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『天気の子』のはなし

ダメな方のRADWIMPSのオタクこと私、やっとこさ本日天気の子を観てきましたので感想を。ネタバレしていくスタイルなのでこの先は自己判断でお願いします。やっぱり映画館の音響で聴くRADWIMPSはいいねえ。

あらすじ

「あの光の中に、行ってみたかった」
高1の夏。離島から家出し、東京にやってきた帆高。
しかし生活はすぐに困窮し、孤独な日々の果てにようやく見つけた仕事は、怪しげなオカルト雑誌のライター業だった。

彼のこれからを示唆するかのように、連日降り続ける雨。
そんな中、雑踏ひしめく都会の片隅で、帆高は一人の少女に出会う。

ある事情を抱え、弟とふたりで明るくたくましく暮らす少女・陽菜。
彼女には、不思議な能力があった。

「ねぇ、今から晴れるよ」

少しずつ雨が止み、美しく光り出す街並み。
それは祈るだけで、空を晴れに出来る力だった――。

っていう話です。陽菜の晴れ女の力を使って、自分たちで生活していこうとするのだけど、なかなか上手くいかず。晴れ女の力には代償が伴う。
陽菜を失うか、世界を救うか、の二択を迫られた時、少年は、彼女は世界でなく自分たちを救うんですよ。熱いね。フィクションだね。アルマゲドンとはえらい違いだね。

東京ってサイコーじゃん

最初から最後までオール東京のロケーションなので、東京に住んでいる/住んだことがある人や遊び場が東京の人にはとてもたまらない背景群。
街や物語への没入感が大きいのでかなり楽しめた。個人的に。
あと、出てきた場所が結構な箇所、色んなデートの思い出とリンクして感傷的になってしまった…。エモ…。
東京の街に何かしら思い出のある人はきっとより深く楽しめると思います。帆高くんみたいな島出身の子は知らん。あと東京の小学生は実際にあんな感じでませてる。誇張じゃない。

小物使いが上手い!ライ麦畑で捕まえて、指輪、チョーカー

小説と違って映画の素晴らしいところは台詞やナレーションがなくとも視覚を通してさらに情報を詰め込めることだ。

主人公の帆高の持ち物として何度も出てくるサリンジャーの「ライ麦畑で捕まえて(村上春樹訳)」野崎孝訳でなくて村上春樹訳なところに新海誠みを感じてにやにやしちゃった。
ライ麦畑も、主人公の回想から物語が始まる。冒頭の帆高の『これは僕と彼女だけが知っている世界の秘密についての物語だ』からも同じ構造であることが分かるし、ライ麦畑も家出して、大都会ニューヨークへ向かいそして再びもといた場所へ帰っていく。なんとも示唆的だ。

指輪も象徴的に何度も映る。一つは帆高から陽菜へあげる指輪。そしてもう一つは(最終的に味方である大人)須賀がつけている結婚指輪。帆高と須賀は似ているという台詞が劇中にある。帆高は世界と彼女を天秤にかけた時、世界を選んだ子供。須賀は世界と彼女では彼女を選べなかった大人だ。二人は似ているようで決定的に違う。須賀の奥さんは交通事故でなくなったとなっているが、本当にそうだろうか。娘の親権で揉めているのは単に怪しいオカルト雑誌(月刊ムーは歴史ある雑誌!)の記事を書いているから?だけとは考えにくい。帆高と須賀を重ねるならば、ペアとなる、陽菜と須賀の奥さんも同じ人柱であるようにも考えられる。
二人の男の手に写る指輪。愛を誓い合った契約の象徴。

陽菜が付けている雫の形をした宝石?のチョーカー。これは最初、病室で陽菜の母親がブレスレットに着けていたものだ。母親の形見として陽菜はチョーカーとして肌身離さず身に着けている。大雨と雪の中、やっとの思いでたどり着いたラブホテルでお風呂に入る時も外さない。
陽菜が空の上(雲の中?)に着いて、帆高から貰った大切な指輪が指から抜け落ち、手から零れ落ち、地上へ落下する時も、同じ装飾品であるチョーカーはしっかりと彼女の首に巻き付いたままである。これは人柱としてもはや陽菜が逃れられない運命にあることを思わせる。
しかし、ここで帆高と陽菜は自分たちのために祈り、100%の晴れ女をやめる。その時、代々木の廃ビルの屋上に映る彼女のチョーカーは千切れる。運命を退けたのだ。

あるいは初盆を晴れにしたいという依頼の時に、迎え火を跨いだお陰で、陽菜の母親が陽菜を人柱としての天命を終えることから守ったのかもしれない。

前作の「君の名は。」でも三葉が髪を結ぶのに使っていた紐が、滝の腕に付いているのを冒頭で描き、時間のずれのヒントを与えたり、その後もずっと印象的に映していたから、新海誠は小物使いが本当に上手い。物で人や時間や物語を繋ぐ。そこに余計な説明は一切なく、観る人に解釈を委ねる。にくいねぇ。

RADWIMPSの楽曲のこと

私はRADWIMPSのオタクなので、これに触れないわけにはいかない!
君の名は。の時はいきなり野田洋次郎の声が聞こえてきて、その時点でもう胸が一杯になったので今回はどのタイミングで歌が流れるのか?!?に気が気でなかった。前作よりもしつこくない挿入歌だったのではないかと思う。特に三浦透子さんがメインで歌っている曲も2曲あったので君の名は。でこの映画RADWIMPSのMVかよ~萎えるわ~と思った人も、頑張って観て欲しいと思う。今回はMV感3割減くらいだから!さ!

天気の子は劇半がかなり良かったと思う。あと「愛にできることはまだあるかい」のインストだけが途中何回か挿入されているのもとても良かった。それからグランドエスケープを愛に~で挟み込んだのも良かった。

たぶん新海誠もまぁまぁのRADWIMPSのオタクだと思う。映画の為に作られた曲だからシーンや台詞と上手くリンクしているのがとても気持ち良かったですね。はい、オタク語り。

ジュブナイルを描くことの難しさと尊さ

帆高や陽菜の真っ直ぐさとか、間違い続けることとか、世間の常識と対峙しようともがくこととか、たかが1歳の年齢差といった思春期の微妙な感情の機微を、新海誠という大人がこんなに上手に描けるのがすごい。といっても私はもはや須賀のような大人と同じ場所からしかその純真無垢な時代を眺めることしか出来ないので、本当の15,6歳から見れば帆高や陽菜はうさんくさい、大人の求める少年少女の偶像にすぎないのかもしれないけれど。
それと同時に大人たちの理性と覚悟と諦観といった、大人の雁字搦めの世界も描いていて物語に厚みを持たせることも決して忘れない。

私たち大人はつい子供に子供らしくあれ、と無意識に理想を当てはめ押し付けようとしてしまうけれど、ジュブナイル作品を生み出す人は常にその自分の姿勢に懐疑的であり続けられるのだろうと思う。それはものすごく難しい。でも彼らはいとも簡単にやってのけるのだ。


新海誠がこれからも村上春樹的でありながら、同時に未来への光を追い求めることを観る者に与えてくれるような、そんな作品を描き続けてくれたら嬉しい。もうRADWIMPSはやめておいた方がいいと思うけれど。

サポート…!本当にありがとうございます! うれしいです。心から。