正しく諦める

ついにnoteのフォロワーが50人行った。マジかよ。フォロバしてないのにすごいな。いつもありがとね。

そんなフォロバしてないヤツもスキを誰が押してくれたかは見る。その中の一人に気になっていた人がいた。過去形だ。もうアカウントは消してしまったみたいだ。今日はその話をしよう。

彼女は同じ小説家志望である賞を取りたがっていた。有名な賞だ。今は競馬にハマってるから競馬に例えるけど未勝利馬が日本ダービー取るって言ってるくらい狂った事を言っていた。でもその狂気を私は嫌いじゃなかった。

パートをしながら小説を書いて、旦那さんが主に稼いでくれているらしい。もう知っての通りここで非モテの刃の主人公である非モテタンジェロの私はヘイトが溜まっているのだが(嫉妬)まあそこは良い。

だけど彼女は焦っていた。女性特有の未来設計図だ。生活的に目指している賞に間に合わないかもとも言っていた。間に合ったらnoteを更新すると言っていた。

一年更新を待ったが音沙汰はなかった。
多分落としたんだと思う。
あー落としたのか、と思った。
そんで更新ないって事は正しく諦めたんだなと察した。

私は賞レースの締め切りを過ぎた事はない。
それがプロとして生きていくために必要な事だと知っているから。
期限過ぎの100%より締め切り内の70%。あまりに締め切り前倒しでやると「早いのは良いんですけど質が悪いです」と言われるが(フリーランスやってる時マジでディレクターに言われた)もうそこは実力不足で切られた。推敲はしようね!

まあそれはそれとして締め切りが守れなければプロ失格の意識で生きてきたので締め切りを過ぎた事はない。でも彼女は前者の人間だった。プロじゃないからこそ推敲に時間をかけられると言っていた。

見習わなきゃいけないなと思った。
私に必要なのは前者後者フィフティフィフティのもので、だから早くても質が伴わない。だからこの人を観察したい(フォローしない理由はこんなクソガイジにフォローされたら普通に怖いと思われるのを懸念しているからだ)と思ったのだが。
そう思ったのに彼女は諦めてしまった。

諦める、は年齢が解決してくれるのだろうか。
環境が解決してくれるのだろうか。
いつか私も諦められるのだろうか。

私にとって正しく諦めることはすごいことだ。
皮肉じゃない。諦めるではない。「正しく」諦めるのが重要なのだ。
「もういいや」じゃなくて「もうやりきったな」と言える諦め方をしたい。そうしたらきっと次に行ける。

私は次に行けるのだろうか。
折れて折れて折れてそれでもまだ辞められない。
彼女はこうやって愚痴らず消えたから正しい諦め方をしたんだろう。
私も早くそこに行きたい。

魔法のiらんど大賞(予想)まであと半年もない。
そこで終われるのか、私は確かめたい。


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