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バクー遠征(3)

11月3日〜11日でアゼルバイジャンのバクーへ遠征しました。今回はその振り返り、旅編です。
アゼルバイジャンへの遠征は今回が3度目。タイトルの(3)はそういう意味ですので、(1)と(2)はありません。
試合の方は気分的にすごく重い内容だったので、こちらは楽しい部分を詰め込んでお送りします。

11月3日

昼過ぎに羽田空港に到着。国際線ターミナルに移動するや否や定番となりつつある吉野家で牛丼を一杯。
集合は15時、そこからまずはPCR検査を受検します。検査の結果が出るまでの間、自由行動。早めの夕飯をとりシャワーを浴びてジャパンジャージに着替えました。
19時に再集合。チェックインカウターに向かいます。チェックイン開始は19時20分でしたが、今回の便は満員らしくカウンター前には長蛇の列。日本チーム全員のチェックインが終わるころには21時を回っていました。この時点でかなり疲労困憊。保安検査、出国手続は滞りなく終了。出国の際にパスポートにスタンプを押してもらいます。今回パスポートを更新し10年用デビューを果たしたのですが、新品のパスポートの一番最初のページにスタンプを押してもらえました。

出発前の集合写真



機内は聞いていたとおり満員。22時50分、TK199便はイスタンブールに向けて定刻通りに出発しました。

11月4日

最初の機内食はチキンが売り切れということで、日本食・フィッシュが渡されました。
メニューを眺めながら「BASA」に「???」
てっきり鯖の誤植だろうと思っていたのですが、食べてみると柔らかな白身魚。バサってなんでしょう?
後に調べてみるとバサという名の魚があるんだそうで、またひとつ賢くなりました。

機内食のメニュー


食事の場面で面白かったのはそれまで英語で対応していたCAさんが、トングでパンを挟んで突き出しながら「パンはいかがですか?」と超綺麗な日本語で話したことです。ほんとに綺麗な発音でした、びっくり。その後はなぜか英語を使うのを躊躇ってしまいました。
2度目の機内食はスクランブルエッグを選択。普通に美味しかったです。ボイルドトマト大好き。

寝たり起きたり、ダウンロードしておいたアニメを見たりしながら13時間を過ごし、イスタンブール時間7時前にイスタンブール空港に到着。

今回のトランジットはわずか2時間半ほどでした。2時間半と言っても到着から飛行機を降りて、乗り継ぎの手続きなどを済ませば搭乗開始予定時刻の30分前。そこから搭乗ゲートへ移動するともう空港内をぶらつく時間はありませんでした。残念。

バクー行きの飛行機には目的を同じくする他国のチームも同乗していました。モンゴル、ウズベキスタン、他にも数国いたようです。
席に着くと当然のように隣の席には柔道関係者。
柔道関係者をぎゅうぎゅうに詰め込んだTK332便は9時5分ごろほぼ定刻通りに出発しました。

約3時間のフライトでしたが、こちらでも機内食が出ました。2度目の朝食です。内容はパン、きゅうりとチーズ、スクランブルエッグ、ボイルドトマト、ホットサンド。ほぼほぼさっきと同じです。笑
もちろん、美味しかったです。

座席の狭さに耐えながら3時間、無事バクーのヘイダル・アリエフ国際空港に到着。
飛行機を降りて、まずはビザの発行。過去2度のアゼルバイジャン訪問の際には予め取得してもらったビザを羽田で受け取っていましたが、制度が変わったのか今回は入国審査前に通路上の機械での発行でした。
が、英語で表示されるタッチパネル式の機械だったので時間がかかる…。機械の文字が見えない人もいるので皆悪戦苦闘、結局、係員の方が代わりに機械を操作してくれましたが、本当にそれであってる?ってくらいの速さで次々とパネルをタッチしていきます。

ビザを取得した後は入国審査。こちらも滞りなく。他の国のチームも一緒だったからか審査官に予めパラ柔道チームであるという情報が伝えられていたようで、パスポートとの照合のみでした。

入国後まずはターンテーブルから荷物を回収。私のカバンには赤いテープが貼られてました。これは要チェックの印なのか、テープが貼られたカバンの持ち主は皆出口で呼び止められ荷物検査。税関のようです。

床にCUSTOMS CONTROL ZONE(税関規制区域)

持ち物を全てX線に通します。そこで不明なものが見つかったカバンは中身を目視で確認するようでカバンを開けろと言われました。荷物をギュウギュウに詰め込んだキャリーケースは一度開けると再び閉めるのは至難の業。私は心の中で抵抗しますが、抗えるわけもなく…。ロックを外した途端自然と3cmほど口が開くのを見て絶望…。
諦めてキャリーケースの上半分を持ち上げて開きます。しかしそこで何か揉めている職員の方々。こちらを向いたかと思うと「OK」と言われました。ぇ…?
次の人のカバンと間違えたようです。おい…!
増量した体重を最大限に活用してキャリーケースを閉じます。しかし増量が足りなかったようです。なかなか閉まりません。スタッフに手伝ってもらってなんとか中身を凝縮・封印。無事に空港を脱出できました。

空港の外観

空港からはバスでホテルへ向かいます。

ホテルの外観(西側から)


ホテルは昨年来た時と同じカスピ海沿岸のマリオットホテル。従ってある程度勝手が知れてるので助かります。
到着からチェックインまではかなりの時間を要しました。フロントがだいぶアレだとスタッフが言ってました。笑
今回の部屋割りは加藤選手とのツイン。IJFとIBSAと共同開催なので部屋が足りてないようで、選手は我々だけツイン、スタッフは皆ツインだそうです。コロナ禍もあって、ツインって久しぶりだなぁとか思いながら加藤さんとカードキーに示された部屋へ入ると…びっくり!!!
そこにはクイーンサイズのベッドがひとつ!!!
慌ててコーチの先生へ電話します。
「先生、緊急事態です!」
フロントしっかりしてくれ、と皆して嘆きながら、結末としてはトレーナーの先生2人のツインロームと交換ということで、元々我々の部屋に指定された部屋には簡易ベッドが入れられるそうです。

こんな騒動の中、とりあえず体をほぐそうということで外に出ました。ホテルの裏へ出るとすぐ目の前はカスピ海。

ホテルの裏口を出てすぐの風景。奥に見えるのがカスピ海です。

散歩がてらストレッチをして長時間の移動による疲れを癒します。
去年はホテルから出られず機会がありませんでしたので、間近で見るカスピ海は初めてです!大きいですね、まぁ、私の視力ではそこら辺の湖と大差なく見えるのですが。
ちょうど日没直前の時間帯でしたので、夕日がきれいでした。

最近、カメラを向けられるとちょっとはっちゃけてしまいます。

こんな感じで長い1日が終わりました。

11月5日

この日は朝7時から朝トレとしてウォーキングとストレッチ、軽い運動を行いました。
ここで問題発生。腰が痛い!
原因はベッドが柔らかすぎることにあるようです。柔らかいベッドというのは一般的にはウケがいいのだそうですが、私にとっては最悪です。先生方と相談したところ、マットレスを外してみてはということになり、厚さ30cmもありそうな柔らかマットレスを取り外し、ベッドの天板に布団を直敷き。やや堅いようですが柔らかいより断然良いということで。これがダメなら床で寝ることになるところでした。ベットダイブができなくなりましたが腰痛解消には替えられません。

柔道練習は昼の12時半から。各国に1日90分の枠が与えられています。

練習時間表
練習会場

練習会場はホテルのホールに畳を敷いたスペース。畳の隙間がやや気になりますが大きな支障はありませんでした。

練習終了後に昼食。昼食後にミーティングがありました。ここでは主にコーチボックスについて。試合の際にこういう声かけをしてほしいだとか、残り時間はどれくらいの間隔で言ってほしいだとか、選手によっては最初2分は何も言わないでほしいという人もいるんだそうです。
今回の私のコーチボックスには専任コーチの若林先生が入ってくださるとのことだったので、いつも通りの感じで、と伝えました。

ミーティングの後は近くのスーパーへ買い出しに行くとのことで同行することにしました。練習会場やルームクリーニングの際に支給される水だけでは足りそうになかったため、水の確保が私の狙いでしたが、同行する先生方や他の選手はお土産もそこで買うつもりのようです。

近くとは言っても歩いて15分ほど。道中いろんなものを見ることができたので写真を貼っておきます。

工事跡?危ない
車通りは多い
不思議な形の建造物
この建物の壁面は鏡になっているようです
アゼリ・ネコチャン
行政機関の建物らしいです
教会?
デパート?マンション?
バス停
地下歩道
地下歩道の入口にはエスカレーターも
地下歩道の壁にはこんな絵
こんな絵も

バクーは結構なクルマ社会のようで、前に来た時もそうでしたが交通量はかなり多く、しかもかなりの速度で車が行き来しています。にも関わらず歩行者は横断歩道もないような場所を平気で横断しますし、車も横断歩道などほとんど無視。かろうじて、横断歩道を渡っていればぶつかりそうな時だけ車は止まってくれるといった感じです。歩行者からすれば命懸けです。笑
目的地のスーパーは本当に普通のスーパーでした。地域性なのか、ヨーグルト、紅茶、乾燥パスタ、チョコレートなどは品揃えが非常に豊富で、その種類の豊富さに驚かされました。私は目的の水を2L×2本確保。再び命懸けで道を歩きホテルへ戻りました。

11月6日

試合2日前、というのは実はこの時点では不明でした。未だ試合日程が発表されていなかったのです。8日.9日で試合が行われるのは確かなのですが、どの階級がどちらに振り分けられるのかどこにも情報がなかったのです。それまでの例に倣えば軽いクラスが初日、重いクラスが最終日となるので、その前提で調整を行いました。

この日も朝7時からストレッチ。少し雨が降っているようでした。

この日は練習会場となっていたホテルのホールは式典に使われるため使用できないとのことでした。
その式典というのがアゼルバイジャンの柔道50周年記念式典だそうで、ホテル内にはその記念式典のロゴが散見されました。

JUDO IN AZERBAIJAN 50 YEARS

アゼルバイジャンに柔道が伝わって50年なのか、アゼルバイジャン柔道連盟が発足して50年なのかはわかりませんが、とにかくアゼルバイジャンの柔道はめでたく半世紀を迎えたようです。

ともかくこの式典のおかげでホテル内の練習会場は使用できず、外で練習を行うとのことでした。
9時半ごろからバスで移動して街中のある建物の前で降ろされました。その建物は地図上に「Judo Club 2012」と記された場所で、建物入口には「Azerbaijan Republic Judo Club 2012 Public Union」と書かれていました。

Judo Club 2012外観

つまりはアゼルバイジャン国内の柔道の拠点のようで、日本でいう講道館的な場所だそうです。
館内は柔道一色といった感じで、階段で4階(たぶん)まで登りましたが、各階に道場やホールがあり、階段の踊り場には柔道を描いた絵が掛けられていました。

一階エントランスの掲示板
階段にも
練習で使用した道場(たぶん4階)
ひとつ下のフロアの道場(たぶん3階)

外は小雨が降っており気温もやや低いため、道場内も少し冷え込んでいました。10時ごろから約1時間半。後半で投げ込みをしたのですが、ここの畳はやや硬めで、受けてくれた畑山先生が悲鳴をあげていました。いつもありがとうございます。
道場の隅にあったマットを持ってきて、その上に投げようということになりましたが、そのマットは投げ込み用の薄いものではなく、高跳びなどで使うような厚さ30cmくらいのかなり柔らかいものだったので、マットの上で技にはいることはできず、マットの横で技に入りマットの上に投げるしかありません。しかし、背負い投げをしようと思うと回転しながら相手側に寄るので元々自分が立っていた位置に相手を投げることになります。これではマットは使えません。試行錯誤の末辿り着いた答えは、若林先生に手伝ってもらい、私が技に入った瞬間にマットを差し込んでもらうというものでした。側から見るとかなりシュールな光景だったと思われます。

絵にしてみました

練習を終えると再びバスに乗ってホテルへ戻りました。
午後はまるまる時間が空いたので、リラックスがてらホテル内のプールに遊びに行くことにしました。海外遠征ではプールがあるホテルに宿泊することもあるため、水着とゴーグルを持参するようにしています。1年前に同じホテルに来た際にも正木さんと泳ぎました。今回は1人ですが、安全の観点からアドバイザーの佐藤先生が同行してくださいました。
このホテルのプールは長さ20mほどの普通の長方形のプールですが底に傾斜があり、一方は80cmほどの深さですが、反対側では160cmほどになります。私の身長が170cmほどなので、深い場所も足は着きますがそこに足をつけて歩くのはかなり大変です。
歩いたり浮かんだり沈んだりしながら30分程度水の中で遊んでいたかと思います。
ある程度気が済んだので、佐藤先生に終了を告げると、先生はトレーニングをすると言って隣のジムへ入っていきました。トレーニングが大好きなんだそうです。私は若干水を滴らせながら部屋に戻りました。
水が滴っているのはいい男なのではなく、完全に水を拭き取らないズボラな男ではなかろうかなどと考えていました。

軽く昼寝などをしていると、遂に大会の日程が伝わってきました。
73kg級は1日目!ということは、計量は明日です。

11月7日

朝はいつも通りストレッチ。練習は昼前ということなので午前中は時間があります。しかし、私には重要なタスクが!
道着を乾かさねばなりません。2日前の夜に道着をバスタブで洗濯したのですが、脱水が甘かったのか、それほど室温が高くないこともありまだ完全に乾いていません。濡れているとは言わないまでも湿ってる感じです。除菌スプレーをこまめに吹きかけていた甲斐あって異臭はありません。安心。
有料のクリーニングサービスがあったのですが、一年前に利用した時に出した服がなかなか返ってこなかったという経験から、何かあったらいけないと思い使いませんでした。しかし今回、他の選手の洗濯物はスムーズに返却されていたようなので、なかなか大変な洗濯作業は徒労だったようです。
とにかく、ドライヤーを使って乾かします。ちょうどクラス分けで加藤さんが部屋にいなかったのは幸いでした。延々とドライヤーの音を聞いているのはしんどいでしょうからね。私は自分の作業なので音は良いのですが、ずっと道着とドライヤーを支持しているのがしんどかったので、机や椅子を駆使して道着を固定、ドライヤーの口を袖に突っ込み放置。実際この方が安定するようで予想より短時間で乾きました。

昼の練習は初日と同じホテル内のホール。時間も初日と同じ、12時半から1時間半。
これを終えたらこの日の午後は減量タイム。とは言え増量が間に合っておらず体重は練習後で73kgちょうどくらい。と言うことは…食べます!昼飯、もちろん食べます!減量はチキンレースです。落とせる範囲ギリギリまで上げてからギリギリで通過した人間の勝ちです。風呂を使えば2kg程度落ちることは経験上わかっているので、がっつり食べます。練習が14時までだったので食事を終えたのが15時ごろ。本計量までは3時間。余裕です。

この日の昼食

計量までの間で帰国時のファストトラックの設定なども行いつつ、お風呂タイム。ネットで麻雀を打っていたら半荘がなかなか終わらず、17時を回りました。仮計量は17時から18時。この間で一度オフィシャルの体重計に乗っておきたいところです。
が、問題ないのはわかっていましたから、慌てず焦らず。17時半を過ぎてから計量会場へ向かいました。
計量会場はなかなか狭い部屋で、そこへ続く廊下も狭い。そこに大量の選手とコーチが殺到するため、暑さと外国人特有の体臭で地獄。仮計量を終えると早々に退散し広いロビーで本計量の時間を待ちました。
本計量の時間になり再び例の廊下へ向かうも状況は変わりありません。計量は国ことに行っているようで、しばらく待たされました。その間周囲の臭いに涙が出そうでした。体重の状況が逼迫していればちょうど良く水分を抜けたかもしれません。

計量は無事通過。一旦部屋へ戻ります。その間もリカバリー。持参していた水をゴクゴク。部屋に戻るとアルファ米のパックに沸かしたお湯を注ぎます。
ここで水を飲み過ぎたのか尿意を覚えたのでお花を摘みます。さて、そろそろ食事に行こうかというその時、部屋の呼び出しブザーが鳴りました。日本チームの誰かだろうと思いドアを開けるとどこの国かはわかりませんがおじさん(いや、もう少し若いと思うのでお兄さんとします。)が立っていました。
ここからは会話形式でお伝えします。実際の言葉を正確に再現できてはいないことをご了承ください。
『Japan team?』
「Yes」
『Where is Yujiro Seto? Are you Seto?』
「Yes. Yes, I’m Seto Yujiro」
『OK. Doping Control』
「…」
『…』
「Σ(゚д゚ )」
『…』
「…Now?????????」
『Yes, now(^^).』
「…All right…Please wait. I call my coach」
『OK(^^)』
「📞(出ないな…というか、なんで今なんだ?明日試合ぞ? 来るにしてもせめて午前中とかにしてくれよ、ってかさっきトイレ行ったばっかだよ、うわぁ…)」
「Excuse me. Can I go to dinner?」
『No problem. But I follow you』
「Thank you」
『Here we go(^^)』
「Wait a minute. Need passport」
『Do you have any ID?』
「Can use this? Accreditation」
『OK. No problem」
会話形式ここまで

災難です。お兄さんを引き連れて食事会場へ。途中で樋口先生に遭遇したので状況を伝えると立ち会ってくださるとのことだったのでお願いしました。食事会場に着くとお兄さんは「ここら辺から見てるから」と言って入口付近で私から離れました。視界内に収まっていれば良いはずですが、この会場はいくらか死角もあります。しかも彼は途中で彼自身の食事を始めてしまいました。海外はユルいですね。笑

食事を終えて樋口先生とお兄さんと共に部屋に戻りましたが、尿意は一向に訪れません。余計に水分を取りながらもじっと待っていても仕方ないので、治療をしてもらったり、組み合わせ抽選がライブ配信されるはずなのに時間になっても何も映らないことに悪態をついたりしていました。結局、組み合わせ抽選は結果だけ先生方から送ってもらいました。IBSAはライブ配信がつながっているか確認する人はいなかったのかと少し呆れてしまいます。

そんなこんなしていると、そろそろ行けそうな気になってきたので、トイレへ。そこから先は3度目にもなればもう慣れたものです。英語でのやりとりもある程度問題なくこなせました。
英語の単語力や文法についてはあまり成長している気はしませんが、相手の言いたいことを汲み取ったりこちらの意図を伝える表現は少しずつ力がついているのかもしれません。実際に今回の遠征中にはカザフの60kg級東京パラ銀メダリストのサリエフ選手やイランの選手、韓国チームのコーチ、ジョージアのコーチ、モンゴルのコーチなど、いつにも増していろんな人に声をかけられましたが、いずれもある程度の会話が成り立っていました。
しかし、サリエフ選手は特にそうなのですが、カザフチーム、ジョージアのコーチなどはなぜか毎度ハイテンションで「Hey, Seto!」と声をかけてきます。私の顔はそんなに売れているのでしょうか…?

とにかくドーピング検査の検体採取は無事に終わりました。試合前日に来たことに不満はありますが、概ね滞りなく終えることができました。
試合前日に来たことに不満はありますが!
私はもちろんですが、同部屋の加藤さんにも迷惑をかけてしまいました。加藤さんも翌日が試合です。いくらなんでもタイミングに多少の配慮はあっても良いのではないでしょうか? さらに言えば私は減量に余裕があったから良かったですが、ギリギリで水分をカラカラになるまで抜かなければならない選手などは計量の後に90ccも尿を採取なんてなかなかできません。しかし検査員は検体を採取するまで帰りませんから、場合によっては試合前日の睡眠時間を削ることになります。抗議などできるものでもないのでしょうし、ここで言ったとてどうにもなりませんが、この点はもう少しどうにかならないのかとこの場で強く訴えたいと思います。

時刻は9時20分過ぎ、予定よりやや遅れましたがここから映像分析の時間です。若林先生の部屋へ。高垣監督、佐藤アドバイザー、野中トレーナーが居合わせましたので、全員で映像を見ながら作戦会議です。
抽選で決まった組み合わせをもとに、対戦の可能性のある選手の映像を確認します。この選手はどちら組みで、この技に気をつける、というようなのが大まかな内容です。この時は準決勝まで予測して確認しました。悲しいことに大半は無駄になりましたが…(T ^ T)

これを1時間ほどで終えて部屋へ帰り就寝です。怒涛の1日でした。

11月8日

起床は5時半。ここからはいつものルーティン。いつも通りに準備して時間を待ちます。
8時にバスに乗り込み試合会場へ。バスは立っている人も含めて25人ほどが乗れる小さめの路線バス用の車両が十数台使われていました。バスに乗り込み出発の順番待ち。車内はやや暑く、窓際の数人が上部の窓を開けようとしますが固くてなかなか開きません。開かない仕組みなんだろうかと車内が諦めの雰囲気に包まれたその時、どこの国だったかのコーチが固くて開かないと思われた窓を見事に開けて見せたのです!! 車内は笑顔と拍手に包まれました。そしてそのコーチは車内を移動して次々と窓を開け放っていったのです! 皆拍手! それを見て最後の窓の下に座っていたまた別の国のコーチが窓開けに挑戦します。やや苦戦しましたが見事窓を開けることに成功! 車内は再び拍手。ほっこりとした空気でした。

道中は終始警察車両が並走しており、交通規制を行なっていました。首都でそれなりの交通量のあるバクーでこれほど大規模に規制を敷く様を見ていると、大会運営に国を挙げて取り組んでいることがよくわかります。

試合会場はHeydar Aliyev Sports and Concert Complex。3度目にもなるとかなり勝手が知れてきます。到着するとアップ会場へ。まず最初にアップ会場のモニターをチェック。各試合場のライブ映像とともに直後5試合の試合順が表示されるのですが、まだシステムが動いていないようで表示されていませんでした。組み合わせから大体の試合順は把握していたので、そこに自分の名前が出ないことは知っていましたが念のため。
と、その横で知らないタッチパネルを発見。見てみるとCoach Assistantとあります。画面右側には各国の国旗が一覧で描かれています。その中から日本の国旗を押すと…なんと、日本人選手のみをピックアップした試合順が表示されました。試合場、相手の名前、道着の色、試合まであと何試合かが試合が近い選手から順に上から表示されます。なんて便利なシステムでしょう! 我々が求めていたものはこれでした! 素晴らしい! 少し感動しました。

この後の試合については別記事にまとめています。

試合を終えるとホテルに戻ります。意気消沈です。少し睡眠をとって21時ごろに食事に行きました。食事会場でイランの重量級の選手に声をかけられました。「ブロンズか?」と聞かれたので「今日はひとつも勝ってない」と答えました。私の試合を見てくれていたそうで、負けたのは知っていたようですが、敗者復活を勝ち上がっていると思っていたようです。「あれは技ありだった。お前は勝っていた」と言われました。そう言ってくれるのはすごく嬉しく思う反面、もう覆せない結果になってしまったので今更言われてもと励ましを素直に受け取れない気持ちもありました。

その直後、ウェイターのお兄さんにも話しかけられました。こちらは柔道の話ではなく、彼は日本がすごく好きなんだと言っていました。カザフの時もそうでしたが、度々日本好きに出逢います。今回も現地のボランティアの女の子がかなり上手な日本語を話していました。
この時話しかけてくれた彼はフットボールが好きで日本の浦和レッズのファンだと言っていました。私はサッカーに詳しくはないのですが、アゼルバイジャンにいて日本の特定のクラブについて知る機会があることに驚きでした。私はアゼルバイジャンのクラブチームなんてひとつも知りません…。
浦和レッズとは何の関わりもありませんがなぜか嬉しかったのでありがとうと伝えました。

11月9日

この日は応援以外特にやることはありません。前の日よりも全体の日程が1時間遅いので、朝は少しゆっくり。7時過ぎに外に出て少し肌寒い中、日が昇るカスピ海を眺めてそれを動画に収めました。結局その動画はYouTube行きです。ネタが思い浮かばないために2本目にして迷走を始めた私のYouTubeチャンネルをぜひご覧ください。

朝食のビュッフェは健康に全く配慮しないメニュー。

朝食

ワッフルやパンケーキなど、女子高生のおやつみたいな朝食です。

試合会場には前日と同じようにバスで移動。到着するや否や観客席へ。スタッフと駄弁りながら試合開始を待ちます。試合が始まっていくらかしたらアップ会場へ。前日に使ってあげられなかった青道着を引っ張り出して少し打ち込みと試合の反省など。午後は早々にホテルへ引き上げ再び昼寝。眠れずに少し寝不足気味だったのでかなりぐっすりでした。
このころになると気持ちも落ち着いてきて、心を少しずつ整理することができましたが、何となく原因が見えてくると余計に自分の弱い部分が見えてきて余計に落ち込みました。

気づけば夕食の時間。自己嫌悪を引きづりながらも食事会場へ。全員試合が終わったからか、選手・コーチともに明るい雰囲気でした。

11月10日

この日は団体戦。ですが日本チームは出場しないので昼食の時間を除いて夕方まではフリーです。人数が足りなければ合同チームも組めるようだったので私としては団体戦、出場したかったのですが…残念です。

しかし、時間があるということで数日前から気になっていた軍事資料公園へ行きたいと申し出ました。アゼルバイジャン軍が実戦で使用した車輛が展示されているということで、Googleマップ上を散策している時に見つけて大興奮。日本ではなかなかお目にかかれません。
加藤選手とトレーナーの畑山先生、野中先生を誘いました。
先生方は出かける前に荷物の帰り支度をするということで、ある程度荷物作りを終えていた私と加藤さんで下調べ。フロントに行って公園の料金や支払い方法の情報を収集します。その結果によると、料金は現地人は2マナト、外国人は10マナトで、支払いにドルは使用できない、マナトオンリーとのことでした。ではでは、ドルをマナトに替えなくては! 両替は可能か聞くと両替機があるというので案内してもらいました。ホテルスタッフに操作してもらいましたが、途中で唸りながら手を止めてしまいました。機械の調子が悪いのだそうで、画面を見るとネットワークに接続できていないと書いてありました。10分ほどかけて何度かトライしてくれましたが、難しいようです。ならばと、他に両替はどこでできるかと聞くと、銀行だとの答えが返ってきたので、どこの銀行かと聞くと窓際に連れて行かれ、あの青いビルの下だと教えられました。
…見えぬ。ここにいるのは弱視の私と全盲の加藤さん。私はスマホを取り出してカメラで拡大します。ビルはそう多くはありませんが、青いビルと言われても正直色の判別にも自信がない。とりあえず方角と青いビルという情報を記憶して次の質問へ。歩いてどれくらいの距離か、15分くらい、軍事資料公園とは近いのか、近くはない。ふむ、ありがとうございます。先生方と合流して検討。銀行に行くほど時間はない、ダメ元で公園へ行ってみるか、ということになりました。入れずともその公園はフェンスで囲われているだけなので、外から眺めることも不可能ではありません。

寒いと予想して少し重ね着したのを後悔しながら晴れた空の下歩きます。到着。

表の看板

公園の入り口には窓口があり、そこで支払いをするようです。私が言い出しっぺなので私が先陣を切ります。「ドルは使えますか?」やはり使えないそうです。しかし手持ちのマナトはわずか。料金を尋ねると情報通りひとり10マナト。やはり無理かと思われたその時、カードが使えると言われました。なんと…! それならそうと早く言ってくださいよ。「ではカードで」『サーティマナト』「へ?サーティー?」4人なのになぜ30なのか、尋ねると加藤さんを指して彼は無料だと言います。障害者は無料なのだそうです。これもびっくり、てことは私の分も無料なのかな。主張するとそれなら20マナトだと言われました。
この国は道はだいぶ凸凹で障がい者に優しくありませんが、障害者への公的な支援は充実しているようです。おそらくは度々戦争が起きるが故に戦傷者が発生しやすく、国のために戦って障害を負った彼らに対しての支援は重要なのでしょう。アゼルバイジャンが近年の視覚障害者柔道で圧倒的な強さを見せるのも国の支援が関係していると思われます。
だとすると私のような先天性の障害者はやや肩身が狭いというのはありますが、ありがたいサービスは遠慮なく享受いたします。

公園内には期待通り数々の軍務車両が…!とりあえず写真を貼っておきます。

戦車を眺めたり写真に撮ったり、その他にも塹壕跡を歩くこともできました。とても興味深かったです。

ホテルに戻ってチームで反省会を兼ねて昼食。この時オレンジジュースを注文したのですが紙ストローが刺さっていました。

紙ストロー

紙ストローを経験したのは記憶上はこれが3度目ですが、やはりプラのストローに比べるとあまり良いものではありませんね。これがエコに効果があるのかはわかりませんが、少なくとも、すぐ横で石油を掘っているのにという滑稽さはありました。

昼食を終えるともう15時ごろ。出発が19時の予定なので、微妙な時間です。とりあえず部屋に戻って荷物の整理、しかしシャワーを浴びるまでは全てをカバンに詰められません。シャワーはなるべくギリギリに浴びたいので、もう昼寝しかすることはないようでした。

19時、無事に荷物をまとめバスに乗り込みました。韓国や台湾などが同じ便だそうで同乗していました。

空港への道のりは思いのほか時間がかかり、予定では30分ほどで到着するはずでしたが1時間かかりました。従って搭乗手続きの締切まであまり時間がありません。慌ててカウンターへ向かいます。チェックインはスムーズに。ここは過去2度もカウンターの素早い手続が印象的でした。次に出国手続でグッバイジャン。保安検査までもかなりスムーズ。おかげで搭乗開始時刻まで少し時間が余るほどでした。

免税店でお土産などを購入し、搭乗口前に戻りましたが、手元に水がないことに気づきました。わずか3時間のフライトとはいえ手元に自由に飲める水があるかどうかはかなり重要です。前回の記憶を頼りに自販機を発見。500mlの水は3マナトで売っています。ここもマナトオンリー。手元にあるのは5マナト紙幣。紙幣挿入口に突っ込み、ボタンを押します。水が落ちてくる音と、釣り銭の音…釣り銭の音………まだ釣り銭の音がする…。釣り銭を取り出してみると、20ケピック硬貨が10枚…。
前回は2マナトの水を5マナト紙幣で買ったら50ケピック硬貨6枚で返ってきた記憶があります。
そもそもこの自販機、紙幣の返却口がありません。しかも価格が微妙に都合が悪い。
日本の自販機と通貨の設定や物価の関係がかなり優秀なことを思い知らされます。

搭乗開始時刻になりましたが搭乗が始まりません。
出発時刻の10分ほど前になってようやく搭乗ゲートが開きました。今回の座席は最後列の中央席。左隣は台湾の73kg級・チャン選手。なかなかハンサムなお顔をしているようです。だから何ということもないですが。
TK355便はなかなか出発しません。搭乗が完了した後もなかなか動かずいつの間にか私は眠ってしまいました。次にふと目を覚ますと出発予定時刻から約1時間後の3時45分。まだ飛んでいませんでした。目覚めた直後に動き出し、約1時間遅れで出発。出発の順番待ちだったとのことです。

11月11日

出発が遅れたのでもちろん到着も遅れます。イスタンブールには深夜1時ごろ到着。本来であればイスタンブールでのトランジットは2時間半ほど。往路では行けなかったラウンジでホットミールを楽しむつもりでいましたがこの遅延によってそれは叶わず。非常に残念です。
到着するや否やターミナル内を移動。保安検査を受けてそのまま搭乗口へ。ほとんど待つことなく搭乗開始。ここからはTK198便。定刻通りの出発です。
この空路では特筆すべきことは何も起こらず。半分近くは睡眠時間でしたし、意気消沈と自己嫌悪の波は収まるところを知らず私の意識は雲の上へ……体も雲の上でした。
ひとつ書くとすれば今回もまた中央席。両隣は日本人ではありましたが知らない人。なかなかしんどい。大人しく11時間を過ごしました。

羽田へ到着したのは20時前。ここから今回も長い長い検疫が待ち構えているかと思われました。しかし、ファストトラックを登録した人はあちらへと指示された通路を歩いて行くと意外にもほぼスルー。QRコードを提示するだけでした。日本の入国管理も通常状態に戻りつつあるようです。
ただやはりまだ全てスルーとは行かないようで、検疫付近にはビブスを着用した大量のスタッフ。人件費はどこから出ているのでしょう…?
思い返せばアゼルバイジャンもカザフスタンも検疫らしきものは一切なかった気がしますがこの差はどこで生まれたのでしょうか。

とにかく半年前は1時間半要した検疫を10分かからずに通過。入国審査も機械ですぐです。あとは荷物をピックアップして税関を通るのみ。
荷物は全員分無事に回収。税関も問題なく通過しました。

ここで遠征の全日程が無事終了です。

私は羽田近くのホテルで一泊して翌日福岡へ戻りました。


試合内容についてはこちらにまとめています。

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