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向日葵の咲くころに #deleteCリレー連載 (5/8)


(リレー連載第5回 医師・作家 中山祐次郎)

ここに一葉の写真がある。2017.6.18、大阪のある結婚式場で撮られたものだ。ブルーを基調とした、ピンクの薔薇とかすみ草の大きな花束を持った花嫁は、となりの男前の新郎と腕を組み顔を寄せ合うと、たくさん泣いたあとの腫れぼったい目を細めて静かに笑っている。白いドレスに包まれ、額を出したヘアスタイルにオレンジの花の髪飾りが良く似合う。

彼女がはじめて体調を崩して病院にかかったのは19歳のことだった。どうにもお腹が張り、調子が悪かったらしい。病院に行くといきなり医者に「肝臓にがんがある。いつ破裂してもおかしくない、破裂したらあなたは死んでしまう」と言われた。そして、「余命は持って半年」とも。

生まれ持っての明るい性格だった。「私がおばあちゃんになったらね…」将来の夢を語るときの瞳はいつもキラキラとしていた。兄弟思いで、母思いだった。大阪の高校ではキリスト教の神父さんに出会い、聖書の言葉に感動をした。モデルの真似ごとなんかもやり、自慢の美脚を惜しげもなく出した。

そんな彼女と共通の友人を介して出会ったのは4年前のことだ。弾けるような笑顔に、デニムのショートパンツから出る脚は健康的によく日焼けしていた。旅行などいくつかのことを共にしてから、僕と彼女はまるで兄妹のように仲良くなった。大阪と東京という遠距離の付き合いだったが、ときどき上京してきては共通の友人たちと食事をしたり、僕が出張で大阪に行ったら連絡をして会った。一番多く話したのは恋愛相談だった気もする。うじうじ悩む10歳以上年上の僕の背中を押す(というか蹴り飛ばしている感じだった)こともあれば、彼女が泣きながら電話をかけてくることもよくあった。

そんな付き合いをしながらも、話の内容から少しずつ彼女の病状は悪くなっていることは感じていた。咳がひどい。眠れない。腫瘍マーカーが1万を超えた…。痛みが強いときなど、「主治医にこう言ってこれ出してもらったほうがいいよ」と口を出すこともあった。知りたくないが分かってしまう、彼女の見通し。僕は自分が専門家であることを呪った。

彼女がいなくなってしまってから一年、僕はやっとお参りに行くことができた。つるりとした墓石を撫で、語りかける。僕は幸せにやっている、君も安らかに眠ってな。いつか会いたい。

僕は、僕の大切な人を奪ったがんという病気が憎い。僕はがんの外科医として、患者さんの体にメスを入れがんを切り取る日々を送る。それでも僕の戦いは勝ちばかりではない。外科医としての限界を目の当たりにしたから、がんの研究も始めた。20万円の統計ソフト、30万円のノートパソコン、5万円の英文校正、4万円の文献整理ソフト、これまで50万円を超える研究協力者への謝礼。すべて自分の貯金から出した。若いがん患者についても研究し、論文を書いたら掲載料が20万円だった。僕のような小規模な研究でもこんな具合だ。研究には金がかかる。この #deleteC キャンペーンに協力し、がんの研究費が増えることを切に願う。僕はまだまだ、彼女の笑顔を埋葬する気になれない。

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