石巻 再生へ漕ぎ出そう

                        2021年7月11日
                      ジャーナリスト相澤雄一郎


2021年4月25日
亀山鉱石巻市長の後継者選挙が行われた。
合併時の2005年以来16年ぶりに新人同士の選挙となった。1兆2000億円の復興復旧費を交付された石巻市の復興疑惑、大川小児童74人が犠牲になった大川小賠償訴訟裁判が問題になった市長選挙だけに注目された。

斎藤正美氏は、宮城県議会副議長を辞任して亀山市長の後継者として立候補し当選したが、市長として責任をはたすことができるのか、という市民の声があった。

ジャーナリスト相澤雄一郎は、2020年6月から「石巻再生へ漕ぎ出そう」という相澤ブログを設立して「政争の町石巻」の実態を書いてきた。亀山石巻市長と浅野亨石巻商工会議所会頭が連携して、復興疑惑を起こしたことは河北新報社編集局長常務取締役、地域新聞「石巻かほく」発行の責任者の相澤雄一郎は、ジャーナリストの厳しい視点で取り上げてきた。

「石巻再生へ漕ぎ出そう」という相澤ブログは単行本として年内に発行する計画を持っている。東日本大震災の最大被災地石巻に焦点を当てた「病める海のまち・闇」をモッツコーポレーション(高須元仁著) から2016年9月に出版した。

相澤雄一郎は、1980年・昭和55年4月河北新報社石巻総局長として赴任した。45歳の時で当時は合併前で一市九町25万人。「自分の芽・耳・足」で取材することがモットー。
女川原発1号機建設の頃で水産都市の実態をすべて知っている。天才彫刻家高橋英吉さんは32歳の時にガダルカナル島に出征し戦死した。

相澤雄一郎は河北本社に戻ってから、編集局長・編集担当常務、三陸河北新報社長などした。平成18年12月肝細胞がんになり、仙台厚生病院で肝臓の3分の1を切除されたが
武田薬品中央究所の松田忍医学博士が開発した「藍プロポリスA」という健康食品を服用することによって86歳まで生きている。

私はジャーナリスト、新聞記者であるので、多分野にわたって公私共にお世話になってきた。石巻市長選挙についても立候補しようと考えたこともあった。
しかし、昭和9年9月9日生まれ。高齢者だから見送ったらというアドバイスがあった。
2021年11月20日に村井嘉浩知事の任期がくる。斎藤正美市長が県議会副議長を退任したので、県議ポストは欠員。県選管に聞いたら県議は住所変更はしなくても、宮城県人であれば、立候補できるという。政治家の世界は私は不適格と思う。私はがんから脱出したし極めて元気である。

 「石巻再生」は私の願いである。2019年4月「がんからの脱出」とい自著を出版した。日本では毎年38万人ががんで死亡。100万人のがん患者が出ている。私はがんの治療などに役立って生きたい。
斎藤正美さんは政治家であり、一級建築士。石巻の復興住宅建設について関連があるようだ。
斎藤正美市長は「復興疑惑」「大川小児童犠牲訴訟」に懸命に立ち向かってほしい。

ジャーナリスト相澤雄一郎は、「石巻再生」に向けて生きていく。


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