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今日も明日も旅しよう


鎌倉の海の近くの古民家で、約2年半やっていた民泊ホストをやめた。
年間およそ230組、全部で600組ほどのゲストさんをむかえた。

「じゃあ、あとはよろしくお願いします」
スタートしてからしばらく一緒にホストをやってくださったオーナーは、そう言って家を離れて行った。ぴしゃりと引き戸が閉まった時、ああわたしこれからやっていけるんだろうかと、ひとり心細くなったことを、昨日のことのように覚えている。

最初は戸惑ったが、だんだん慣れていった。
拙い英語で家を案内したり、おすすめのお店を紹介したり、自家製の梅酒を注いであげたりできるようになった。

土日はゲストさんとゆっくりお話しする時間があったけれど、平日は都内のお仕事がある。
一日の終わりかけ、オレンジ色の明かりが灯り、知らぬ人がくつろぐ家にただいまと帰る、おかしな生活だった。

ご挨拶をする。お土産をいただいたり、お土産を渡したり、酒盛りしてたら1杯一緒に飲んだり。日本語学校に通う学生さんは、上手な日本語でいっぱいお喋りしてくれた。かわいい子どもゲストさんと一緒にお絵かきしたりした。
「疲れてそうだから、君はもう寝た方がいい」そうゲストさんに心配されたりもした。お休みの日には、ホストのわたしに朝ごはんをつくってくれたり、一緒にサーフィンをしたこともあった。


「どこから来たの?」
「どんな街に住んでいるの?」

数えきれないほどの国の、街の名前を聞いた。
その街の写真を、一緒にみた。家の写真、家族の写真、子どもの写真、動物の写真、街の写真、美しい大自然の写真。

「わたしの国に来たことはありますか?」
「来た時には、うちに泊まったらいいよ」

そう言ってくださることも、もう数えきれないくらいあった。ありがたいことだなと思った。


急に体調を崩してしまったアメリカ人の中学生の男の子とお父さんを連れて、夜中に病院に連れて行ったこともあった。
検査の待ち時間、お父さんがぽつりぽつりと話しはじめた。LBGTの息子が、1年前から性転換の治療をしていること、彼が日本のことが大好きだということ、部屋で待っている奥さんは精神疾患で、息子はもちろん彼女のことも心配だということ。仕事は忙しいけれど、充実していること。待合室での時間はとてもゆっくりに流れて、それとは対象的に、お父さんの話す声はしっかりとしていた。

出会って間もないけれど、彼の背負っているものを、ほんのちょっとだけ、一緒に荷ほどきするような、そんな不思議な時間だった。


もちろん、いいことばかりではなかった。

禁煙の家の中でタバコを吸われてしまったり、
ゲストさんの荷物を家のあらゆる場所に広げられて、足の踏み場がなくなったり。家がビーチの砂だらけになってたりしたことも、庭でドローンを飛ばされてお隣さんに怒られたりもした。ほんとうに、色々あった。

私たちが当たり前だと思っていたマナーを知らないことが原因だった。

「うちのルールを守ってください」
そう伝えることは、勇気がいる。少し前まで楽しくおしゃべりしていたゲストさんに伝えるには、特別勇気がいる。よい間柄に、一気にいやな空気が流れるような気がするからだ。ゲストの方とわたしが、一緒につくった橋を壊そうとしているみたいだった。


伝えてみたら、ちゃんと理解して改善してくれる人もいれば、理解したふりをするだけで改善してくれない人もいる。あからさまに嫌な顔をされたり、無視されたりすることもあった。

色々あるが、一つ言えるのは、伝えないとなにも変わらないということ。変わらないことは、いつも伝えられない自分が原因だった。
だから、伝える。
えいやって伝えてしまうこともある。
わかってくれたらいいなと思いなら伝える。
苦手なことだけど、少しはできるようになったかな。


高校の時から、英語を話せるようになりたい、それで海外に住んでみたい、海外で働いてみたいと思っていた。広い世界をみたい、ここではないどこかへ、そう思っていた。

違う故郷を持った人々が、一日の終わりにわたしの家に集まり、一緒に暮らすということ。
海外に行って仕事をする、とは少し違うけれど、いろんな国のゲストさんを迎えてみて、「世界」のとらえ方が変わった。

旅は、わからないこと、新鮮なことがいっぱいだ。
家を飛び出して、見知らぬ街を歩いて、見知らぬ景色を見る。
広い世界にドキドキする。

だけどやっぱり、旅人たちが最終的に求めるのは、小さい世界なのだ。
旅先で暮らす人々に挨拶をする。
ご飯を共にする。
お酒を共にする。
他愛もない話して、笑いあう。
そういうことで、ああ旅しているなと強烈に思うものだ。
大型宿泊施設、量産型サービスなんかで溢れているにも関わらず、今ここのとても小さな世界に、リアルな生活に参加したい。それこそ旅の醍醐味であるんだと。

壮大だと思っていた世界は、実は小さく小さくしていくものなのだ。

ホストのお仕事は、旅人たちの世界を、小さくするためのお手伝いをすることだ。形の違う積み木をじょうずに重ねていくように、文化、価値観の違いを調整していく。率先して違いを知り、受け入れる。違いそのものを、自分のものにしていくように。


「また来たいな、そしたらもう一度、あの子に会いに行こう」
来た時は何も知らなかった街を出発するとき、ゲストさんがそう思ってくれていたなら、民泊ホストとしてとても嬉しく思う。


あのおかしな暮らしそのものが、旧友のようだったなと思う。
だから、今旧友とのお別れしてしまったかのように寂しいし、なんだか孤独な気持ちになる。
でも、どんなに変わっていっても、関係があり、距離があり、おかしなタイミングで思い出したり、思いがけずに再会したりするんだろう。

民泊のゲストさんの中には、とても旅上手な人たちがいた。
世界を小さくするのが上手な人だ。
世界を小さくするための、勇気を持っている人だ。

旅下手な人たちもいた。
世界は広くて自分の手に負えないものだと思っていて、世界を小さくする勇気を中々持てない人だ。

わたしはホストをやってみて、旅上手になっただろうか。


「あなたとわたし」のミクロな関係が無数に集まり、網羅的につながって、海になっている。
わたしたちは、その海の上を船を浮かべ、ゆっくりゆっくり移動している。
どこか遠くへ、一気に行けるはずもない。
だからといって、今ここにずっととどまることもできない。
毎日毎日、人と関わり、人とお別れをする。
風や波に流されながら、一生懸命舵をとっていく。
関係性に無力になったら、船はどこへも行けなくなってしまうから。物理的に遠い場所に行くことを旅と呼ぶのだけれど、本当は、わたしたちはいつだってどこにいたって、旅をしている。旅と暮らしは、表裏一体なのである。


美味いご飯でも食べよう、と誘ったり、誘われたりする。困ったら、助けを求めてみる。
嫌だなと思うことも、ちゃんと伝えてみようとか。時には、勇気を出すことも必要だ。共に生活をしていくのだ。


だから、今日も明日も旅しよう。
いつ、どこにいたって。
あなたに会いに。
あなたと一緒に。  

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