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夢のはなし~眠りの夢~

こんばんは。今日は少し涼しいと思えるほどの暑さでした。
夕べはクーラー無しで眠れたのも久しぶりです。
ハンディ扇風機を二か所に置いています。
十分な風がきます。

今日は夢の話を…。
先日「夢とこころの古層」を読み終えました。
オンラインイベントも参加をしており、
今年は「夢」に関するイベントには2回参加しております。

夢に関しては不思議な経験もあり、一時は
夢日記を書いていました。

幼少期から長年の反復夢の経験があり
、それは何故見て、見なくなったのかは
わかっているので割愛しますが
夢枕で友人が亡くなるのを知ったり、
甥っ子姪っ子が生まれる時間に生まれる夢を見たり、
また、夢の中で話しを聴いていた事が、ニュアンスの違いはあれ
夢の中の当人に聞くと、ほぼほぼあっていたりするので
夢というのは、「何か超えて」くる印象があります。

友人を突然亡くしたショックが中々癒えない時に、
印象的な夢をいくつか見ています。

●友人のお見舞いに行くと「この病院は夕焼けが綺麗だから
見に行こう」と友人に誘われます。しかし、どのエレベーターも
人がいっぱいで乗る事が出来ません。
「夕陽が沈んでしまう、間に合わない」と焦る所で目が覚めます。

●グループで遊んでいると、友人が遠くから見ていて
声はかけないけれど「見守っている」という感覚を得ます。
(声が聞こえないのに不思議ですが、「見守られている」と
感じるのです)
私は「話かけてくれればいいのに…」と思っています。
なんとなく亡くなっている事に気づいてはいます。

●私は仕事か何かで、物を作っている時に
(家を作っているような感じでした)
「あまりに悲しむから戻ってきた」と柱の上から声をかけられます。
私は嬉しくて「みんなと、ご飯でも食べに行こうよ」と誘います。
待ち合わせの時間も午後8時にしました。

そこで、ぱっと画面が切り替わり
実家の前の道に立っています。私と友人は学校が一緒で
家の前は通学路でした。世界は私と友人だけになっています。
そこで、友人は何も言わず手だけを出して待っています。
走っても走っても、たどりつけず
また、時間が無くなると思っています。
しかし、飛び切りの笑顔で待っててくれて歩きだします。
そこで夢は覚めました。

最初に見た夢の「焦る気持ち」ではなく、
「会いに来た」という言葉がとても残っており
起きた瞬間は寂しさはありましたが、今までの夢とは違いました。

四十九日の日、
携帯を落として画面が開いた時、
友人のフォルダを、カーソルが示している状態で開いていました。
偶然かもしれませんが、「お別れにきてくれたのかな」と思いました。

(当時の携帯は、メルアド毎にフォルダを作る事ができ
メールの振り分けが出来ました。
私はフォルダは結構使っていて、家族や友人も細かくフォルダ毎に分けていました。)

それ以降、夢を見ることも、なんら気配を感じることもなくなって
事実を受け止められるようになっていきました。

夢の中で癒してくれたのは、自分が「そうしてほしい」と
思っていたからかもしれませんし
乗り越えていかなければいけないことを
自身が癒していったのかもしれません。

人間の持つ力というのは、計り知れないし
現実と夢との間の川だったり、橋だったり、
なんか「水」のようなものを感じます。
海王星のようなものでしょうか。

今は長編の夢を見ることも無くなり、
朝方や夕方に懐かしい夢を見ては泣いたまま目を覚めることも
無くなりました。

また、気になる夢があれば
つけてみてもいいかもしれませんよね。

このMVを見ると、現実と夢との間、諸説ありますが
亡くなった人と会えることを描いているのでは?と思います。
好きな歌です。








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