優勢になってくるーというものだ。
第4の療法に比べると自分の体内でリンパ球を活性化させ、安全で費用も安い。「口腔粘膜リンパ球活性化療法」はがん治療、予防に高い効果があるというのだ。
石田名香雄教授は東北大学総長になった。私は総長とは良く知っている。松田忍医師が研究開発した「藍プロポリスA」を服用して86歳まで15年間生きている。元気で市長に出馬も考えたこともあったが、60歳の阿部和芳さんに石巻市長になって欲しい。


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