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好きな写真について #26

来月大阪で開催する個展に向けて、毎晩冊子の制作を進めている。進捗をXで共有することで誰かに見られているプレッシャーを掛ける。そんなことしなくても作れるんだけど、深夜のテンションで投稿してしまう。いいねが付くことはほとんどない。承認欲求を満たすどころか、誰にも興味をもってもらえてないんじゃないかと不安になることもあるけど、直接ボクにメッセージを送っていただいた方に支えられながら頑張っています。100万個のいいねより、1通のメッセージがボクに勇気を与えてくれる。

約2ヶ月ぶりに好きな写真について書くことにした。

個展で展示する写真が決まってから、ボクは連日同じ写真を見ている。何回見ても同じでしょ?と思われるかもしれないが、じっくり観察していると昨日見えなかったものが、翌日になると浮かび上がってくることがある。夜中に宇宙人が来て、細工したのかと思うくらい写真の見え方が変化するのだ。残念ながら、細く長い指の先から出たビームが写真を変えた事実はないんだけど、写真のどこに注目するかが時間とともに変化しているんだと思う。

たとえば、帰り道で真っ赤なTシャツが張り裂けそうなくらいピチピチな状態で来ているおじさんが、駅前のベンチで黄色い紙袋に入ったベビーカステラを一つずつ丁寧に食べている風景を見たとしよう。ただいまと家に帰り、手を洗いうがいをして、着替えながら、ふと力が抜けた瞬間に真っ赤なTシャツおじさんを思い出していることに気付く。納期意識が低い人にどう接しようか悩んでいる自分がちっぽけに思えた。こんな日に赤い風船の写真を見たらきっとおじさんを想像するはずだ。些細なキッカケが世界の見え方を変えてしまう。

「限界突破して張り裂けそうなら いっそ破裂してしまえば良い」

小さな田舎のライブハウスで、おじさんがアコギ一本で弾き方っているかもしれない。客先には誰もいない。だけど、自分の想いが必ず伝わると歌い続ける。諦めてしまうと、想いが伝わる可能性がゼロになってしまう。「こんなに頑張ってるのにどうして誰も分かってくれないんだ」という話を聞いたことがあるけど、これって自分が向き合っていることに自信がないから他者に認めてもらいたいという想いがこぼれ出した結果だと思う。1人で出口の見えない道を歩くのは怖い。どれだけ進んでも出口がないと不安になりながらも歩みを止めず、前に進み続けた人にだけ光が射すのだろう。

個展のために選んだ写真たちは、今のボクに光を与えてくれるような写真ばかりです。だからいつまでも見ていられるし、写真の中の物語が生まれるのだろう。そんな写真がボクは好きだ。

写真や旅のことだけじゃなく、今ボクが気になっていることをnoteに書いています!読んでいただきありがとうございます!