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人生の半分を祝う会

人生90年とすると私はもう人生の半分を生きたことになる。

ハーフバースデイ、七五三、お誕生日、成人式と若い時にはいろいろなお祝いがある。

でも、人生の半分あたりまで年齢を重ね、今こうして生きていることももっとお祝いしてもいいのではないか。

若い時は未来を見ていた。

人生の半分までくると少し過去を振り返ってみたくなる。
自分の歩いてきた道や世の中の軌跡を。

よくここまできたじゃないか。
大病もなく、子供にも恵まれ、海外の地で移民一世として今日も自分の足で立っている。

大切なひとを幾人か亡くし、数匹のペットを見送った。
代わりに、幼かった子供達もティーネジャーの半ばにさしかかった。
今は「ついておいで!」というよりは「いってらっしゃい」と見送ることのほうが増えた。

子供が小さい時には、何があってもこの子達を守らなくちゃいけない。
そういう気持ちがとても強かった。
でも今は、もし私に何かあってもなんとか乗り越えていけるはずだ。
少しだけ肩の荷が降りた。
ここまできたことを嬉しく、たくましく思うと同時に、少し寂しい。

Bitter Sweet。

30代は「がむしゃらに」、とか「精一杯」という鎧を着て戦った。
けれど、そういう戦い方でなくても物事と向き合う方法を覚えた。
鎧を脱いだことで、少し体が軽くなった。

だからと言って、もうあとは余生だ、というほどまだ気楽ではないが、「もっと自分のために楽しんでいい」が足音を立てて近づいてきているのを感じる。

なんだか、20代ぶりの感覚だ。

気持ちは20代に戻ってはみたものの、時代は令和に変わっている。
当時、時代を牽引していた有名人もここ最近だいぶ年とったな、と感じる。
もちろん、私自分も例外ではなく。

そのことを寂しいとか、老うのが嫌だというのではない。
ただ、私の中に宿っていた「自分がより良い未来を作るんだ」という情熱的な想いが薄れて、もっと若い世代の人たちにこれからの世の中を委ねていくんだな、という感覚に変わった。

もちろん、私自身もまだまだ担い手ではあるけれど、いつまでも過去の感覚にしがみついていてはいけない、と思う。
時代とともにまだまだ進化し続けたい。

同時に、この歳になったからわかる真理みたいなものもある。
20代、30代はいろいろなことに肉付けをしてこねくり回してきた。
40代、50代では学んだことを上手に削ぎ落として究極のミニマリストになれたらいい。

新緑の鮮やかさ、ガラスの破片に差す陽、あなたと私の間にあるスペース、背中に背負った温もり、人混みの遊園地、満点の星空、手の届かない闇。

言葉にできない感覚に必ず存在する光。



私なりの真理を体現できる人間になれるように。

そんなことに気づけるようになったことに、
今日も生きていることに、
周りにいてくれる人たちに、

そして、私と同じく人生の半分を生きた皆さんに乾杯!



追伸:20代と50代は「身軽さ」が似ている気がする。
だからこそ20代にたくさん聞いた曲を、聴きたくなるこの頃。

”Best of my life
Things are changing and you are living”

当時は聞き流してたけど、なんだか感動しちゃったな。










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