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宗教心理学ノート⑥

6月10日、本町の相愛大学にて、名越康文教授による「宗教心理学」講座が開催されました。以下に講義内容(の一部)を掲載します。多くの項目は、受講生の質問に答える形で語られました。

▶︎この講座では「アドラー心理学」「仏教心理学」「体癖論」の3つの領域で講義を行う。アドラー心理学はシンプルだが、使いこなさないと身に付かない。言ってみれば、柔道や剣道の技の習得のようなもの。これを習得して何をなすべきか?といえば、それは周囲の人といかにして“横の関係”を作るか、ということだろう。

▶︎アドラー心理学も、仏教も、「知識として知っている」だけでは意味がない。あくまで実践し、使いこなせてナンボの世界である。言い換えれば、どちらも(今、ここでの)「自己モニタリング力」が試されることになる。

▶︎仏教は衆生(人々)に優劣をつけない。すでに多くの人を救っている人も、不安におののいて家に閉じこもっている人も、最終的なゴール(悟り)に向かって歩んでいる点では変わらない。むしろ苦しみに直面している人の方が、却って真剣だし、伸びシロがある可能性すらある。

▶︎「カタシロ rebuild」に出演してみて。視聴者から200を超えるコメントが寄せられた。演じる側と観る側の距離感が近くなってくると、一種の「同化現象」が起こり、主観と客観が混在し始める。そして主観をトコトン掘り下げると、それがある種の客観性を帯びてくるようになる。ユングのいう「集合知」の形かもしれない。

▶︎体癖論について。野口晴哉先生が考案した体癖の考えを、心理学的に展開している。他人と接するとき先入観を外すことはできないが、この体癖を学ぶことで、自分の思い込みから離れた、“より正しい(客観性の高い)先入観“を持つことができる。

▶︎まず外見を見て、「骨太」か「華奢」かを判断する。1、5、7、8、10種は大体骨太である。2、4、6種は華奢である。「骨太」というのは、どっしりとして動じない感じ。これが分かるようになったら、次は「奇数系」か「偶数系」かを判断できるようにする。奇数系はぎゅっと凝縮している。偶数系は分散している感じ。

▶︎体癖からみた「相性」判断はあるが、そもそも「相性」とは何か?が難しい。相性とは「仲が良い」ことではない。プロレス全盛期の猪木VSタイガージェットシンとか、野球の阪神VS巨人とかは、「好敵手」という意味で相性が良かった。

▶︎8種体癖について。真面目でコツコツ、目立たない性格で口が重い。8種の人と対話するのは難しい(なかなか続かない)。

▶︎アドラーの言う「劣等感」について。アドラーは初期の研究で「器官劣等性」という概念を立てた。これは例えば、運動が苦手な人は別の得意なことを伸ばすことで道を開いていく(これを補償と言う)。あるいは、棟方志功の弱視だとか、ベートーベンの難聴といった、持って生まれた身体的ハンディを自力で乗り越えることで、高いレベルまで到達するケースもある。しかしのちにアドラーは、実際に身体・能力面で劣っていなくても、自分の主観で「劣っている」と感じることを含め、広く「劣等感」と称することにした。

▶︎「歌う」という行為における無我の境地について。まずノドじゃなく、腹で歌うこと(腹式呼吸)で、その違いを味わうのがポイント。まず体験し、その違いから、「無我の境地」を感じ取るのが良い。そうでなく、頭で(知識で)「無我とはこういうもの」と教えられても、それはうまくいかない。まず実行し、そこで感じ取ったものをベースに判断する。このやり方がアドラーのいう「主体性」と言える。

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