見出し画像

なぜ私ががんになったのか、へのお答え


皆さんこんにちは。
わたくし中山祐次郎38歳、この6月に新しい本を出版します。「がん外科医の本音」という、がんについての本です。昨年8月に出した「医者の本音」はありがたいことにベストセラーとなり、発行部数は12万部を超えました。

「医者の本音」では医者全般について広くお話をしたのですが、本当はもっとがんについて書きたかった。なぜなら、必要としている人がじつに多いからです。そして、私はがんの専門家で、さまざまな質問にお答えできると思っていたからです。
自分、もしくは家族ががんにかからない人はほとんどいないこの時代。わたしは、大腸がんの専門家として、色々な質問に答える形でこの本を書きました。

がんの予防は何ができるのか、「抗がん剤の副作用」がいやならばどうするか、「医者は自分には抗がん剤を使わない」は本当か、がん検診は受けるべきか、先進医療特約は入るべきか、といった現実的な問題の答えを、読み物としてまとめました。

そこで、本日4月12日、アマゾンで予約開始になるタイミングで、本の一部を先行公開致します。「なぜわたしががんに?」へのお答えを、思い切りわたしの本音ベースで書きました。

執筆していたら2冊分の分量になってしまったので、エッセンスだけを絞り出して1冊にしています。お手にとって頂けたら幸いです。

*******

第六章

家族は「第二の患者さん」
最後の章では、データに基づいた客観的な議論ではなく、私の考えをしたためました。私は医者になってたった13年の、一介の外科医です。教授でもなく、目覚ましい業績をあげたわけではありません。福島県でほそぼそと医者をやっている、38歳の男です。そういう、「ある医者の本音」としてお読み頂ければと思います。

私にとっての正義は、ある別のがんの医者の正義ではないでしょう。私が大切にしていることは、他の医者にとってはどうでもいいことかもしれません。それでも、ある医者である私が感じたことを言葉にし、お伝えすることには意味があると考えています。お読みのみなさんへ少しでも価値をお渡しするために、もちろん言えることばかりではありませんが、なるべく正直に、ていねいにお話をしたいと思います。それでは参りましょう。紛れもない、私、中山祐次郎の本音です。

●目の前が真っ白になった日

さて、ご自身ががんになると大変なのですが、自分ではなくご家族ががんになったときもまた大変です。ですが、この経験をしない人はほぼいません。二人に一人ががんになる時代ですから、「家族が誰もがんにならなかった」という人はほとんどいません。ご家族でも、親しい友人でもいいでしょう。この項では、そんなときにどう対処するかを書きました。
ご家族ががんと診断されたとき。
おそらくあなたは激しいショックに見舞われ、数日間仕事が手に付かないことでしょう。そして、祈るような気持ちで「間違いであってくれ」と思ったり、「軽いもの、治るものであってくれ」と思うでしょう。
私にもその経験があります。

●「第二の患者さん」
「第二の患者さん」という言葉をご存知の方はいらっしゃるでしょうか。この言葉は、がんにかかった人の家族は、「第二の患者さん」と言ってもいいほど患者さんと同じくらい大変なんですよ、という意味です。私は、漫画家で夫ががんにかかってしまった方のコミック『今日から第二の患者さん がん患者家族のお役立ちマニュアル』(青鹿ユウ 小学館)で初めて知りました。

「第二の患者さん」。

実に見事と言ってもいいほど、がん患者さんの家族の大変さを表現した言葉だと思います。もちろん当の本人も大変なのですが、家族も同じくらい、そして、時には本人より苦しいことがあるのです。
がんと診断されたとき。治療の選択肢を提示され、悩むとき。治療をして、本人が痛みや吐き気などで苦しんでいるとき。そして、再発してしまったとき。なによりも、本人をお見送りしたとき。
こんな、大きな大きな波が、何度もご家族を襲います。そのたびに、揺れ動く自分の心を落ち着けつつ、がん患者さん本人の心の上下を受け止めなければならないのです。しかも、自分はがんではないのだからと、気丈に振る舞い続けなければなりません。
私は外科医ですが、経過の最初から最後まで、がん患者さんの治療に当たることがよくあります。つまりがんという診断をするところから手術、抗がん剤、そして緩和治療からお看取りまで、です。何年にもわたり、患者さんとお付き合いしていく中で、私は患者さんご本人だけでなく、ご家族とも濃厚にお付き合いをします。

特に、私がご家族と何度もお話をするのは、がんの終末期にさしかかった場合です。終末期には、ご本人にははっきりと「あと三ヶ月です」などとお伝えすることはあまり多くありません。しかし、ご家族には正確な予後(よご:今からあとどれくらいの期間生きられるか)を伝えることがほとんどです。
ですから、ご本人抜きで、ご家族と私だけで話をすることが増えていきます。
ご家族によっては心配されて、毎日お話をすることもあります。そういったことを通じて、私はがん患者さんのご家族がどれほど心をゆさぶられているか、ずっと拝見してきました。
その経験から、ときにご家族は、がん患者さんよりもつらいのではないかと考えるようになりました。もしかしたら、「第二の患者さん」という言葉よりも、もっときついのかもしれません。

●雨降りのように自然なこと
ですから、ご家族ががんにかかってしまった、あるいは大切な人ががんにかかってしまった、という方へ、私からのメッセージをお伝えしたい。

まずは、「あなた自身も、がん患者さんと同じか、それ以上につらい」ということを知っておいていただきたいと思います。希望も何もないようですが、「ああ、つらいものなんだ、家族も」と知ることで、そのつらさは少し和らげられるかもしれません。そして、「つらい」とおっしゃって良いですし、ぐちを言ってもいいのです。

あなたは、がんにかかった方の苦しみ全てを受け止める必要はありません。

本人がつらい治療をしていても、あなたは遊びに行ってもいいし、美味しいものを食べてもいいのです。そして、無理に明るくしたり、ポジティブでい続けなくてもいいと私は思います。ときに、ご本人と一緒に落ち込んだっていいのではとさえ思うのです。

ご本人を想う気持ちの大きさは、何をしてあげられたか、どれほど自分を捧げたかではありません。あなたが元気で楽しそうに暮らしていることだって、ご本人を想うということになるのです。だって、ご本人はあなたが楽しそうにしていることを望んでいるのですから。

そして、縁起でもないお話を今からします。この本に書くか悩みましたが、書くべきと信じて書きました。

もし、あなたの大切な方が亡くなってしまったら。

がんは憎い病気です。私は毎日がんとファイトしていますが、勝ち試合ばかりではありません。がんは本当に憎い。私の大切な人を何人も奪っていきました。大切な人を苦しめました。

それでも、がんにかかり、命を終えるということは、雨降りのように自然なことなのです。雨が降ったら濡れますし、傘がなければ風邪を引くかもしれません。
でも、雨はかならず降ります。どれほど抗議しても、絶対に降ります。それと同じように、人間のいのちは、そしてあらゆる生き物のいのちはかならず終わりを迎えます。死亡率は100%です。お読みのあなたも、書いている私も、お互いかならずこの命には終わりが来るのです。
その終わりのひとつの形として、がんというものはあるのではないか。毎日がんと向き合いながら、私はいまそんなふうに考えています。
どんな病いも、どんな怪我も、快適なものは一つもありません。歓迎するものは一つもありません。
しかし、もしかならず何かで幕引きをしなければならないとしたら、がんというものはそこまで悪くないのかもしれません。なぜなら、がんという病気は命の終わりまで、時間的猶予があることがほとんどだからです。人により、がんにより違いますが、数ヶ月から数年はあります。この時間に、会うべき人に会い、見るべき景色を見る。もしかしたら、そんな準備期間になるのかもしれません。

医者をやっていると、大怪我で即死する人や、発症して数分以内に亡くなる人にもよくお会いします。ご本人はもしかしたらその方が楽かもしれません。が、ご家族にしてみたら、ある日突然倒れられ、永遠に話せなくなることの苦しみは計り知れません。そう考えれば、心の準備や話しておきたいことを話せる時間があるがんは、実はそれほど悪くないかもしれない。あきらめに似た感情かもしれませんが、私はそんなふうにも思っています。

●がんになって良かったとは私には思えない。だけど…

がんについて語るとき、私には忘れられない友人がいます。山下弘子さんという方です。19歳で肝臓がんが見つかり、闘い続けて2018年の3月に、25歳で逝去しました。私が知り合ったとき、すでに彼女はがんと闘っていました。闘うという表現は、実はあまり彼女には似つかわしくなく、抗がん剤治療中に私と富士山頂まで登頂したり、海外旅行に行ったり、恋愛を謳歌したりしていました。共存していた、と言ったほうがいいかもしれませんね。
彼女は私にこう言いました。
「がんの治療は辛いけど、私はがんになって良かったと言い切れる。だって、がんにならなければじろゆ(私のことをこう呼びました)やいろんな人と出会えなかったし、こんなに人生を考えることもなかったんだから」と。
だから、がんになって良かったとは私には思えません。
おばあちゃんになったらね、と楽しそうに話す彼女の笑顔を思い出すにつけ、生きたかっただろうと無念を感じます。やりきれない気持ちを、私はここまで書いてきたようにして無理やり自分に納得させているのかもしれません。
でも、誰だって亡くなるし、だったら最後に時間の余裕があったほうがいいな、という考えは私を少し癒やしています。突然だったら、お別れも言えず、あなたがどれほど大切だったかということも伝えられなかったでしょう。がんの医者として、そしてがんで大切な友人を喪った一人の人間として、こんなお話をさせていただきました。

*******


がん外科医の本音 (SB新書) 新書 – 2019/6/6発売予定(アマゾンリンク)https://www.amazon.co.jp/dp/4815602476/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_K4iSCb0F4WKYK

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?