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口唇口蓋裂の息子は生きにくさを感じるのだろうか ご機嫌な育児記録👶#32

ほしのディスコさんが口唇口蓋裂を告白したという記事を見ました。


記事の中で、死を意識したという気持ちの吐露がありました。

当時は、自分に対していろいろなコンプレックスがあって、人に会うのも嫌でしたし、何もかも自分にはできないんだろうなという絶望感しかなかったです。

生きているのが辛いという時期があったんですけど、死ぬこともできず、最終的に「自分は一度死んだ」ことにしました(苦笑)。生きてはいるけれど、「そこから生き返った」という設定にすればいいって。この先、どんなにきつくても、いくら悲しくても、こう考えればあきらめることができるだろうと思ったんですよね。

文春オンライン 上記記事から抜粋

私も出産前、ショックだった

出産前に、息子に口唇口蓋裂があると分かった時、私もかなりショックを受けました。

特に写真のインパクトが強く「このような外見の子供を可愛いと思えるのだろうか」と悩んだり「口の形が人と違っているから可哀想ではないのに、私がすでにこの子を可哀想と思っている」とネガティブなことを考えていました。

数日は、まわりから見ても明らかに落ち込んでいたようです。

ただ旦那が「(命に関わるものではなく)外見的なものなんだから、手術して治しておしまいでしょ!」と、病気に対して1ミリも気にしない姿勢だったことに救われました。

さらに、産院で紹介してもらった東大病院の先生方が本当に頼りになって安心できたこと。

児童館に行っても他のママさんや職員さんから全く差別•区別されないこと。

我が子が愛嬌があって本当に可愛いこと。

などから、何もビハインドを感じず過ごすことができました。息子を連れた外出も、友達に会うことも、何も気にせずに行っています。

診断後数日の落ち込み以外は、私は全くネガティブな気持ちなく生活しているのです。

今後、息子が思い悩む時期がくるかもしれない

ただ、ほしのディスコさんの記事を読んで、息子も思い悩む時期がくるかもしれない、と思いました。

私も小中学生くらいのとき、太っていたことや家が裕福でからかわれるなど、生きにくさを感じていました。
死にたいほどの絶望は感じてませんでしたが「人と違うこと」に思い悩み、人生が嫌になった記憶があります。
特に小中高生にとっては学校が全ての世界なので、からかわれる対象になることは本当に辛かったです。

どう感じるかは息子が決めること

「人と違う外見で産んでしまい、小さいうちから手術をさせてしまってごめんね」と息子に対して思います。

ただ
私と息子は別人格
彼が悩むのも悩まないのも息子次第

と考えています。

悩むのもいいし、気にしないで生きるのもいい。

悩んだ気持ちを抱えて生きていく子だったら、人の痛みがわかる優しい子になるかもしれない。
悩んで絶望した後で、何か希望が見出せたなら病気は糧になるかもしれない。
悩んで、でもそれを跳ね返す強さがある子になるかもしれない。
そもそも気にしないなら、それもそれでいい。

ただ、彼が思うことを全肯定で受け入れる母親でありたいと思います。

息子の価値は、病気では変わらない

口唇口蓋裂の息子でも、病気がない息子でも、私にとっては何も変わりません。
ただただ、愛する息子です。

息子は本当に表情豊かです。見知らぬ人によく笑いかけます。
この前も息子を肩にかついだ形で抱っこして歩いていたら、私の後ろを歩いていたお爺さん2人が「赤ちゃん、俺に笑いかけた!」とはしゃいでました。

少し鼻がぺしゃんこで、テープをする必要があっても、それ以上に表情豊かで愛嬌たっぷりで、他のどんな赤ちゃんよりも我が子が愛おしいです。

病気について息子に伝えるべきか、いつ伝えるのかなどはまだ考えてません。でも、伝える際には「病気についてあなたがどう思っても自由。ただあなたの価値は病気では変わらないよ」と伝えたいです。

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