時は来た。VS板の外の魔物

まずは自分の力で勝負する。

他人に力を借りない。自分の力でやれることをやってみる。

これがマイルールであり、他人にも求めるルール。

ルールを押しつけるな!と怒られようが関係なし。

他力本願ベースは絶対に認めない。

応援してくれているお客さんを軽視することも許さない。

良いも悪いも評価は全て板の上。

宴会部長もロビー活動も太鼓持ちも関係ない。
それは板の上に持ち込まず勝手に各々やってくれ。

自分の力で戦わなければ、勝っても負けても何の意味もない。

戦う場所は本番のみ。仕事内容のみ。できあがった作品のクオリティのみ。
気にするべきは、お客さんが喜んでくれたかどうか?誰にも迷惑をかけず誠実に戦えたか?

「誰もが一人で生きてるわけじゃない」

「誰かの力を借りなきゃ無理だよ」

そんなことを言う人もいますが

それは話の論点が違う。

一人で生きてるわけじゃないことは知っています。

誰かの力を借りなきゃいけない場面があることも知っています。

言いたいことは物理的なことじゃない。

これは志の話です。こころざし。

最初から誰かの力を借りることを予定に入れるのはいくらなんでも品が悪すぎる。

今、誰の力を借りれば得できるか?

今、誰に媚びておけば数字を伸ばせるか?

損得勘定で人の価値を天秤に乗せてはかるのは、みっともなさすぎるし失礼すぎる。

人間には心があって、気持ちもあって、感情もある。

自分の力で戦わなければ、心も気持ちも感情も粉々に砕け散る。

なぜなら、他力本願とは別名、
「人間をその時の商品価値で見ること」に繋がっていくからだ。

弱みを握られている子供晒し系ゴマスリユーチューバーのパワハラ告発を真に受けてハシゴを外して人を貶めた大組織の醜態。取り返しのつかない失態であり歴史に残る業界史の汚点。

「板の上は関係ない」
「悪魔に魂を売れるところを気に入っての抜擢」
「あのユーチューバーは食事会のみの活躍でいい」
「視聴者はテレビを真剣に観ていない」
「実はあのユーチューバーに弱みを握られている」

今考えても、納得いく言葉が一つも見つからない。

大人の事情のみを優先し、大勢のお客さんを無視してきた板の外の魔物たち。

さあ、時は来た。

私と板の外の魔物たち
どちらが正しかったのか、ついに決着がつく。

関西最高峰の格式あるホールで行われる一世一代の大勝負。きっと場内は満員。
やはり、舞台は大阪。大阪で決着がつく。

板の上の魔物と対峙しながら、お客さんのためにもがき続けてきた私を許さなかった板の外の魔物たち。

魔物の本丸は来ないだろうが、その息のかかった魔物ジュニアみたいなもんは誰かしら来るだろう。

板の外の魔物たちと同じ空間で一緒に見届けよう。

本当に板の上は関係ないのか?
本当にお客さんを無視することが正解なのか?

ついに白黒つきます。
ついに決着がつく。

ここまで長かった。

どうやって勝敗を決めるのか、どうやって自分の正しさを理解してもらえばいいのか、ずっと分からなかった。

けど、ようやく。

どちらが勝つのか?
どちらが正しいのか?

大人の事情は、本当に誠実に戦うことより大切なのか?
その答えがようやく分かる。

ごまかしはきかないリングでの一発勝負。

何かと手の込んだ方法で貶められたが、こっちはアナログな真っ向勝負。

リベンジの機会が巡ってきた。
最高の舞台を手繰り寄せた。

勝っても負けても
結果は、ここにまた書こう。絶対に書くと決めておく。

負けた時に書かないのはフェアじゃない。

自分の力で戦うとマイルールを決めている人間は
フェアに勝負することも決めている。

真の意味でどっちが正しかったのか!?

本音を言えば、答えが完全に明確化されてしまうのは少し恐ろしい。

でも、時は来た。

ついにどちらが正しかったのか、ハッキリと姿を見せる時が来てしまった。

自分が何を大切にしているのか?
板の上に全てを賭ける矜持とは?
人を喜ばせることの素晴らしさとは?

実際は何も理解できていなかった
あの板の外の魔物たちに心の底から間違いを認めさせるチャンスが訪れた。

誠実に、真っ直ぐ、プロとして
お客さんの存在を無視せず、自分の力で戦って知らない何処かの誰かを喜ばせること。
板の外の話ばかりしてパワーゲームに興じて、人間のことをただの商品として見ている魔物たちに向けて
誠実に戦うことの意味を分かってもらえる一日になる。
大マジメに、この戦いだけは負けが許されない。

答えが姿を現すことの恐ろしさは想像以上。なぜか驚くほどに緊張している。
自分は間違ってないと信じたい!

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