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ライフ・ステージ

バンクーバーに向かう途中だった。
娘がアームレストの中で長い間眠っていたCDのかたまりから、一枚選んでデッキに入れた。

そのCDは13年前にママ&ベイビークラスでもらった、幼児むけの歌、Nursery Songが詰まったCDだった。
子どもたちが学校に上る前に何回も何回も聴いた曲。
曲にあわせて幼かった子供たちをくすぐったり、手遊びをしたり、踊ったり。

全く覚えていない、という娘。
あなたが小さいときに何度も聴いたんだけど、そんなもんかな。

そんな会話をしながら、心の中では泣きそうになった。

幼児2人を育てながら、奮闘した日々。
夫はほぼ仕事で、ワンオペ状態なことも多く、今ほど英語もわからなかったが、若かったし勢いがあった。
子育てや、子供の未来、地球の未来に対して情熱があった。
子供に与えるもの、親として見せる背中、生き方に理想や思想があった。
お金も持ち物もそんなになくて、それがかえって常識に縛られない想像力を育んでくれた。

たくさんの人と話すことが好きで、そうすることが自信や喜びに繋がった。

しかし、同時に無理もしていたのだ、と今になって思う。

人によく思われくて、自分で自分を苦しめたし、
理想に向かって突き進み、そしてこだわりで自分を縛った。

時が経ち、いつ頃からだろうか?
上の子が5〜6年生になった頃、「シンプルライフにさようなら」を書いた頃から、こだわりが減ったかわりに、ものごとに対する情熱の灯が一回りも二周りも小さくなった。

発信したりシェアすることにも熱意を持てず、人との関わりをやんわりと避けるようになった。

まあ、人生いろいろあるもので、理由も何もなくそうなったわけではないではない。けれど、まあ、ひとつの大きな括りとして「一旦燃え尽きた」のだと思う。

パッと咲いた花がシュンとしぼんでいくような、
青々としていた葉が、紅葉してハラハラと舞っていくような、
老いといってしまえばそれまでだが、ある人の言葉を借りて「人生の晩夏」もしくは「人生の午後」に突入したと表現したい。

子どもたちも、親と一緒になにかすることに興味を持ちにくい年頃になった。だから、彼らの個性を尊重しようと思った頃から、理想という名のこだわりから解放されて、急に気が抜けてしまった。

「こういうものを見せたい」というよりも、「なるようになれ」という心境に変わっていった。それから、希望とか未来とか語らいとか、そういうことにどうもベクトルが向かない。

これは、いわゆるミッド・エイジ・クライシスなのではと疑っている。
メンタルも体も疲れやすくなったしな。
子供も思春期だが、わたしも大人の思春期なのかもしれない。
(最近は一回りどころか20歳下という若い人たちと出会うようにもなってきた。年を重ねてきたんだなあとしみじみ思う)



だから、今日、娘が何気なくかけたCDをかなり久しぶりに聴いて、
なんだか懐かしいやら、寂しいやら、情けないやら、子供が育ったことが嬉しいのやら、なんだかわけのわからない感情に襲われて、泣きそうになった。

お母さん、泣きそうなんだけど。
は?なんで?

そりゃ、そうだ。娘にこの感情を説明するのは難しい。

このあと、娘はこれまた何気なく立ち寄った本屋さんで「アンネの日記」を読みたいと言って本を手に取った。

私が教えたわけではないのだけど、彼女は歴史に虐げられてきた人や人権問題と闘った女性のノンフィクションの物語を好んで読む。
彼女が自ら選んで興味をもったテーマを誇りに思う。

ああ、こうして少しずつ私はお役御免となっていくのだなあ。
それはとても嬉しいこと。

ああ、なんだかまた泣きそうだ。

ああ、いやだ。
ぐらぐらと揺れる年頃なんだわね。

若い時の思春期は自意識と他者との繋がりの中でしんどかったけど、大人の思春期は他人がどうとかあまり気にしなくなるので、ある意味俯瞰できるのはいいところかも。

そんなときに、ふと、バラのことを思い出した。

昔住んでいた家に、立派なバラが植わっていた。
バラの花は、春から夏にかけて勢いよく咲き乱れる。
ものごとのあらゆる面に美しさを見出し、その姿がみえなくとも香りでその存在を届けてくれる。


春から初夏に咲き誇るバラ

しかし、夏の暑さが厳しくなると、どんどん枯れはじめ、花びらごと枯れて茶色く痩せこけていく。
しかも、自力ではなかなか地面に落ちることもできない。
あんなに美しかったのに、枯れていく様は惨めでもある。

「こんな惨めな姿をさらすなら、早く切り落としてちょうだいよ」

そう話しかけられている気がして、茶色になったバラを見つけるたびに切り落としてやった。

花を落としたバラは、しばらくはそのまま静かに佇んでいるものの、夏を越して秋の気配を感じる頃になると、なにかを思い出したかのように一気に返り咲く。

「わたしのことを見くびったわね。まだまだ人生を謳歌するわよ!」

と、その堂々とした返り咲きっぷりに、「かわいそう」なんて思ったことを恥じ、その力強さにパワーをもらう。

そんなバラに自分自身を重ねてみると、気分がずいぶん楽になる。

思春期の子どもたちの成長を見守り、更年期をやりすごし、もう少し心の荷が降りるようになったら、わたしもバラのように晩夏の光を浴びて堂々と返り咲き、人生を謳歌するのだ。

それまでは、ミッド・エイジ・クライシスのせいにして、感傷的になったり、こうして控えめに騒ぎながら、ゆっくりと漂うことにしようと思う。







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