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林檎日記

   今日から日記を始める。私が書くべき事など何もないが、漱石だったか、夢日記とやらの、夢ばかりを綴った小説もあったくらいだから、日記には何を書いても良いのだろう。日記は土産物屋で買ってきた。

   2020年8月9日、伊豆の宿にて。


   晴れ。久々に日記を開いた。だけれど書く事が思う浮かばない。

   今日は、つるたろうの命日である。

   家はそのままにしてある。

   2020年9月4日、自宅にて。


   だいぶ暑さがやわらいできた今日この頃である。また日記を書くのを怠けてしまった。絵はここ数年続けているが、他の事は何をやっても続かない。私の昔からの悪い性分だ。

   2020年9月20日


   今度は長野へ行こうと思う。何十年も昔に登代子と行ったことがある。たしか、そのあと岩手の岩泉にも寄った。登代子の幼馴染がそこに嫁いでいたのだ。岩泉は自然が美しく良いところであった。森と海をつなぐ広大な清流の小本川を覚えている。2016年の、台風10号の大雨で氾濫したとき、私はテレビの前でショックを受けた。

   2020年9月31日

   

  あの、赤い林檎を保護しているネット。まるでそれのような網目状の雲の様相であった。惑星ほどに大きい林檎のそれが頭上にあるものだと想像すると、グレーががる天気模様も私には面白いものを模したデッサンに思えてくる。その網目が凹凸をつくっていて、隙間からは背景の空が覗いている。

   夜空の星々を今宵も拝めずに、少々残念ではあるが、私はこの温泉地に逗留して何も感傷的に湯治をして過ごしているわけではないのだ。

   私は四日前、この辺鄙な温泉地にやってきた。四方を山々に囲われた自然豊かな渓谷にあって、私は侘しい佇まいで昔懐かしの風情が味わえるこの湯宿に一間を借りた。客間は少ないけれども団体客が多く、独り者は私くらいであった。頻繁に廊下を中国語が飛び交っていたから、観光客の御一行様とぶつかってしまったらしい。宿を一歩出れば小さな露天風呂が点在しており、私はそれらを巡って数日を楽しんでいた。

   私は旅をしている。こちらの宿に長逗留するつもりはないのだが。さてどうするか。

   私は余命いくばくもない身である。こうしている間にも、病は着実に私の身体を蝕んでいる。しかしながら、私はもう七十である。私はもう十分に働き、十二分に生きたのである。私にはそう、家族もない。娘が一人いるが、今は音沙汰無しだ。したがって、最後に私には自由だけが遺されたのである。

   私は絵を描く。所謂晩年の趣味というやつである。気ままに旅をしてまわり、そこで出くわした風景を日記にしたためたり、水彩画を画用紙やスケッチブックに描くのである。そうやっていたずらに絵を描き、私は旅をしている。私は死ぬまでそうしようと思っている。

   勿論、宿の人間や世話になる人間に迷惑をかけるつもりはない。私は延命の薬を呑んでいる。その薬はもうそれほど残ってはいないから、徐々に薬を減らして、最後はどこか山奥の、静かに流れる沢の辺りで野垂れ死んで、野犬などに食われてしまおうかと考えている。

   分け入っても分け入っても青い山。

   山頭火の詠んだそのような場所で、私は一生を終えたいのだ。山々は美しい。緑の奥にまた少し深い緑があって、なんて自然は繊細できめ細やかなのだろうかといつも感動する。川端康成だ。

   私は今日、林檎の絵を描いた。何も被写体を見ずに、想像だけで描いてみた。林檎は、デッサンの基本の品である。私はその林檎をきちんと描いた試しがなかったから、この際、真剣に描いてみようと思ったのだ。

   何かわからんがしっくりこないので、網目状のネットも描いてみた。完成したその絵を眺めていると、私は脳梗塞をやった友人を思い出した。病室で、十年ぶりに会った禿げた頭に、よく似たネットが被されてあった。友人は二度目の脳梗塞で呆気なく死んでしまったが、あのとき私は、あの禿げた頭に、この赤い林檎を想像したのかもしれない。

   さて、今日はだいぶ真剣に書いた。もうこれくらいにしておこう。

   2020年10月9日、翡翠の間にて


   今日は終日雨である。何もやることがないので、私は一日中横になって読書をしていた。もう幾度も繰り返し読んだ本だ。聊斎志異。バケモノの小話がいくつも書かれてある。

   林檎の絵を壁に立て掛けて眺めていると、いつも死んだ友人を思い出す。まるで友人がそこに居座っているかのような気がしてくるのだ。

   友人は孤独な男であった。生涯独身で、身寄りもなく、病気がちで、入退院が多かった。

   死神決たる。まだもう少し待っておくれ。

   2020年10月12日


   長逗留するつもりはなかったが、もうかれこれ一週間以上滞在している。

   雨が続いている。台風が接近しているらしい。

   風が強くなってきた。

   露天風呂に入れなくて辛い。

   飯はまだか。

   2020年10月15日


   今日は晴れた。しかし具合が悪いので布団から出られそうにない。鳥が庭で鳴いている。私はもう長くはないだろうと思う。

    2020年10月20日


   子が親鳥を呼んでいるのだろうか。それとも親鳥が子を呼んでいるのだろうか。一年中、鳥が鳴くのはなぜだろう。人間は、鳥のように鳴きはしない。けれど人間は代わりにこうやって日記を書いたり絵を描いたり歌を歌ったりする。些か無理くりかもしれんが、同じようなものではないだろうか。人間は綺麗に鳴けぬから、代わりにできる事をしている。

   どうも具合が良くない。日記を書いていても疲れる。絵は、あの林檎の絵を描いてからは、一枚も描けていない。身体が重くて、何をするのも億劫になってしまった。

   今日の午前中はまだ調子が良い方だったから、少し近場を散歩した。日光を浴びていると気持ちがよい。山道に山茶花が咲いていて綺麗であった。雨上がりの露を葉にのせて、風に吹かれ梢が揺れる度にぱらぱらと肩に落っこちてきた。それが心地よく、清潔に洗われた空気が肺に入って、久しぶりに外の世界が清々しく感じられた。   

   少し肌寒くなってきた。もう秋も深まってきたのだ。時が経つのは早い。私は今布団にうつ伏せになり、これを書いている。古路で拾ったこの銀杏の葉をしおりにしよう。

   宿の主人に頼み、あの林檎の絵は額に飾っていただいた。掛軸の横にえつらえて、奇妙なアンバランスになってしまったが、私は満足している。心細し夜の静寂に、彼がそっと見守ってくれているような気がする。

   私はもうそれほど長くはない。覚悟はとうにできている。ただ一つ心残りと言えば、娘にもう一度会ってみたかった。もう三十年近く会っていない。今更、私にはそのような資格はないのはわかっているが、一言、会って、謝りたい。

   今宵は露天風呂が格別であった。体力が落ちてゆくにつれ、熱い風呂がより心に沁みるものなのだ。

   2020年10月25日


   娘に会いたい。一言、あやまりたい。

   飯はまだか。

   2020年10月28日


   登代子は元気だろうか。

   雨、のち曇り。

   死よ、来るなら来るがいい。

   2020年11月18日、病室にて。


   今日は晴れた。ずっと病室にいる。誰も来ん。

   2020/12/2


   変な夢をみた。

    (日付無し)


   みな、優しい。ありがとうございます。

   2020年12月24日、クリスマス。


   (日記の端に林檎の絵が描かれている)

   (日付無し)


   晴れ。ありがとうございます。

   (日付無し)


   身体中に管が通されて辛いが仕方ない。けれど病室からの眺めは良い。遠くの海まで見渡せる。

   小さく観覧車も見える。

   2020年12月29日


   つらい。つらい。つらい。仕方ない。

   (日付無し)

   

   どうやら年を越した。まだ生きている。病室は嫌なところだ。

   2021年1月1日


   朝日がまぶしくて目が覚めた。もうすぐ会える。

   (日付無し)


   先生みなさまありがとうございます。

   もうすぐ会える。

   (日付無し)



   おじいさん、こんにちは。はじめまして。私は舞花です。6さいです。わたしも、りんごがすきです。ゆっくりねむってください。さようなら。

   2021ねん2がつ11にち、はれ

   

   

  


   

   


   

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