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好きな写真について #29

何を撮っても好き。記録されている写真は、ボクが興味をもった風景だから当たり前のことだけど、パソコンに取り込んだ後に一手間加えることもある。FUJIFILM X100Vを使い始めてからそろそろ4年が経とうとしている。jpegで完結させるためにカメラの設定を微調整を始めたのは去年くらいだったかな。SNSへの投稿頻度は下がっているけど、写真を撮りたい欲は日に日に増していて、今日も朝、昼、夕方と雨の中、近所の似たような場所を散歩していた。時間が変われば、明るさも変わるし、そこに在るものも変わるかもしれない。同じ場所で、2度と同じ風景が見れないことは誰もが知っていることで、それに対して価値を感じているわけではない。ボクは何を求めて散歩して、写真を撮っているのだろう。写真家として写真を撮ることで誰かを幸せにできているなら心の拠り所が得られるかもしれない。

この写真を見て、幸せになってくれる人がいるのか分からない。赤色が好きな人や、相撲好きな人なら何か感じるものがあるかもしれないし、ガラスに雨露がついている様子を見るとツンツンして大きな雨露にしたくなる人をキーッとさせてしまったかもしれない。ボクがこの写真を撮った目的は、自撮りと年代を記録したかったからで、誰かの幸せを願いながら撮ったわけではない。それなのに、後付けで「この写真を見て幸せになってくれる人がいたら嬉しい」と思うのは間違っているように感じるが、写真を読む行為がそう思わせたのであれば、写真とは意味の後付けがなければ成立しない世界なのかもしれない。

撮るものを決めて散歩することなんてなくて、そのときの気分で行き先を決めているから、何も撮れずにカメラを鞄にしまって喫茶店で紅茶を飲むこともある。大抵そんな日は食器の写真を撮って満足してしまう。これ以上にときめく風景に気付けなかった、出会えなかった。ファインダーを覗きながら、「この写真はボクが撮るべきなのか?」と考えてしまうときは、迷いが生じている証でありその場で解決できることは稀だが、撮っておけば後から考える機会が得られる。1枚ずつ撮った写真をじっくり見るなんて時間がないからできないと思う人もいるかもしれない。でも、好きな写真を知るためには、自分の写真と対話する時間は必要だと思う。年に1回でも良いから、写真を印刷して感情の揺らぎを知り、それが何によるものか向き合ってみて欲しい。年末でも年始でもない中途半端な時期に書く内容ではないかもしれないが、春から環境が変わる人はこれから身辺整理を始めるかもしれない。

写真は感情が表れやすい。これまでのように撮れないと感じたときは、その気持ちを大切にしてください。撮れなくても撮るんだという強い思いで撮った写真、写真から離れたあとに衝動に駆られて撮った写真、不安な気持ちで撮った写真。ボクはどの写真もそこに自分が写っていれば好きになれると思うんです。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。
寒い日がもう少し続きそうですが、体調に気を付けて、素敵な写真生活をお過ごしください。

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