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【無料】志村けんさんは、どこかで誰かの人生を照らしてくれていた

志村けんさん、本当に信じられません。
言葉になりませんが、できるだけ言葉にして残しておきたいと思いました。

太陽が消滅したような、そんな気持ちになります。
言うまでもなく、笑いの歴史において志村さんはスーパーレジェンドであり今なおトップランナーでした。
もしかすると、お笑い芸人というより、喜劇役者という言葉がしっくり来る方だったのかもしれません。

大マジメに悪ふざけをする人であり、そのバカバカしさの中にある哀愁と面白さ…
私をふくめ、当時の子供たちの心に突き刺さりまくっていました。

志村さんは子供たちから絶大な支持を得たイメージがあるが、決して子供騙しではなく、誰よりも大人の芸を売りにしていた。
おもいっきりバカなことをやっているように見えて、実際には大人の色気と品格、そして分厚い説得力と匠の技を兼ね備えていた。

本物の喜劇人であり、このご時世における知名度や支持されている年齢層の幅、いろんな意味で稀有な存在の人でした。

私はお仕事で接点を持たせていただいたことは残念ながら1度もありません。

だが、10年ほど前だろうか…
志村さんの弟分に当たるとも言える、あるお笑いトリオさんの打ち合わせで名古屋へ向かった時のこと。

打ち合わせ場所に指定されたのは、名古屋にある大きなホール。
志村魂という、志村けんさんの一座で行うコントツアーの本番終わり、楽屋での打ち合わせを指定された。

もちろん、本番終わりが打ち合わせの指定時間なので、本番終わりの時間を目掛けてホールに到着すればいいのだが、私は無性に志村魂が観たくなった。

観なかったら後悔するかも…?

私はかなり早い時間に名古屋のホールに到着し、1枚当日券を購入して志村魂を観させていただいた。

会場は超満員。そして、子供に支持されていると思っていた志村さんの本気を見届ける群衆は、そのほとんどが大人だった。

ドカン!ドカン!会場は爆笑に包まれる。
綿密に練りこまれたコントと、サービス精神溢れるアドリブ…
鳥肌が立つとは正にこのこと。
本物のプロの喜劇役者に初めて触れた瞬間だった。

まさしく、命をかけてふざけている…
志村魂…なるほど、志村さんの魂はここにあったのか…と客席で勉強させていただいた思い出がある。

そして、公演の後半にはシリアスなお芝居もあった。
真剣にお芝居を演じ切る役者としての志村けん。
ふざけまくったコントの後に、泣かせも入り混じる真剣なお芝居。
志村さんは二枚目の顔を持ち合わせており、その虚実入り乱れるベールに包まれた素顔。
だが、舞台の上に存在したのは真剣に舞台と向き合う純粋な男の姿。
これが志村けんが志村けんたる由縁。
本物の芸事とは何か…私の脳裏にハッキリと刻まれた。

公演が終わり、打ち合わせのため楽屋へ向かった。

そこで本番直後の志村さんの後ろ姿をお見かけした。

本気で芸事と向き合う男の生き様。

あの背中から紐解かれるのは、この一言に尽きる。カッコよかった。後にも先にもあんなにカッコいい後ろ姿を見たことはない。

口で語らずとも背中で語る。カッコいい大人の代名詞とも言われる表現だが、あの時私はリアルにそんな背中と直面した。

テレビタレントとしても超一流だったが、志村けんさんの真骨頂はここにあることを確信した。
志村魂を生で観させていただいたことは、永遠に私の自慢として語り継いでいきたい。

ちなみに『アイーン』や東村山音頭など、志村さんの偉業の中で紹介されるものは数多くあるが、その中で私は『最初はグー』を皆様に知っていただきたい。

「最初はグー、ジャンケンポン!」
これを言ったことのない人など、日本にいるだろうか。
この『最初はグー』は打ち上げで支払いをかけたジャンケンをする時に、みんな酔っ払っていて、なかなかジャンケンのタイミングが合わない時に志村けんさんが発案したものだと聞いたことがある。
ギャグや歌なども当然語り継がれるが、みんなの日常に密接した『最初はグー』は当たり前のように世の中に存在しており、ここまで普遍的になる新語をさりげなく生み出した志村けんさんは本当に凄まじい。

そして、驚くほど志村けんさんはシャイな人だと聞く。
素の状態でテレビに出ることを苦手とし、トーク番組などでもバカ殿だったり変なおじさんだったりに扮装することも多い。

憑依することで、自分を表現できる生粋の喜劇人なのだろう。

そこに何とも言い難い色気を感じる。
なぜか、色気のある男性はシャイな人が多い。

そして、笑いを愛し、喜劇を愛し、コントを愛し、生涯かけて一本通し続けた筋。

『笑いの世界における功績』なんて簡単な言葉で片付けたくはないが、その存在自体が日本を明るく照らし続けた人だ。

粋でシャイでヤンチャで子供っぽいイタズラな顔をするおじさん。
『変なおじさん』ではなく、みんなの記憶の中に存在する、日本人全員にとっての『親戚のおじさん』のように感じさせてくれる人だ。

あれだけの超大物なのに、「おい志村!」と呼ばれることが不自然じゃない。

そんな身近さを感じさせてくれる本物のスーパースターはなかなかいない。

さらに、志村けんさんで、もう1つ思い出すことと言えば…私は10代の頃カナダへ留学したことがある。

もちろん、全く英語も喋れないのでクラスでコミュニケーションなど取れずに四苦八苦。
あちこちの国から来た同世代くらいの留学生たちが1つのクラスに入れられたのだが、お互い英語も喋れない状態なので、最初はなかなかしんどい日々を過ごす。

しかし、そんな最中、台湾からの留学生の子が、私が日本人だと分かると、いきなり「シムラケ!シムラケ!」と話しかけてきた。

ん?何を言ってるか分からず、最初は理解不能で、「What?」とカッコつけて聞き返している私に対し、その台湾人の子は変なおじさんのマイムをやり始めた。

えっ?志村けん?知ってんの!?
驚いた。国境を越えて台湾人が変なおじさんをやっていた。

あの頃はまだYouTubeやインターネット環境なども今ほど発達しておらず、どうやって志村さんが台湾人に知られたかは分からずじまいだったが、言葉の通じない者同士を繋いだのが日本のコメディアン志村けんだった。

お互いに英語もつたないので、その台湾人の子とは最後まできちんとコミュニケーションを取ることはできなかったが、事あるごとに「シムラケ!シムラケ!」と言いながら僕たちは会話をしていた。
いつしか挨拶が「シムラケ!」になっており、知らぬ間にこちらからも「シムラケ!」と話しかけていた。

いろんな形で、いろんな場所で…
志村けんさんは助けてくれていたんだなと、あの時のことを思い出す。

そののちに、私もこの業界に入ったので…いつか、志村けんさんとお話しする機会が訪れたならば、この時の留学の話を本人にしたかったなと思っていましたが、叶いませんでした。

本当に悲しい。
日本の芸能界を代表するアイコンのような方だった志村けんさん…

昨今はテレビ離れもあり、国民的スターなんて言葉は古くさくなっている。

細分化につぐ細分化の波はどんどん押し寄せ、今後、このような国民的スターは生まれにくい状況なのは間違いない。

だが、完全なる持論ですが私は思います。

憧れじゃなくていいが、敬意は示す。

礎を築き上げた先人たちがいて、そのレールの上に今の芸能の世界は成り立っている。

「昔から憧れてました」「背中を追いかけてます」
なんて、言わなくていい。そうじゃないなら言わなくていい。

それでも、絶対に敬意は示すべきだ。
リスペクトの気持ちは未来永劫であり、志村けんさんの残した魂は永久に不滅。

新型コロナウィルスは想像以上の恐ろしさであり、本当に先の見えない事態に毎日毎日不安で押し潰されそうにもなる。
買い出しに行けば、人々はどこかギスギスしており、街の空気も何かがおかしい。
前代未聞の出来事に直面しているので、誰もがこうなって当たり前だと思う。

そして、日本芸能史に君臨する太陽までも奪ったコロナウィルスが本当に憎い。

なんでこんなことに…?信じられない気持ちがおさまらない。

今、おもしろいことを考えられる余裕があるか?と聞かれれば、正直分からない。そんなこと考えてていいのか…?とさえ思い始めた。

そんな時こそ…みたいな意見もあるが、本当に今の今は分からない。少し混乱しており、自分の考えがまとまらない。

だけど、これまで長きに渡って志村けんさんは僕らを笑わせてくれた。喜ばせてくれた。助けてくれた。照らしてくれた。

もちろん、志村けんさんほど影響力のある人にならなくても、周りにいる誰かを照らせる人に私もなりたい。

そんな自分が落ち込んでちゃダメだ。下を向いちゃダメだ。

全力でギャグをやり、全力でコントをやり、全力で面白いことをやって、全力で人々を笑わせようとしてくれていた志村けんさんの魂を、ほんの少しでも受け継ぐつもりで…

これからもコロナとの戦いは続くが、私は全力で誰かの人生を照らせる、志村けんさんのような人に、ほんの少しでも近づきたい。

すみません。生意気ながら、そんなことを思います。
でも、1度でいいから、ご一緒させていただきたかったなあ…
自分でも驚くほど、本当に寂しいです。

心よりご冥福をお祈りいたします。ありがとうございました。

#志村けん #ありがとう

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