畑中勇二

鹿児島県いちき串木野市で訪問看護師として働いています。/Twitter@yuji_ha…

畑中勇二

鹿児島県いちき串木野市で訪問看護師として働いています。/Twitter@yuji_hatanaka/届けるを意識しています/

マガジン

  • #自分を磨く時間

    ちょっとした、役に立つだろうことを書きます。医療・介護に寄ってしまうこともあります。マネージャーでもそうでなくても、気軽に読めるように書きます。学びのシェアを一緒にしましょう。

最近の記事

自己責任って

私の中には、何かが起こったときに、自己責任だと思う癖がある。というかどうしてもそういう思考になってしまう自分がある。自分自身、何かが上手くいかなかったら、それは私のこれまでの選択の結果だと。そこまではいい。他人の状況をみても、それは自己責任だからしょうがないと思うのである。その都度、私はなんて冷たい人間なんだろうと後ろめたさを覚える。それでも、それは自己責任だから周りに助けてもらおうなんて厚かましいなんて思いもある。 ずっとモヤモヤしている。それは、私が自己責任と思う状況で

    • チームは3人まで

      大概のプロジェクトのチーム構成は、2〜3人で十分です。4人以上のチームと作ったとしても、動いているのは2〜3人ということになりがちです。大きなプロジェクトであれば、作業を分割して、3人のチームを複数作ります。そして、ひとりが複数のチームに所属することはありです。更に、ひとりでできる事は、ひとりでも良いと考えます。何もかもチームで動くことが成果を上げるとは限りません。 では、なぜ4人以上は良くないのか、それは、コミュニケーションスピードが遅くなり、意思決定も遅れるからです。チ

      • 「判断」ではなく「選択」を

        裁量権があり、判断するという作業がある。でも、それを「判断」とするのか「選択」とするのかでは、心の持ちようが違ってくる。 判断は、自分の納得感がなくてもそう判断したと、言い訳をしてしまいそうになる。 ポジティブに「選択」をしたときには、言い訳はでてこない。答えのないこの時代であっても、その「選択」が正解だと信じることができるから。 それを言語化して、伝えることがマネージャーの仕事

        • ほんとうに困っているのは誰か

          「改善策を考えるときのポイント2」 改善策が必要だと思うときは、困っているときだと思います。そこで、ちょっと立ち止まって考えてみて下さい。 困っているのは誰か?? 大概の場合は、困っているのは「私」です・・・と思いがちです。でもよく考えると本当に困っているのは、「私以外の誰か」であることがわかります。 ちょっと立ち止まって、困っているのは誰なのかを考え、困っていることの解決ができると、私も、困っていた誰かからも喜ばれます。

        自己責任って

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        • #自分を磨く時間
          4本

        記事

          改善が日々を変えていく

          「改善策を考えるときのポイント」 課題解決を日々行える組織は強いと思います。但し、現症、問題、課題、原因を意識するこが必要です。 「問題が原因」で「現象が結果」です。 「現症」を問題として捉えがちですが違います。 「課題」は、数ある問題の中で、改善ができるものを差します。 例えば、「離職率が高い」は現症です。原因は他にあり、顕在化しているものと潜在化しているものがあります。ここで顕在化している原因=問題は表面的な問題です。潜在化している原因にアプローチしてこそ、問題が解決

          改善が日々を変えていく

          初めての自分磨きの時間

          <仕事の捉え方> お金を稼ぐ手段ではあるけれど、「自身の成長のための学習機会」と捉えるとポジティブでいられるような気がします。 自分自身を満たしていくとは、変化と成長実感ではないでしょうか。 だとすると、毎日が学習の機会となっている「今」にとても感謝できます。

          初めての自分磨きの時間

          看護師の国家試験が近い、コメダ珈琲店で試験勉強をしている、看護師の卵をたくさんみかける。 未来の看護師さん、一緒に仕事をすることもあるでしょうね。 楽しみです。

          看護師の国家試験が近い、コメダ珈琲店で試験勉強をしている、看護師の卵をたくさんみかける。 未来の看護師さん、一緒に仕事をすることもあるでしょうね。 楽しみです。

          すべて夢だった

          すべて夢だった、そうであって欲しい、それは半分ホント。目を閉じて、深呼吸して、次に映るのは、いつものテーブル、置かれたマスク。僕らは自分で決めることはできるけれど、選べなかったと奥歯がギリッと鳴った音が昔にみえて、今日もまだ飲み込めずにいる。反芻をくり返す選びなおせなかった日も今日も、いつかは日々になっていく。エコーチェンバーには見向きもせず、ひたすら事実と感情を切り離して生きていく僕たちは、ちょっとバラバラかもしれないけれど、つま先は同じにしてぎこちなく、かわるがわる片足で

          すべて夢だった

          立ち止まって考える

          すべて夢だった、そうであって欲しい、それは半分ホント。目を閉じて、深呼吸して、次に映るのは、いつものテーブル、置かれたマスク。僕らは自分で決めることはできるけれど、選べなかったと奥歯がギリッと鳴った音が昔にみえて、今日もまだ飲み込めずにいる。反芻をくり返す選びなおせなかった日も今日も、いつかは日々になっていく。エコーチェンバーには見向きもせず、ひたすら事実と感情を切り離して生きていく僕たちは、ちょっとバラバラかもしれないけれど、つま先は同じにしてぎこちなく、かわるがわる片足で

          立ち止まって考える

          だからアナログ時計の秒針が好き

          ゼロかイチか、正しいか間違っているかの両極端でできているかのように思える。そんなことはない、黒と白の間には、数え切れないグレーがある。時計の秒針が動き、1秒を刻む。その1秒と2秒の間には宇宙ほどの時間が在る。

          だからアナログ時計の秒針が好き

          貧乏万歳!

          あることが当たり前の世の中 ないこと、持っていないことを嘆く 貧しさは、自分が満足しているかで決まる、お金、持ち物、自分の外側や付属しているものに満足を求めていたらいつまでたっても貧しいまま。人よりたくさんと思えばいつまでたっても満足しない。 自分の内面に目を向け、目に見えない物の価値を見いだすと、貧しさから永遠にサヨナラできます。人から見て貧乏であっても、自分が満足していれば、それでいい。

          貧乏万歳!

          この×××だらけの僕

          複雑な気持ちに満ちている 死を目の前にした方のお手伝いをしたいと思う自分と、死を目の前にした方のお手伝いをしながら消耗している自分がいて、どちらの自分もほんとの自分。うれしかったり、楽しかったり、辛かったり、泣きたくなったり、いそがしい。少し時間が経つと、「よかった」に何とかできている自分にホッとして。前を向いて目の前の事に集中しているフリもしながら。現在がある。

          この×××だらけの僕

          分かっていることをすることが、難しいという事実

          本を読めば知識が得られる、勉強したり、練習すれば、できないことができるようになる。でもしない。理由は人それぞれなのかもしれないし、だいたい一緒なのかもしれない、なんで?って考えてもしょうがないような気がしている。自然と苦なくそれができれば良いのだけれど、しなきゃと思えば思うほど、取りかかりが遅くなる。でも取りかかってみると夢中でできたり、終わったときの達成感で嬉しくなったりする。面倒くささと達成感の天秤が、面倒くささ側に傾いているのだろう。 行動の源泉がないのかもしれない、

          分かっていることをすることが、難しいという事実

          変化の中心に自分を置く

          何かを変えたければ、自分を変えろ。全くその通りだと思う。 自分は変わらず、安全地帯からあーだこーだ言っているのはただの文句だ。文句を言っても何も変わらない。自分が変えたいと思っている物事があるなら、まずその物事に対して自分が何ができて何をするのかを伝え、動かなければ、誰も手伝ってくれない。自らの行動と、言葉で思いを伝えること、この二つが、人の心を動かすのだ、心が動くと、行動が変わる。行動が変わると物事が動き出す。 それを一言で言うと「変化の中心に自分を置く」だ。 言い尽

          変化の中心に自分を置く

          飼い主にしか懐かない犬が懐いたときのようにうれしい

          子供達に、うれしいことあったかと聞くと、即答で「ないです」という。もうちょっと考えてみてというと、たいがい昨日の夕飯がおいしかったなど、食べ物の話になる。 聞き方を変えて、いいことあったかと聞いても、やはり同じである。考えることから逃げているのか、面倒くさいのか、ボキャブラリーが貧困なのか、ほんとにうれしいことなかったのか。 些細なことに喜びを感じ、当たり前と思っていることへの感謝を忘れないことは、この満たされた便利な社会の中で、人間的に生きていくために必要なスキルである

          飼い主にしか懐かない犬が懐いたときのようにうれしい

          今日といういちにち

          8月は1本も書いていないことに気づいた。だからどうだって事もない。今日は出勤はしなくていい日だった。朝からカフェで珈琲とモーニングをいただき、最近あの店員さんいないな、辞めちゃったのかな、なんて思いながら、その定員さんが店長と喧嘩するの光景を妄想していた。重たい教科書をバッグに詰めて、非常勤講師の講義資料を作っていた。集中するまでにやや時間がかかる日だったが、3時間ほどで予定のとこまでたどり着いた。自分以外に誰も褒めてはくれないので、自分で頭を撫でてみた。頭を撫でられたことな

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